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香桑の近況

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2009年2月

2009.02.28

よくわかる自閉症:「関係発達」からのアプローチ

よくわかる自閉症―「関係発達」からのアプローチ  小林隆児 2008 法研

発達障害関連の本を数冊読んでみたが、コアとなる自閉症を理解するには、この本がわかりやすかった。
自閉症および発達障害の病因論には歴史的な変遷があるが、医療にエヴィデンスが求められる昨今、わかりやすいエヴィデンスとして脳の研究を中心に進められている感がある。
しかし、著者はあえて母子間の関係発達から自閉症および発達障害を捉え、コミュニケーションの特徴に注目する。

精神疾患の診断基準の一つであるDSMで用いられているdisorderという言葉を「障害」と訳すことで、いくらかの偏見や誤解がもたらされやすくなったように思われる。
発達障害もそうで、障害と名づけられ、しかも脳機能に起因づけられるとしたら、なんだか永久に変わらないもののような印象を受けはしまいか。
しかし実際には、発達に偏りがあろうと、そこから発達を促すような適切な関わりを得ることで、偏りは緩和され、より適応の度合いもよくなる。杉山登志郎『発達障害の子どもたち』を読んで、その可能性をずいぶんと考えさせられた。
本書の著者である小林も、その点を鑑みて、あえて「発達障碍」と表記する。また、母子関係で困難が生じていることが多いことを指摘し、それをより良好な愛着関係に変化するようサポートすることで、症状の緩和を図る経路を見出している。

注意が必要なのは、小林が旧来のような子育て病として自閉症を考えているわけではない、ということである。
もともと、刺激に過敏であるために愛着の対象にアンビバレントな反応をしめしやすい子どもたちがおり、その過敏さのために母親が関わりづらく、コミュニケーションがすれ違うところから母子間に悪循環が生じてしまう。
悪循環が症状や問題を大きくするのであれば、循環を逆転させればどうなるか。
そのためのアプローチは本書には詳しくないが、援助者も二人以上のチームで関わるところは興味深い。

このような時には、職員であれ援助者であれ、誰しも同じような悪循環に陥るのであって、私がこのようなことを冷静に指摘できたのは、当事者でないからという理由が大きいのです。正に「傍目八目」と言うことができましょう。(p.171)

密接に母子が二人で関わる時に冷静でいられなくなるのは当然であると、著者は受け止めている。対応の難しさを知っているからこその言葉だと思う。
母子間のコミュニケーションに注目するからといっても、決して母親を責める本ではない。このことは、何度も繰り返しておきたいなぁ。
自分の子どもに発達障害ではないかと疑問を感じていたり、すでに診断を受けたことがあるというお母さんたちには、第三者の専門家の援助を求めてほしいと思った。
孤立しては冷静でいられなくなる。煮詰まる前に、あきらめる前に、母子双方のために援助を受け入れてほしいと思った。

事例が数多く紹介されており、貴重な情報が多い。多くの事例は乳幼児であることから、小児に関わる仕事をしている人には、お勧めである。
確かにわかりやすい本であるが、一般に膾炙するほどわかりやすいかと問われれば少し困る。けれども、仕事として関わる人には知っていてもらいたい。
また、学童期、思春期以降の自閉症および発達障害に関わる人にとっても、問題の傾向と対応の方針は共通であるため、参考になることであろう。

2009.02.23

猫絵十兵衛御伽草紙(1)

買ったきっかけ:
ニタのむにむにな肉球で、猫好きのツボを押されちゃいました。
教えてくださったのは、Favorite Booksのsusuさんです。
ありがとうございました! ようやく買いました。届いてすぐに読みました。

感想:
表紙の猫さん達だけでも十分にインパクトがあります。裏表紙も可愛い。
ねこー♪ねこー♪とうはうは喜びながら第一話突入。そして、いきなり泣かされました。あああ、こういう展開には弱いのー。簡単に涙腺がやられちゃうんです〜。
2話のうっかり猫さんの話が好き。死に触れない話のほうが何度も読み返しやすいです。青楼猫の最後のほう、花魁さんのほっぺにすりすりしている三多郎の図が切ないけど微笑ましくてお気に入り。5話のハートマークをとばしているニタのアップも、その報われなかった後姿も好きです。
しかし、ニタって一体なにもの?

