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香桑の近況

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2009年4月

2009.04.29

かぐや姫の結婚:日記が語る平安姫君の縁談事情

繁田信一 2008 PHP研究所

月に帰るかぐや姫の解題ものかと思いきや、『小右記』という藤原実資という貴族が書いた平安時代の日記を解説したものである。
藤原道長の一族が栄華を極める頃、道長反対派でありながらも敬意も払われた名門貴族にして賢人。その実資が、老いてから得た娘に長生きするように祈りをこめて千古と名づけた。その娘は世に「かぐや姫」と呼ばれたという。
帯のコピーが最悪だと思ったが、面白かった。幸せを探した女性の物語ではなく、愛娘の幸せを求めてやまない父親の物語である。

本屋さんで見かけたときに気になり、他の本屋さんでも見かけたときに買うことを決めた。久しぶりに、「呼ばれた」本だったのだ。
平安時代の雰囲気は好きだし、古文の音の響きは大好きだ。文化史になると、もひとつ興味深く思う。
とはいえ、源氏物語といえば『あさきゆめみし』を真っ先に思い出す程度の私であるから、『更級日記』『大鏡』『栄花物語』のタイトルは知っていても読んではいない。
これらの日記ものや平安時代の文学を好む人にとっては、この『かぐや姫の結婚』は姫君たちの実際の生活をより具体的に理解するための助けになるに違いない。
また、生活を知ることから、彼女たちのメンタリティにまで迫ることができるだろう。姫君たちを育み、取り巻く価値観や世界観を知ることは、文学を読むときの理解を深めてくれる。

『小右記』は、実資が982年(天元5年)から1032年(長元5年)ぐらいの間、書いたものが残っているのだそうだ。この本を読んでいると実に残念になるのだが、ところどころは欠損している。
実に50年分の日記。しかも、漢文で書かれている。
それを読みこなせるのだから、著者はすごいなぁと羨ましくなった。漢文や古文を、その美しい響きの音のまま、読むことができるなんて。
こんな風に読めるなら、世に読むことができる書物の世界がぐーんと増えるではないか。一次資料を読みこなせるというのは垂涎である。

それにしても、道長って嫌なやつだなー。下半身のけじめがついていないから、多くの娘にも恵まれて、権勢を得ることができたんだけどさ、見境ないなぁ。
そういう感想を述べたくなるほど、登場する貴族たちは実に人間臭い。著者の目線はどの人にも公平で、語られていない部分も緻密に推理を重ねながら、歴史の中に名を残す人々の人間らしさを織り上げていく。
婚姻関係も単純な一夫一婦制ではなく、養子縁組もあるようなややこしい人間関係については、その場ごとに相関図が示されている。
また、日記の時点ごとに、関係者たちの年齢や身分の一覧表が作られていたり、貴族の長寿番付なんてものが整理されていたり、通時的にも継時的にも事態を了解しやすく配慮されている。
古典を読むときに、身分が変わることや、身分が変わることで呼び名が変わることに戸惑わされることがあるが、そういったシステムがどのようなルールで動いていたかも、この本は教えてくれた気がする。

物語ではないからこそ、「もしも」は成り立たない。
すでに過去のものとなっている歴史を誰も変えられない。
時間は流れ去り、それを取り戻すことはできないのだ。
これが物語であったなら、もっともっと幸せな結末を思い描いたかもしれないが、人生とはままならぬものである。今昔を問わず。
昔の人の人生をそのまま味わうことの悲喜が切なく、月を見上げたくなった。

2009.04.21

母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き  信田さよ子 2008 春秋社

そこに、愛はないのだろうか。
愛の名のもとに母親は支配や共依存(依存されることに依存すること)をしかけ、怒りと罪悪感、無理解と絶望が娘を雁字搦めにしている。
そこから逃げ出さなくてはならないのか。娘に母親から逃げ出せる可能性はあるのか。娘は母親をすでに内在化しているというのに。

