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2009.10.14

国家と祭祀:国家神道の現在

国家と祭祀―国家神道の現在  子安宣邦 2004 青土社

とてもよい本だった。
居住まいを正したくなるような硬質な気配を持ち、初めて知ることも多く、印象深く残っている。
しかし、読み返すことはないだろうと思い、手放したので、初読時の感想を修正して記録しておこうと思う。

国家神道というものには、祭教分離と祭政一致により、政教分離の批判を言い逃れようとした姑息さがあった。
法制度は過去のものであったとしても、宗教人に持ち続けられている国家/権力への欲望も、帝国の挫折から起死回生を図ろうとするかのような戦争への欲望も、どちらも現在のものである。
両者は、一見は眠りについているかのようで、いつでも目覚める危険性はあり、常に叩き起こしかねない危険性がある。

本書は戦う国家と祀る国家という視点から、戦争放棄と政教分離の現代的な意義を意味づけ直している。
著者は言う。「祀る国家とは、戦う国家である」と。
国家が戦争を行うことで生じた多数の死者を、「殉死者」として聖別するということが、国家が祀るということである。
彼らの死は国家のための献身であると意味を付与し、無駄死、犬死というやりきれなさを遺族から昇華させる機能だ。
これにより、国家が死者を祀ることによって、国家が戦うことが正当化される。だからこそ、国家が祀るという営みを神域に覆い隠して保全することは問題であると、著者は鋭く見破るのだ。

読み慣れない漢字が多い上に、久々の専門書は文章が硬く、一文が長く、非常に読みづらい感があった。
が、第三章に至り、著者自身が失った家族に対する記憶と情緒がにじみ出る。そこから、なぜ彼がこの主題にひきつけられるのかを見出すことができる。
本文はとても読みきれないという人にも、せめてあとがきだけは読んでいただきたいと、広く考えてもらいたいと、心から願う。

この本を読んで興味を持ち、靖国神社に行った。私にはどうにも馴染みを覚えることのできない文化として忌避してきた。
敬意は払いつつ、まっすぐ遊就館に向かった。若い人が多く、デート中と思しきカップルや、女性二人組もいて、なんだか意外だった。
展示内容というよりも、展示品の説明の仕方が独特で、やっぱり苦手意識が増した。でも、本書に紹介されていた展示室19「靖国の神々4」の部屋は見ておきたかった。
つまり、祀られている人々の遺影パネル(写真がない時代の人の場合は肖像画など)が壁一面に貼られている部屋だ。
あの時の気持ちは、いまだ言葉にはならない。
ただ、このパネルを増やしてはいけないと、願わずにはいられない。
(2005.9.17)

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