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香桑の近況

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2009年8月

2009.08.31

月魚

月魚 (角川文庫)  三浦しをん 2004 角川文庫

月下に照らされた静かな庭。
水底にはいるとも知れぬ魚。
店の主と池の主の凍った時。

古本屋が舞台というと、京極堂をすぐに連想してしまったが、中身はかなり違う方向だ。
名店の三世代に渡る葛藤の連鎖の物語という点では、むしろ初期の梨木作品のほうに通じる。
偉大な祖父と有能な孫。その間から、去らざるを得なくなった父親。
それが、主人公の真志喜を貫く縦糸になっている。

真志喜の横糸は、幼馴染の瀬名垣との間でもつれている。
瀬名垣は真志喜の父親を追い出した罪を思うからこそ、近づけず。
真志喜はその罪で瀬名垣を繋ぎとめている引け目から、近づけず。

BLと言えば、BL風味。
真志喜と瀬名垣の間には、友情と呼ぶだけで物足らないセクシュアルなニュアンスが漂う。
女性の登場人物も近所に在住の友人のみすずや、取引先のお客さんぐらいであって、真志喜や瀬名垣の母親すら不在だ。祖母は言うに及ばず。
しかし、BLと一くくりにして片付けてしまうのはもったいないぐらい、静謐で濃密で耽美な空間設計がなされている。
大手を振って愛し合える人々だけでは、愛することのもどかしさやじれったさや、それでも愛さずにはいられないひたむきさを描くのは難しいのだから、ここはもうBLも仕方がないってことで。
性愛の描写は匂わせる程度に極力抑えられており、そこに、2人の高校時代を描いた「水に沈んだ村」が加わることで、まさに2人の関係性が「名前のないもの」に還元される気がした。

本編もいいが、「水に沈んだ村」の夏休みの終わりの花火を見上げる景色もよかった。
今年、友人達と見上げた花火を思い出す。最後の夏を噛み締めながら、見惚れた夜空。
通り過ぎた季節を思い出しては青臭さに面映くなるけれど、安易に名付けたくない、そんな大事なものがある。

フリーター、家を買う。

フリーター、家を買う。  有川 浩 2009 幻冬舎

じれったい。
じれったさでは、もしかして一番か!?
そこが第一声になるのは、WEB版に追加されたその後の部分があるからだ。
WEB版では物足りなかったところが、本書ではちゃんと補強されている。
でも、どす黒い頬って……。

感想は、WEB版で書いたとおりだ
フリーターになってしまった主人公。
その主人公が家を建て直す物語。二重の意味で。
家族を、立て直す物語になっている。
人生を、立て直す物語でもある。
表紙が意味深で、そしてよく内容を表している。

こんなに長かったっけ?
WEB版を読んだ時には、いろいろと不満も感じた。
それは、症状と診断だったり、対応だったり、母親の描写についてだ。
だから、ちょっと読む前はためらったけれども、買ってしまえばいつもの有川マジック。
その日のうちに読んでしまった。不満だったところも前ほど気にならなかった。
そう設定しておかないとこの展開になれないのもわかる、から。

働くってこと、私が好きなのは、今の職場、今の上司に出会えたから。
不況と言われ続ける昨今だけど、出会いをあきらめないでほしい。
この本には、そんな応援が込められているような気がする。
働くってことをあきらめないでほしい。家族と和解するってことも。
甘み成分は控えめだけど、がんばるヘタレに萌えな人にお勧め。と思った。

 ***

あー。でも、やっぱり気になったので、一つだけ書き加えておこうと思う。
検索数の伸び方を見ると、こういうのを書くのもちょっと勇気がいるが、自傷について。
リストカット、アームカットを代表として自傷(セルフハーム)は、臨床場面では特別なものではなくなってきている。
それは自殺未遂の切迫感を伴うものから、興味本位で人まねでしてみたものまで多様な相を見せるが、あえて言うならば、「必要なければわざわざそんなことはしない」ところで共通しているのではないだろうか。