小難しい本ではない。文字は大きめで、具体的な事例も多く、簡潔にさっくりと、密着する母と娘、不在をかこつ父が織りなす家族の問題と処方箋を描き出す。
どことなく殺伐とした気分になるのは、娘の愛されたいという願望と、母親の中にあるかもしれない無条件の承認や愛情の部分が、措かれているからだろうか。
斎藤環『母は娘の人生を支配する』と続けて読んだが、『母は娘の人生を支配する』は男性の目線から「母-娘」関係を発見しなおす。母から娘の束縛性を普遍的なものとして取り扱っているところから、病的とまではいえない母娘にまで開かれている。
それに対して、『母が重くてたまらない』は「母親」(現実であれ幻想であれ)の束縛に明らかに苦しんでいる女性に向けて描かれている。女性である著者が、豊富な臨床経験の中から紡ぎだす娘の苦悶は実感がこもっており、母親の欲望の醜さと戦略のあざとさに打ちのめされるのだ。
多少、光の当て方や切り口は異なっているかもしれないが、だからこそ、2冊をあわせて読むことは母と娘の問題への理解を深めることになるだろう。

私は墓守娘の資格は十分だ。そう思い、なんとも言えない共感をもってタイトル買いした。
一人っ子で独身。兄弟もおらず、夫もおらず、子どももおらず、夫もいないから養子も持てず、間違いなくうちの家系は私で途絶える。最後の墓守である。
何年も前のこと、母は私に「総領は親が死ぬまで家を出られないのは当たり前だ」と怒鳴った。その後、何度、結婚を促されても、私の心は冷えるようになった。どの口で、それを言う。母はそんな啖呵は切ったことがない、忘れたと言うが、私には決して忘れられない一言である。
逆に、何度も家を出ようと思った。家を出る手段として手っ取り早く結婚を思い浮かべないこともなかった。私は男運の無さに自信があるのも難点だった。
結局はあきらめて、そこそこ隷従しつつ、じわじわと自分の領域を増やしている。そんな母にわかってもらいたいとか、変わってもらいたいという願望はいつの間にかあきらめた。そんな母であっても嫌いではない。そして、そんな母と過ごせる時間も先が長くないと感じている。それなりに愛しく、私にとってもはあまりにも大きな存在である。
今になると時々、両親と老後や死後の後始末を話すことがある。あまりにも墓をどう守るかという話題が重くなると、私は言い返すことにしている。私は無縁仏決定なんだけど、と。私が両親の墓をどうにかすることができるとしても、それはあくまでも私の代までだ。私を看取り、弔う人間はいないのだが……。順番通りならね。

そういう墓を守る段になったときの孤独感を扱うことを期待していたので、少し物足りなさを感じているのかもしれない。
纏綿とした関係も、究極では死が救済となることもある。もちろん、折り合いがつくならそれに越したことはない。
臨床家にとっては、母親、父親、娘自身に対する心理教育的なアプローチの材料を、惜しみなく処方箋として示してある点が非常に有益になろう。
その箇所は、現に悩んでいる人にとっても、温かな励ましの言葉、生き延びるためのヒントになることは間違いない。

ただ、忘れずにおきたいことは、母もまた誰かの娘であったという、そのことのような気がする。
だから、母とも娘同士という立場で連帯ができる希望を持っている。女同士という立場で連帯することがなかったとは言えないのだし。
重たいのは重たいけど、まあ、しょうがないさ。

2009.04.20

母は娘の人生を支配する:なぜ「母殺し」は難しいのか

母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)  斎藤 環 2008 日本放送出版協会

精神分析を始めとする心理学系の本を読んでいて、わかってないなぁと冷ややかな笑みを浮かべたことはないだろうか。
いや、小説でもいい。男性による女性の心理の描写の限界、心理の理解の限界、あるいは、ファンタジーの在り処を感じて、冷笑か溜め息が出ることがある。

本書は、ひきこもりを専門とする臨床家である斎藤環が、ひきこもり症例の男女差から出発して、「母-娘」関係は、「母-息子」関係とは異なる様相を持つこと、ましてや、「父-娘」関係、「父-息子」関係とも異なっていることに問題意識をもって語り始める。
男性が、「母-娘」関係の特異性に注目することは少ない。なぜならば、男性は「母ー娘」関係の中には存在しないからであり、無関係だからこそ気づかない。にもかかわらず、「母-息子」関係、「父-娘」関係、「父-息子」関係の単純さとは比較にもならないほど、「母-娘」関係は複雑に入り組んでいる。
あったりまえじゃーん。と言えるのは、おそらく、女性の読み手であろう。
その女性にとってはおそらく日常的に体験する、娘の立場から母親との間に巻き込まれる愛憎、あるいは、母親として娘との間で繰り広げられる愛憎に、どのように男性が理論的に切迫するかが、本書の読みどころの一つではないだろうか。

