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2009.02.08

千々にくだけて

千々にくだけて  リービ英雄 2005 講談社

9.11。
この3つの数字が表すものは、8.6や8.9、あるいは、8.15よりも、今の日本ではよく憶えられているかもしれない。
最近では、1.17のインパクトも、忘れられがちな気がしてならない。
9.11。
この数字を見ただけで、繰り返し流された、その後、放送が自粛されたニュース映像が目に浮かぶ。
あの時、何が変わったのだろうか。

主人公は作者自身と重なり合うような日本在住の米国人男性である。
アメリカ東海岸に住む家族に会うために主人公が飛行機に乗っている最中に、同時多発テロが起こる。よりにもよって、妹が住むのはN.Y.。母親が住むのはワシントンD.C.。
主人公はカナダ乗り継ぎの便を選んでいたので、カナダに到着するのは当然だったが、そこで数日間の予定外の足止めを食らう。
その数日間を写実的に描いた短編と、その半年後を描いたもの、そして、作者自身の経験を書きとめた覚書が収められている。

『Man'yo Luster』と題された万葉集を見つけたときの驚きは今も鮮やかだ。
今回も本屋さんをうろうろしているときに、本に呼ばれて手に取った。
感想を書こうとして調べてみたら既に文庫化されているが、私を呼んだのは銀色の表紙が鮮やかな単行本。
短い小説であるが、これは一気に読むのがつらかった。少しずつ、数日にわけて読んだ。
そうしないと耐えられない重たさだった。

タイトルは「島々や 千々にくだけて 夏の海」という芭蕉の句から引かれている。
水銀のような水面が波に千々にくだけて。飛行機から眼下に見下ろした景色と、飛行機によって千々にくだけていく二つのタワーの映像が、主人公を、世界を、千々にくだけちるかのような危機にさらす。

 All those islands!
 Broken into thousands of pieces,
 The summer sea.

主人公の思考は、日本と英語の間で揺れ動く。作者は端正な日本語を書く人で、主語が明確な文法の正確さにかろうじて欧米言語による思考の名残を感じる。
しかし、作中の主人公は、英語を耳にすると瞬間的に日本語に訳してみたり、日本風のカタカナ英語にしてみたり、日本語で思考している。時に、訳しづらい表現に出会ったり、いくつもの意味合いを汲み取ったり、戸惑いもする。
その思考の過程、二つの言語の間で思考がぶれる有様の描写に舌を巻いた。
まさしく、こういう経験を知っている。私の場合、一つの言語文化圏から他の言語文化圏に移動するとき、表現する言語を切り替えるのに「えいっ」と気合が必要なのだ。表現する言語を切り替えるためには、思考する言語も切り替えないといけなくて、思考する言語が切り替わるとなかなか元に戻れなかったり、頭の中に時差のようなものが生じる。
まあ、そんなに、英語が得意なわけじゃないけれど。
つたない語学力しかない私でも感じるような戸惑いを、翻訳家でもある著者は、とても見事に描き出し、しかも、その揺れが予想外に日本でもアメリカでもない場所に足止めされた主人公の所在のなさの表現となっている。

自分の想像力の狭さを感じた。あのニュースは衝撃的で目が離せず、気持ちがとても揺さぶられた。人間には露悪的なところがあって、恐怖心を感じながらもそれに触れずにいられなくなることがある。
数日後のアメリカのニュース番組では、目が離せなくなっている人は今すぐテレビのスイッチを切るようにとアナウンサーが繰り返していた。映像による心理的な二次被害も少なくなかったことだろう。
しかし、私は自分自身はもちろん、自分の知っている人も直接には巻き込まれなかった、ブラウン管のこちらからしか、見ていなかった。
巻き込まれはしなかったにしても、マンションのベランダに白い灰と書類の切れ端が積み重なった人の気持ちを感じることはできなかった。
封鎖された国境。アメリカ上空に入ることを許されず、カナダやメキシコに着陸する羽目になった人たち。彼らもまた事件の当事者だ。
そして、家族や知り合いに電話しても、電話しても繋がらない、もどかしさ。阪神淡路大震災のとき、友人達の安否を確かめるために何日もかかったことをようやく思い出す。

主人公は、「想像できないことを想像しようとしていた自分が、愚かに思われた。知らない人が殺される前の最後の数秒を思い浮かべようとしていた自分が、恥ずかしい」と語る。
同情や共感というのは、きっとそういうものではないのだ。他者の内面に一体感をもって、無理にでも自分のことのように感じなければならない、というのは、倫理的な要請ではないのではないかと考えさせられた。
私の中ではうまく咀嚼できていないが、多分、心理的な合一を求めるものは、倫理ではなく、正義でもなく、宗教は求めがちかもしれないけれど、もっともっと現世的な利益が絡んだ、おそらく政治的な要素の働く、ファシズムに通じるような何ものかであるのではないだろうか。
無理に当事者になることはできない。なることができると勘違いしてはならない。更に、そんな勘違いをした第三者が、復讐を代行するのは大きな間違いである。

主人公が、作者が思いをはせることは、多様だ。
その一つ一つに読み手も思いを馳せることになるだろう。そのすべてにここで触れることはできない。
しかし、この日の出来事がアフガニスタンやイラクにおける戦争に繋がっていくのだ。ここから、更なる変化が始まったのだ。
変化についての問いかけが印象深かったので、それだけ最後に引いておく。
変化を「革命」に置き換えてみると、共産主義の革命を続けているという国を思い出して、苦笑いしたくなった。
だからこそ、for what?という問いを、もう一度、想起したい。著者が最後に書いた、この問いかけを。

 Things changed
 ものごとは変わった。変わった、ということは、いつまで続くのか。変わった、ということは、いつになったら終わるのか。(p.139)

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