新しい傷跡は日焼けさけないほうがいいと聞くが、すっかり傷跡になってしまったものは隠さなくてもいいのに、と私は思う。
主人公が母親のことを「半袖が着れなくなった」と思うシーンを読み、最初はそういう反応であってもいいから、いつか受け容れてあげてね?と思ったのだ。
乗り越えてしまったものであれば、それは困難に打ち克った記念碑でしかないではないか。
傷つきの表現ではなく、傷つきをやり過ごして今を生きている戦勝碑になるではないか。
その人が通り過ぎてきた歴史として、傷跡が見られても平気なものになればいいな。
自分の一部としてそこに確かにありはするが、もはや特別には意識しないものになっていけばいいな、と思った。

本人にとっても、家族にとっても。

2009.08.30

狐笛のかなた

狐笛のかなた (新潮文庫)  上橋菜穂子 2006 新潮文庫

人の心の中には、綺麗なものも醜悪なものも、共に在る。
そのことを、この作者はよく知っているのだと思う。

いつかどこかで見たような景色の物語は、幻想的で美しい。
「守り人」シリーズの作者が描く、日本の昔話の形を借りたファンタジー。
威余ノ国という架空の土地を舞台にした、一種の時代劇になっている。
たとえば、ひかわきょうこ『お伽もよう綾にしき』であるとか、柳原望『お伽噺を語ろう』とか、どちらもマンガであるけど、そのあたりを思い出してにまにま。
こういうジャンルも好きだー。

しかも、上橋さんの描くヒロインは、魅力的だ。
若々しくてたおやかでかわいらしい小夜も、守られるだけのヒロインではない。
一生懸命に大事なものを守ろうとする、力強い心と命を持っている。
まっすぐに育った若樹のように、しなやかで簡単に折れない。生きることをあきらめない。

世界には、復讐の連鎖という呪詛が渦巻いている。
それは現在進行形で紡がれている。
国の単位で更新されていることもあれば、個人の単位でも繰り返される。

復讐という呪いは強力だ。
まさしく、末代まで祟る。
呪いをかける身が、呪いに縛られる。
見ることは、見られること。使うことは、使われること。(p.265)
やられたらやり返すつもりが、やり返すことで自分はやられている。
その逆転に、どれだけの人が気づいているだろうか。

容易に断ち切れぬその連鎖を、小夜や野火は乗り越えていく。
同時に、二つの世界の断絶を、その<あわい>ですり合わせていくのだ。
私はこの結末に満足している。むごいとは思わない。
人の姿であることが、人であることが、ベストであるとは思わない。
相手を自分にあわせるのではなく、捨て身なまでに、相手に寄り添おうとした小夜の愛情が感じられる。
のみならず、小夜が自分を投げ出すことによって、霊狐を使役する一族の血脈を絶ち、未来の霊狐達をも守ることになる。
それどころか、小夜と野火の子孫は、いつか、霊狐の先祖たちのふるさとである<彼の世>にいたるかもしれない。

旅先に持って行ったこの本、帰り道は飛行機が空中で待機する羽目になったが、クライマックスを何度も何度も読み返した。
愛は自分を殺すことはできるが、相手を殺すことはできないのだ。
愛することができさえすれば、呪いを乗り越えていくことはできる。
きっとできる。

イスカリオテ(3)

三田 誠 2009 アスキー・メディアワークス電撃文庫

英雄は呪われた。

いや、英雄は呪わなければらない。
救世主が処刑されたように。裏切られなければ、彼の復活はなかった。
聖人が迫害されたように。殉職することがなければ、列福することはなかっただろう。
呪われてこそ、英雄は英雄になる。英雄には悲劇が約束されているものなのだ。

呪われた英雄の末路として、九瀬諌也の親友と名乗る男が現れる。
壬生蒼馬。青ざめたる馬に跨る者は、死神と決まっている。
その断罪衣は、ロギヌス。得物は、規格外に長い刀。
ロンギヌスなら槍がよかったなぁ。白黒の槍対決だったらよかったのにー。
そこだけ不満。むーん。