著者が男性である以上、自分自身の感覚や体験から語ることはできない。
材料となるのは、ひきこもりや摂食障害といった母-娘関係が重要なファクターになりやすい症例や、新聞や雑誌の投書、事件報道、あるいは、小説や少女マンガ、映画など、多彩である。
よしながふみ『愛すべき娘たち』が使われているのは、ファンとして嬉しい。萩尾望都『イグアナの娘』や角田光代『マザコン』、川上未映子『乳と卵』など。物語の読み解きでは大塚英志がワンクッションとして入るところも、私にはとっつきやすかった。
それらの材料を縦横に組み合わせながら、母による不可避的な支配と娘は戦っていることを浮き彫りにする。
母の呪縛はこれまでも様々な切り口で部分的に理論化されてきたことを俯瞰し、しかも母親側も女性性と母性という困難さを抱え込まされていることをまで指摘する。ルソー以来の、社会制度に組み込まれた母性である。
不遜かもしれないが、この中では、私が普段書き散らかしていることが整理されているような気がして、私もあながち間違ったことを言ってないなぁ、と思ったりなんだり。

著者がさすがであるのは、安易な解決法を提示しないところだ。
そもそも、治療すべき課題であるのか?と極めて慎重な姿勢を見せる。とても冷静で好感が持てる。たとえ、母が娘に、娘が母に困っていても、それが医療に持ち込む問題であるかどうか、個々に判断する必要がある。

娘が母親を殺すことなく生き延びることは許されないのだろうか。
私自身を思う。私の母を思う。非常に母子密着しがちの親子関係だと思う。一人っ子として、理想の娘役と同時に息子役を背負わされていると感じ、家を出て過ごしたこともあった。再び同居してからは喧嘩も多い毎日があったが、今になって、私は同居しながら結構好き勝手に生活できるようになった。
おそらく母が死んだとき、私は孤独感と解放感の両方を味わうだろう。そうしてみると、父親よりも、やはり、母親のほうが、私の人生におけるインパクトが大きい。
ほどよい母親であることは難しいと言われる。同じように、ほどよい娘であることも難しい。しかし、そうしてお互いにほどよい距離を探していくほか、ない。
近すぎれば束縛でしかないものも、緩めれば絆になる。断ち切ればよいとは限らぬ。

タイトル買いした本であるが、手元に届いて見ると、表紙のイラストはよしながふみだ。本屋で見かけていたら、ジャケ買いしていたかもしれないなぁ。
母子関係とは直接関係ないトピックとして、オタク文化の男女比較なんてあたりも面白かった。
ある程度の心理学になじみがないとわかりづらい箇所もあるかもしれないが、女性のみならず、男性とも共有したいトピックだと思った。

2009.04.19

愛すべき娘たち

買ったきっかけ:
初めて読んだ、よしなが作品。
雑誌でこのうちの一話を読み、続きを追い、今はゆっくりよしなが作品を集めている。

感想:
斎藤環『母は娘の人生を支配する』に、このマンガが題材として出てきて、読み直してみた。
オムニバス形式で、何人もの愛すべき娘たちが登場し、そこかしこで涙があふれた。
登場人物それぞれの不器用さが愛情をもって描かれている。その不器用さと、切実さや真剣さが愛しくなる。
愛しくて、愛しくて、涙が出た。かつての自分、かつての友達、今の自分、今の友達、あるいは母親、いつかどこかで出会い、すれ違った女性たちを思って。
絵の描写も好きだが、言葉の一つ一つが胸に響く。記憶に残る言葉が多い。確かに、分かっていることと、許せることと、愛せることは違う。
この錯綜したしがらみを束縛として窮屈さを感じることがあろうとも、確かにその絆に結び繋がれながら生きていることが、この作品を通じて温かく受けとめられるような気がした。

