2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

著者名索引

香桑の近況

  • 2017.1.4
    2016年 合計50冊
    2015年 合計32冊
    2014年 合計26冊
    2013年 合計32冊
    2012年 合計54冊
    2011年 合計63冊
    2010年 合計59冊
    2009年 合計71冊

    合計323冊
無料ブログはココログ

« 無差別殺人の精神分析 | トップページ | アガルタ・フィエスタ!(4):祭りの終わり »

2009.10.21

世界が完全に思考停止する前に

世界が完全に思考停止する前に (角川文庫)  森達也 2006 角川文庫

私の主語は「私」である。
私は勝手に「私達」のなかに組み込まれることが嫌いだ。
私の意志を、感情を、思考を、体験を、見解を、何も確認せぬまま、勝手に代弁されることが大嫌いだ。
だから、著者の姿勢に好感を持った。好感というより、シンパシーというほうがぴったりくるかもしれない。

と同時に、思い出したことがある。
私は、会話でも文章でも、主語をなるべく明確にしようとする。
私はこう考える。私が考えるだけであって、相手にそれを求めるわけではない。ほかの人も同じことを考えているとは考えていない。その姿勢を表すために、「私」は「私」に責任の所在を帰す。
しかし、ある人から「『私はこう考える』と言われるたびに、『お前もこう考えろ』と言われている気がする」と嫌がられた。当時の恋人だったわけであるが。
改めて書いてみると、なんともとほほなエピソード。彼の中に浸透していたものこそ、素朴なファシズムの土壌じゃないかい?
当然のことながら、私と彼は別人格であることを前提とする私と、同じ魂をわけあっていると夢想する彼ではうまくいかなかったし、別れてよかった。

前置きが長くなったが、この本を読んで感じた著者の感覚は、「自分に倣って思考停止せよ」と強く命じる恋人に対して持った私の抵抗感に似ている気がした。
いいか、悪いか、二元論でおさめてしまおうとする人が多い。多数派とは違うとかっこつける人は、悪いものをいいにして、いいものを悪いにして、単に両極をひっくり返して二元論におさめなおしただけのことも見られる。
でも、その分類って正しいの? 正しいって誰が決めたの? なんで、私まで同じ考え方をしなくちゃいけないの?

せっかく、目があり、耳がある。「人は見たいものしか見ず、聞きたいものしか聞かない」というのは聖書の言葉であるが、私は見たい、聞きたい基準を自分で選びたい。
せっかく、感じる心があり、考える頭がある。自分の心で自分なりに感じて、自分の頭で自分なりに考えたい。

だから、キャスターがぐちゃぐちゃ自分の見解や感想をえらそうに付け加えるようなニュース番組は嫌いだ。解釈を押し付けるな。
上から目線で他者を笑いものにするバラエティより、フィクションはフィクションとわりきっているドラマより、リバイバルしか活路がなくなりつつある音楽より、キャスターが自分の考えが正しく、自分の知らないことはないと勘違いしているニュースが不快。
キャスターが「われわれ」とか「私達」とか「国民は」とか、言うな。私を一緒にするな。
それが感情論でしかないようなちゃちなコメントだったら、気分は最悪。
そして、おばさんはテレビの前での独り言が増えて、ますますおばさん化しちゃうんだから、ほんとやめてくれ。と言いたくなるんだ。
同じニュースだけをすべてのチャンネルで放送するようなやり方とか、その陰で何をしているの? 誰かがこっそり何かを隠そうとしているんじゃないの?と言いたくなるんだ。
ゆうきまさみが『未来放浪ガルディーン』で描いたカリカチュアのますこみ族だって、もしかしたら過去の美しいメディア像になるんだろうか。有川浩が『図書館革命』で描いたものだって美しすぎる。

確かに、客観的で中立的な情報というのは理念型でしかない。仕事上、私はよく知っている。人間はゆがみのない鏡にはなれない。
観察者が入った時点で情報は歪み、取捨選択されてしまう。そんなことは文化人類学や心理学がさんざん経験してきたことだ。
自分自身が当時者であることと、情報の受け手であることでは、まったく情報の質が違う。しかも、言葉には限界があることだって、社会学や哲学がさんざん思考してきたではないか。
それが自明の理じゃなくなっていることが、怖くて悲しい。

本書は、著者が雑誌や新聞に書いた記事や、ボツになった記事、書き下ろした記事を集めており、短いエッセイの集積としてとても読みやすい。
2002年から2004年にかけて書かれた短い文章の中に、オウム真理教のことやアメリカのイラク攻撃、小学校襲撃事件、迷子のゴマフアザラシや拉致問題、死刑についてなど、いくつもの出来事が織り込まれている。
その出来事についてどう感じたかだけではなく、その出来事の報道についてどう感じたか、その出来事を受け止める人々についてどう感じたかと、多層的な視野でエッセイは書かれている。
著者と同じように思考せよ、と言われている感じた人は、すでに思考停止する習慣ができている人だろう。自分と同じように思考していない著者はだめだと感じた人も、思考停止の習慣ができている。
メディアに関わる人がこういう本を書いていること、こういうことを言っている人もちゃんといるってことに、私は少し安心したんだ。

忘却することを否定はしない。なぜならば忘れなければ、人は憎悪と復讐でいつまでも身を焦がす。でも忘れるから、人は同じ過ちを際限なく繰り返す。(p.9)

« 無差別殺人の精神分析 | トップページ | アガルタ・フィエスタ!(4):祭りの終わり »

**平和を祈ること**」カテゴリの記事

エッセイ/ルポ」カテゴリの記事

コメント

私を「私達」に組み込むなという気持ちに同感です。
マスコミも含め、世間に訴える様な団体が用いる主語の意図的な曖昧さと言ったら、傲慢過ぎて虫酸がはしる時さえあります。
キャスターも公共の電波に乗せてコメントするなら、あくまで自分個人の思想信条が基準の内容だという事を明らかにしろよ、卑怯だろ、なんてよく思います。
ただ、恋愛事などの人間関係については一概に断言出来ないと考えます。

管理者さんが世紀末覇者の様な形相で「あくまで"我"はこう思う(無論、うぬもそうであろう)」と迫ったからと言う可能性も…

通りすがりの方、コメントありがとうございます。
申し訳ありませんが、読んでいて不愉快になりました。私は勝手に「私達」に組み込まれることも嫌いですが、「あくまで"我"はこう思う(無論、うぬもそうであろう)」と勝手に( )内を付け加えられることが嫌でした。本文にもそのように書いたつもりです。
受け取り方は読み手の自由でありますし、私の文章がつたないことにも起因していると思いますが、意図が十分に伝わらなくて残念です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/183237/31873436

この記事へのトラックバック一覧です: 世界が完全に思考停止する前に:

« 無差別殺人の精神分析 | トップページ | アガルタ・フィエスタ!(4):祭りの終わり »

Here is something you can do.

  • ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン
    子どもとともに途上国の地域開発を進める国際NGO

最近のトラックバック