朱鷺頭玻璃のもう一つの顔のほうが、だんだんと重要度をあげていっている。
ベスティア達が何を望むのか。物語はまだまだ続きそうで先が見えない。
ノウェムが徐々に感情的になっていくところが微笑ましい。
その手を握っている限り、イザヤは簡単には堕落できない……はず。

本物の英雄にならないほうがいいと思うよ。

2009.08.19

里山のレシピ:益子・スターネットの台所暦

里山のレシピ―益子・スターネットの台所暦  星恵美子 2008 文化出版局

栃木県益子町というところは、里山なのだそうだ。
そこに、スターネットというギャラリーや治療院を併設する食堂があって、地元のお野菜を使った料理を供していると最初に書いてある。

中身は5月から始まり、月々の野菜や山菜を用いたメニューが、季節をじゅんぐりと回りながら紹介されている。
見映えは豪華というより、素朴で温かみがある。器の選び方や盛り方ひとつで料理の見映えなんて変わってくるものだと思うが、その温かみこそ里山のタイトルにふさわしい。
家庭で作れるようで、手がかかっているものの多い印象。手間を惜しんでいては供することのできない料理もある。
お惣菜という言葉がぴったりする気がした。御馳走なんだけど、なんだかあったかい感じがして、作るよりも作ってもらいたくなる。

一晩かけてつくる豆腐のサラダが美味しそう。豆腐をハーブとオリーブオイルに漬け込むんだって。
落花生御飯のおむすび、バジルのすいとん、太白いものポタージュあたりが食べてみたいかな。
焼きアケビってどんな味なんだろう。きのこまんじゅうも美味しそう。お稲荷さんも素敵。
セロリと落花生のきんぴらは作れるようになりたいな。これぐらいならなんとかなりそう。
食材とか色味とか、北関東だなぁ、と感じた。特に、御雑煮はまったく我が家のものとは違っていて、興味深かった。

表紙に山菜に引かれて、有川浩『植物図鑑』の後に買ってみた。ふきみその作り方も載っている。来年に頑張る……つもり。

2009.08.18

花のあしらい帖

花のあしらい帖 (オレンジページムック)  大久保有加 2009 オレンジページムック

一本からできるお花の飾り方。ポジティブ花言葉つき。

景色の中に自分以外の生物の気配があること。植物でいい。
たったそれだけで、部屋の空気がぐっと和らぐ。
おもてなしのためでもいい。誰かの心を慰めるためでもいい。
何よりそこで息する自分のために、空気が整う。

ほんの一輪か二輪。なにも特別な、高価な花でなくてもいい。
庭先で手折った花や、アレンジメントの中で長生きした花。花屋さんで一目ぼれした花とか。
その花をどのような器にどのように飾れば、貧相にならずにあしらうことができるか。
ガラスのコップに活けるだけのことが、ほんの少しでも見栄えよくできたら。

花を飾るってことは、贅沢でもなんでもない。
花の名前を知っていること。好きな花があること。
原産地、その仲間や生態、花のついていないときの姿など、たとえ詳しいことは知らなくてもいい。花言葉だって、気になるかどうかは人それぞれ。
身の回りのことに少し視界が開けていること。それが心の豊かさの指針の一つじゃないだろうか。

生活に彩を添えるための小さな工夫は、気軽にやってみようと思える。
写真集としてもなかなか綺麗。次は何をあしらってみようかな。

2009.08.17

感情教育

感情教育 (講談社文庫)  中山可穂 2002 講談社文庫

伊勢佐木町から始まる。
この冒頭の1ページを開いて、横浜に行く時の共に選んだ。
最後の夏を目指す、その道すがら。飛行機の中で少しでも休養を取るつもりにしていたことも忘れて、引き込まれるように読みふけった。

中山さんの小説は、繰り返し、繰り返し、姿を変えながら一つの恋愛が立ち現れる。
遁走曲のように、変奏曲のように、通底している作者の体験があるのだと思っている。
デビュー作を読んだ後は遠ざかり、最近の小説で読み直すようになったので、新しい作品ほど作者の体験が昇華されていることを感じるし、以前の作品ほど生々しさに満ちている感じがする。