おすすめポイント:
娘から母へ、母から娘へ。愛しいとは言い切れないこともある。けれど、愛すべき不完全な女達の物語。
図式化されていたとしても、だからこそあえて、読み手はそこかしこに自分を見出すことができるのではないだろうか。
まったく断絶を感じていた相手とも、女というだけでかすかに通じ合うようなことがあるよね、と頷きたくなるリアルさがあった。
もしかしたら、男性同士にもあるのかもしれないし、人間同士にあるものかもしれないけれど、女である身には女性同士のゆるやかな連帯感を鮮やかに印象深く描き出した作者に、こころからの拍手を。
そこに、愛がなかったとは言えないと、知ることができるから。(2006/6/7)

愛すべき娘たち (Jets comics)

著者:よしなが ふみ

愛すべき娘たち (Jets comics)

2009.04.16

(雑誌)ヒトモドキ

有川浩 Story Seller vol.2 2009年春号

言葉は通じる。でも、話は通じない。
そんな相手に、「話し合えればわかるはず」という理想は幻想だったことを思い知らされたことがあるだろうか。
そういう体験のない人が読んだなら、どのように感じるのだろうか。空想だと切り捨ててしまうだろうか。

でも、そういう話が通じない気持ち悪さを、私は知っている。
だからこそ、この小説に引き込まれた。途中で手放せなくなるような気持ち悪さだ。
明るい話を読みたかった気分だったにもかかわらず、寝る前の読書時間が夜更かしの元となってしまった。

こういう人っているよなぁ。
人というか、ヒトモドキな人。
本人は困らず、周りを困らせるような人のことだ。
そういう人を伯母にもった女性が、この話の主人公だ。

それを性格や個性として捉えるか、疾患や障害として捉えるか、どっちがふさわしいのかわからないけれども。
近所であるだけで被害をこうむることもあるが、親戚となればその被害の後始末を背負わされかねない。
戦後の民法に変わって何十年も経つのに、依然として旧民法のような精神風土の地方都市に住んでいると、切っても切れない縁というものに慄然とする。
どうか、迷惑だけはかけないでくれ。何を起こしてくれてもいいから、他人でいてくれ。縁もゆかりもない、他人で。

有川さんは、こういう周りを困らせる人、困らせられている人を、結構、書いている気がする。
その点、珍しいとは思わなかったが(なにしろ作風が拡大中の作家さんだし)、ラブコメを期待すると肩透かしにあうだろう。
殺人が起きなくてよかった。やれやれ。

Story Seller Vol2 2009年 05月号 [雑誌] Story Seller Vol2 2009年 05月号 [雑誌]

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2009.04.09

聖☆おにいさん(3)

買ったきっかけ:
灌仏会ですから。
やっと本屋さんで見つけました。
マンガは各巻で感想を書いていられないので1巻目だけにしておこうとマイルールがあったはずですが、嬉しいのでつい書いてみる。

感想:
何階、建てたらバベられるか? ドーハのあたりが一番危険??

四大天使が出てきましたー。
梵天やマーラも出てきましたー。
すいません。宗教ネタ、問題なくわかってしまいます。聖書なら読んでます。経典・仏教説話もそれなりに読んでます。
だけど、元ネタを知らなくたって、きっと楽しいはず。

私にはファンタが一番のツボでした。
もうねえ、なんでこんなに楽しいの! 大好き☆
ああ、いかん。読み終えたと思ったら、また読み返してしまいます。
でも、ゴッキーはちょっと……。(^^;;

おすすめポイント:
二大宗教家の愛に満ちたマンガです。
スケールの大きい二人が、ちまちまと生活している可愛らしさのギャップがいいんですかねぇ。

今ならTシャツが抽選であたります。応募しちゃおうかな。うずうず。

聖☆おにいさん 3 (3) (モーニングKC)

著者:中村 光

聖☆おにいさん 3 (3) (モーニングKC)

チャンネルはそのまま!(1)

買ったきっかけ:
もともと佐々木倫子さんの作品は好きでした。『動物のお医者さん』や『おたんこナース』はあまりにも有名ですが、個人的には『ペパミント・スパイ』がベスト。
最近の作品は追いかけていなかったのですが、これは有川浩さんがブログで紹介していたのです。

感想:
主人公の女子が、運だけはあるトラブルメーカー。
周りは災難に見舞われる。でも、抜群に運がいい。
初のバカ枠採用の女子。バカ枠ってなんだ?

