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2009.06.15

悪人

悪人  吉田修一 2007 朝日新聞社

これが新聞に掲載されていたのか。
読み終えて、その意義を考えさせられた。
そもそも、悪人とはなんぞや。

これも読み始めるまでにしばらく積んでいた本であるが、読み始めたら一気であった。分厚さは読むうちに忘れた。
見知った地名、見知った景色。そして、人々の姿は等身大で、近所に息づいていても不思議はない。
女が男に殺された。よくある事件のひとつとして小さく報道されて終わりになるかもしれない。
男女それぞれの家庭や職場の生活、周囲の人々を描くことで、小さな事件の当事者にとっての大きさを思い知らされる。

加害者が殺害に至るまでのやりきれなさと、殺害後の逃亡生活を招いた出会いのかけがえなさに、加害者に対していくぶんかの同情を感じた。
被害者に対して同情しきれなくなるような設定の妙であり、それ以上に、むかつく登場人物の配置といい、善悪は二元論のような単純なものでなくなる。
加害者は悪であるとして、果たして、被害者は善かと言えば、そうではないのだ。

法で裁く悪は、法で規定されているものに過ぎない。その意味では、悪人とは犯罪者である。
しかり、心情を踏まえた上で語られる悪を規定するのは、倫理である。宗教であることもあれば、信念であり、関係性である。
本当の悪とはなんぞや。それは、容易に答えることをためらわせる問いである。私にとっては。

裁判官制度が導入された。裁判で裁くのは法で定められた悪である。
そのあたり、自分はきちんとできるのかな。今、もしもこの事件を裁く側に回るとしたら、自分はどうするのだろう。
加害者に対して同情の余地があると、被害者に対して同情できない余地があるとして、量刑を判断することはふさわしいのだろうか。
情状を酌量することで倫理的な判断が加わることになるとすれば、それは裁いてもよいことなのだろうか。
いろいろと考えさせられた。何はともあれ、殺人はいけない。

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コメント

「悪人」とは・・・と、考えさせられる作品でした。いくら考えても、自分自身の答えは見つけられないままです。裁判員制度が始まったこのタイミングで読んだので、余計に悩んでしまってるんだろうけどね。
この作品を読んで、ますます「裁判員制度」への不安が積りました。「人を裁く」という行為を、自分には到底、出来るとは思えない・・・。

すずなちゃん、ども。
本当に「人を裁く」ことって、その責任が恐ろしく感じられます。
アメリカでは日本のように「情状酌量」を重視しないと聞きます。
犯した行為そのものを判断することと、背景や人格まで視野に入れて判断することは、まったく次元が違う話のような気がして。
そのシステム自体が異なるのに、陪審員制度もどきを導入するのも変な感じです。

読者に考えさせる。それが、この本の持つ力ですね。

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» 悪人(吉田修一) [Bookworm]
ふー。 読み終わった後に、このタイトルが重く深く圧し掛かってくるよう。もやもやとスッキリしない気持ちを持て余してしまいます。 [続きを読む]

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