この本は、作者が恋人とその子どものために書いた本だと、どれかの後書きで読んだ。『白い薔薇の淵まで』だったと思う。
だからこそ、後回しにしてきた。生々しいと、自分が凹んでしまいそうな気がして。
中山さんの文章は大好きなのだが、読むことにとてもエネルギーを要する。我が身と向き合う作業が、必ず伴うからだ。

産まれてすぐに母親に捨てられた那智の半生を描く、第一章「サマータイム」。
これだけでもお腹がいっぱいになりそうなぐらい、丹念に彼女の不幸を描く。この人生は、不幸あるいは不遇と言っていいだろう。
自分自身というものからは一生逃れられない、その無力感と閉塞感。ぐいぐいと自分の中の古い傷跡を押し開かされるような痛みを感じた。
男性から閉じ込められ、外界から切り離され、ふみにじられることしか、自分には許されないのか。その嘆きが、痛々しくてたまらなくなる。

第二章「夜と群がる星の波動」は理緒という、父親から捨てられた女性の半生を描く。
いきなり別の場所、別の人物の物語が始まり、那智は不在で、この本は短編集であったのかと目を疑った。
芝居が好きで、文筆家になって、同性愛というセクシュアリティを隠さずに生きている女性。
しばしば、作者が自分を投影させて書いているだろうと思われるタイプだ。
恋愛にのめりこんでは体調を崩す、このタイプの方に、私も自分を投影しやすかったりする。
しかも、大学の景色が自分の知っていたものに似ていて、いつも以上に親近感を持つことができた。私のときにはここまで華やかではなかったが。
章題は、サルバトーレ・クワジーモドという詩人の詩句の一節だそうだ。イメージの広がる、とても美しい言葉であるが、詩集はとても素晴らしいお値段なので手を出すのはためらわれる。

そして、第三章「ブルーライト・ヨコハマ」で、運命の二人がやっと出会う。
出会ってからはあっという間だった。前世から絆を結ばれた二人のように、出会ったときからしっくりと来るような二人の恋は駆け足だ。
しかし、理緒にとって、人妻であり、母親であり、もともと性的な関係で苦労をしてきた那智との恋は、波乱含みだった。
相手が既婚者であるだけで、望めないことが増えてしまう。そのあたりが一番切なくて、二人が死の海に臨んだときには、一緒になって魅入られてしまいそうになった気がする。

一晩でいい。共に抱き合いながら眠れたら。共に夜明けを迎えることができたら。たったそれだけのことが、許されない。
愛する人に、自分との恋愛の代償に、現在の家庭や生活を捨てろと言えるか。自分の幸福の代償に、現在の家庭や生活を捨てることはできるのか。
二者択一ではないはずのことが、二者択一であるかのように選択を迫られる。自分自身も、そうとしか事態を把握できないほど、疲れ果てて視野狭窄に陥ってしまうことがある。

作者は後書きに本書がその時の最高傑作と書いている。恋愛は終わっても、小説は残る。
美しい恋愛の記念碑として輝く本書は、恋愛小説としてももちろんであるが、被虐待からのサバイバーを描いた小説としても秀逸だと思った。

 ***

あなたと今後どうなるにせよ、あなたと出会えてよかった。人生はとても短い。愛せる人にめぐり会うのは奇跡のようなものだ。心を開いて、前を向いて、自分に正直に、生きていってください。(p.235)

2009.08.15

発達障害:境界に立つ若者たち

発達障害 境界に立つ若者たち (平凡社新書)  山下成司 2009 平凡社新書

障害を個性として丸ごと、受け止める。
そうできたら、どれだけよいことだろう。

専門書ではなく、解説書でもない。
今はもうなくなってしまった学校に通っていた生徒たちのインタビューで構成されている。
かつてはフリースクールと言われていた形態の無認可学校がある。学校であるとしても、無認可であるため、高卒などの資格としては認められなかった。
現在は、高校レベルの学校は多様化している。広域通信制とそのサポート校、単位制高校などなど。予備校で高卒認定試験の準備を提供することもあるし、ビデオなどを見ながら授業を受ける場合もある。
そういう制度と状況の変化の波に飲み込まれて消えてしまった学校の紹介が第一部。
第二部が生徒だった人たちの中から6人、生き生きとした様子が描き出されている。