テレビの裏側は、私にはとても縁のない世界ですが、業界にかかわらず、どこの世界でも新人って苦労があるんだろうなぁ……。
ところが、主人公は苦労を苦労ともしないから、読んでいるこちらは、がははと笑ってしまいました。楽しかった〜。

おすすめポイント:
どこまでがアクチュアルなのかわからなくなる抜群の設定とキャラ設計。容赦なく笑わせてくれるところが、佐々木さんの魅力健在です。
新入社員の方も、そうでない方も、新年度の疲れが溜まってきたなと感じたら、リフレッシュにどうぞ。

チャンネルはそのまま! 1―HHTV北海道★テレビ (1) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

著者:佐々木 倫子

チャンネルはそのまま! 1―HHTV北海道★テレビ (1) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

2009.04.08

今日もやっぱり処女でした

今日もやっぱり処女でした  夏石鈴子 2008 角川学芸出版

ちょっと、どきっとしてしまうようなタイトル。
「やっぱり」のあたりのニュアンスが気になって、手に取った本だ。
読み終えてから、巻末の広告を見ていると、『バイブを買いに』の文字。
ああ、同じ作者だったんだ。そっちは書評が気になっていたけれど、本屋さんでうまくめぐりあえず、未読のままの本だった。

健康な、のんびり女。
主人公あおばのセルフイメージだ。
恋愛はしていない。就職したが、くたびれて退職した。やりたいことはあるが、やれるかどうかはわからない。
派手な事件が何一つあるわけではない。けれども、きっと多くの人が過ごしていそうな何事もない生活。
その中で、そのままでいいのか、迷っている。

先日まで観ていた「母さんに角がはえた」という韓国ドラマを思い出した。
韓国ドラマといっても美男美女が売りのものではなくて、橋田壽賀子が韓国にもいるんじゃないかと思われるようなホームドラマだ。
そのドラマの中では、子ども達がそれぞれ成人して家庭を持った頃、更年期を迎える頃の母親が「一年間の休みが欲しい」と家を出る。
この小説の中で家を出たのは父親のほうだったけど、家を出るのって流行なのかな。社会の閉塞感が言われて久しいけれど、家庭や家族にも閉塞感があるんじゃないか。
「昔の人」って、それが当り前だからという一言で、生活を、人生を、どうやって割り切ることができていたのだろう。
それしかなかったら? そうするほかになかっただけ?

あおばの人生に対する戸惑いに、いつか来た道を見出す思いだ。
当り前のように勉強し、当り前のように就職し、当り前のように家庭を持つ。
その前に、当り前のように恋愛して、人生に波乱万丈の語るべき物語を満ち溢れさせることからできていない。
果たして、そのような何事かは、自分の人生に送るのだろうか?

いや、逆だ。どうして、当り前のことを当り前だと割り切って受け容れたり、その当たり前のことさえも当り前にやり続けることができなくなっているのだろうか。
そもそも、私達は当り前に家庭を営むための教育を受けていない。学校教育という狭い意味ではなく、社会的なメッセージとして。
その断絶を軽々と乗り越えられる人もいるけど、勝ち組と負け犬と大別されたときに自己実現という教育目標の提示する矛盾に戸惑ってしまう人もいるのだ。
だって、どっちもうまくやれるほど、器用じゃないし。欲張りじゃないし。そんなにガツガツできないよ。なれないよ。

でも、時間は流れるわけです。
私はあおばの戸惑いの時期は通り過ぎたんだと思う。福貴子さんのように人生を変える出会いに既に会っているもの。それは結婚ではないけれど。
人生は捨てたものじゃないのよと誰かに語って聞かせる立場のほうが近くなった気がする。
下を向いて歩きたい気分の年下の誰かのために、心をこめて『ドナドナ』を歌ってあげたい。これはいいアイデアだ。

続編があってもいいかな、と思えるような、24歳の女性の日常を切り取った作品。
古きよき東京の言葉の残る、あおばの口調も愛しい。温かみがあって、穏やかで、私はこの小説が好きだな。
私の人生こんなものなのかな? これでいいのかな?と思ったことがある人、思っている人に勧めたい。

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