LD(学習障害)、アスペルガー障害、軽度知的発達障害、ディスクレシア(難読症)など。
DSM-4の基準では、IQ70以下を精神遅滞と分類するが、それ以上ならall O.K. no problemかというと、そうではない。
精神医学的に問題があるかどうかではなく、こういった発達に関わる領域は、一人ひとりが困っているかどうか、その人自身が問題なく生活や人生をやっていけているかどうかが、問題なのだと思う。
IQは70以上であって、しかし困難を感じている人たちの問題を分類していくならば、境界知能などと表現したりもするけれども全般的に能力がやや低めであることだったり、発達障害、アスペルガー、ADHD、LD、療育の不十分による二次的な障害(虐待被害など)など、多様な状態像が立ち現れてくる。
障害の種類を知識として身につけることは大事ではあるが、この本では障害の名づけは横に置き、彼らが何を感じ、何を考え、どのように生きているのか、実際の様子が見えてくる。
一生懸命に生きているのに、どうしても不遇をかこつ現実が見えてくる。

誰が、どんな苦手を抱えているのか。
博物学的に分類して分類して、障害の名前は増えたけれども、個性として受け入れられる「普通」の幅が狭くなっているような気がしてならない。
アスペルガーの診断基準も読んでいて微妙な気分になるが、ADHDの不注意のあたりは全項目、自分にあてはまる自信があるもの。
そう思うと、障害と名づけはするが、それは何が苦手かを示しているだけに過ぎず、その人の特徴として、個性として受け止められるようになってほしい気持ちが強まる。
かといって、困っている人の困難は、どんなに頑張っても乗り越えようのないものとして厳然としてそこにあるからこそ、障害を障害として、困難を困難として、問題を問題として、認めないこともしてはならないと思うのだ。
そこで戦っている人と出会った時には、特に。

 ***

少なくなっていく子どもについて、かつてより手をかける余裕が生まれたことで、子ども自体はより手がかかるようになり、やがて手に負えなくなるに至った、という皮肉めいた現象が起きているように思えるのです。(p.48)

2009.08.07

萌える☆哲学入門:古代ギリシア哲学から現代思想まで

萌える☆哲学入門 ~古代ギリシア哲学から現代思想まで~  小須田 健 (監修)  2009 大和書房

わざわざ、萌えにしなくてもよいと思うのだが……。
とてもコンパクトに哲学史をまとめてあって、文章面の内容は非常にまとも。高校生から大学の一般教養の倫理哲学には十分に対応可能。
どのあたりが萌えなのかというと、可愛らしい女の子のキャラが道案内役にしてあるところか、それとも哲学者のイラストがそれとなくイケメン風に描いてあるところ……なのかな?

いや、うん。いえっさとブッダがイケメンになると、ほら、聖☆おにいさん風味で……もにゃもにゃ。
どの人がどんな風に美化されちゃっているか、そのあたりを見比べると、妙にテンションがあがりました。
でも、フーコーはどうにも加工できなかったのか、おっさん萌えな人向け? レヴィ=ストロースもか。
カントがうっかり好みな感じで動揺。キルケゴールはもともとが美形系だとは思うけど。
……と、ぶつぶつつぶやきながら、ぶはぶは笑いながら眺めてしまいました。

生き様死に様データなんかもまとめてあって、ゲームの攻略キャラのようになってしまっている。
その特技の項目が、これまた秀逸で、編著者たちのセンスが生きている。
ユニークな入門書だ。ほんと、攻略マニュアルって感じ。
ひたすらぐだぐだと思考することが好きにな人は、ぜひ、哲学そのものへの萌えを感じてもらいたい。

2009.08.05

ZOO2

ZOO〈2〉 (集英社文庫)  乙一 2006 集英社文庫

やっと読んだ。
読み始めると早いんだけど、忙しいのと前半がアレだったので、なかなか手をつけられなかった。

「血液を探せ!」
譫妄でくるのか? それとも、誰か幽霊か?? とか、勘ぐっていたら、普通に犯罪モノ?だった。
シチュエーションは普通じゃないけど、会話がかみ合わないイライラする感じ、もどかしい感じが、とてもよく描けている。
面白いけど、読んでいてイライラ。主人公にとっては一種のハッピーエンドになるのかなぁ。

「冷たい森の白い家」
これまた、神話的な一編。抽象度が高く、オイディプスのように皮肉で理不尽。
後悔もなければ、救いもない。そこには、何も残らないのだ。
想像するとえげつないんだけれども、絵画のように美しく光景を思い浮かばさせる。
ドラクロワのように。でも、色彩はシャガールのように。
ああ、浮世絵にも、人が寄り集まって人の顔をなしているものがあったなぁ。作者を忘れた……。

「Closet」
家具編第二段。
これは予想内に普通の範囲で物事が進んだ気がする。
内容は気楽ではないのだけれど、読んでいて気楽だった。
乙一さんのことなので、フユミにもっとひねりがあるんじゃないかと、どきどきしたけれど。
犯罪モノ転じて、変質モノ?

「神の言葉」
あー。太宰の『人間失格』のオマージュのような短編だった。
『人間失格』の主人公にはなかったが、この短編の主人公には「神の言葉」が与えられていた。
それは、言葉であるが、文章に表す力ではない。声であり、声にこもる特別な力である。
乙一さんって、指へのこだわりが強い人だと思う。手よりも、指。この短編でも、指へのこだわりが見られる。
人物画を描く時に指を描かない子どもがいるが、そういう子ども達に対するのと同じ心配が湧き上がった。

「落ちる飛行機の中で」
文庫本のための書き下ろし。そこを逆手に取ってくるあたり……。
囚人のジレンマのような会話が緊張感なく、緊張しなければならないような場面で繰り広げられる。そういうノリが好き。
でも、そこで面白おかしく終わらせないんだよ、この作家は。
死にたいからといって殺人した人をすみやかに死刑にした。その後の無力感を想起する。
人生は理不尽なものではあるけれど、世界には美しいものがあることを忘れてはいけない気がする。

「むかし夕日の公園で」
うんうん。出さなくて正解。
こういうのを子どもの時に読んだら、しばらく砂場が怖くなっちゃうかも。

総じて、感想を集約するならば、気持ち悪い~~~。
最後のほうは食傷してしまったというのもあるし、「陽だまりの詩」のような息抜きポイントがなくて、1冊目だけで十分だったかなぁ。

2009.08.04

あの海の日

あの海の日  野寺治孝 2006 ピエ・ブックス

南の島に行きたくなるとき。なにもかも置いて、なにもかも忘れて、なにもかも捨てて。
そんなときは、南の島の山にわざわざ行こうとは思わない。
やっぱり、憧れるのは海辺なのだ。

海の青、空の青に溶けてしまいたくなるような憧れを持つときは、きっと自分が疲れているのだと思う。
白い浜、白い波、白い雲。人も目に映らぬほどの広い空間の中で、ただただぼうっとしてみたい。
そんなときに、とりあえず、今いる場所から気持ちだけ逃避するのに便利なツールがこの本。
まるでよく冷房の聞いたホテルの窓から眺める浜辺の景色のように、心が誘われる写真集だ。

お気に入りの一枚を見つけたら、しばらく見入ってみよう。
汗ばむ気温、潮の香り、止むことのない波の音、潮を含む風の爽やかだけどべたつく感じ、肌をじりじりと灼く日差し。
きりりとよく冷えたモヒートを片手に、多分、夏の旅行のプランが頭に浮かんでいるだろう。

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