うちの猫さん達も猫股になってくれないかなぁ。
手ぬぐい、買ってきてプレゼントしようかな?
それがだめなら、十兵衛たちに絵を描いてもらいたいなぁ……。

おすすめポイント:
江戸時代、実在した猫画師という職業。
猫画師の十兵衛と、その相棒の猫股のニタ。
江戸っ子な娘さんや、いなせなお師匠さんや遊び人風の戯作者や、気軽に楽しむ江戸ファンタジー。
ほのぼのとした空気と、ほろりとするような物語展開。
猫好きさんと、江戸時代好きさんのどちらにもお勧め。

猫絵十兵衛御伽草紙 1巻 (1) (ねこぱんちコミックス)

著者:永尾 まる

あ。少年画報社だ!

2009.02.22

Miss Saigon

買ったきっかけ:
1992年のこと。
最初はN.Y.で、次にロンドンで観たとき、記念に買いました。

感想:
今回、オリジナルの演出で上演と聞き、博多座で観て来ました。
最初に観たときは、簡単に言うならば「男ってダメね」という物語だとだけ思ったのですが、ヴェトナム戦争関連の映画も多く、その後、実際にヴェトナムに行ったり、自分自身が加齢したこともあり、とても感情が揺さぶられました。
面白いと表現するにはあまりにひどく悲しい物語ですが、この結末だからこそ、アメリカ男性クリスのばかさが際立つ。彼は結局、彼自身で恋人の身も心も殺したのですから。
日本で見ると多くが東洋人の風貌であるためにわかりにくいかもしれませんが、オリジナルではクリスとエレンはいかにも白人らしい外見の役者が演じるなど、言葉には言い表されない皮肉や風刺が効いていたことを、今なら理解できるような気がします。

筧さんのエンジニア、サービス精神旺盛で非常に盛り上がる舞台でした。ファンになりました。
ソニンのキムもすごくよかった。予想外に素晴らしかった。子役の男の子もすごく可愛かったです。
あー、もう一回、観に行きたくなる! 時間を無理にでもやりくりした甲斐がありました。

おすすめポイント:
物語は非常に深く、歌詞を味わうだけの価値がありますし、舞台を知らないと面白くないのがこの手のCD。ただ、美しいメロディも多く、音楽として楽しむこともできると思います。
日本語だと意味がわかりやすいが、やはり英語のほうがメロディに馴染むので、個人的にはCDはオリジナルのほうが好きです。
いかにも古きよきアメリカ的な部分もあれば、アジアンテーストも存分に取り入れられており、多様性のある音楽です。

Miss Saigon

アーティスト:Original London Cast Recording

Miss Saigon

2009.02.19

わたしにふれてください

わたしにふれてください  フィリス・K・デイヴィス 三砂ちづる(訳) 2004 大和出版

出産した友人に贈ろうと思う。
初めての赤ちゃんを抱きしめている人への贈り物として真っ先に思い浮かんだのがこの本だった。
恋人に贈りたくなったこともあった。思春期の人には少し気恥ずかしくなるだろうか。
私が読むと、年老いた家族を大事にしたい気持ちが改まる。友人や恋人、わたしにふれてくれる人への感謝の気持ちが高まる。
どんな世代の人にも、性別にもかかわらず、読んでほしい。

「Please Touch Me」と題された詩を、三砂ちづるが訳し、葉祥明がイラストを添えた。
詩そのものの穏やかな愛情を願う真摯さも素晴らしいが、暖かな色合いのイラストが加わることで、より優しい印象の絵本となっている。
本文は、英文と和文の両方から書かれているが、オリジナルはポルトガル語だったそうだ。
和訳の面ではもう少しなんとかと思う箇所があるので、私は英文のほうが好きだったりする。
でもこれは、訳者にとっての愛着のある和訳だったそうだ。多くの人に膾炙しているとのことである。

触れることは触れられることでもある。
触れあうことには大きな意味や役割がある。
これは、一人ぼっちではできないこと。
誰かがいてくれる幸せを書き留めた素敵な詩である。

ミュージカルのCATSで、グリザベラがTouch Me!と歌うシーンを思い出した。

 もしもあなたが私に触れてくれたなら、
 あなたは幸せがどんなものかわかるでしょう。
(2005.11.8)

2009.02.18

群雲、関ヶ原へ(上)

群雲、関ヶ原へ〈上〉 (光文社時代小説文庫)  岳 宏一郎 2007 光文社文庫

やっと読んだー。読み終わったー。
達成感もひとしおの分厚さ。
でも、まだ、上巻だけなんだけど……。

それはまだ太閤秀吉が生きていた頃。しかし、関白秀次は既に死を与えられ、秀頼はまだ幼い。にも関わらず、秀吉には老いが、その先には死が気配を濃くしつつある。
徳川家康、上杉景勝、前田利家といった大大名を描くところから、この本は始まる。
日本全土の四方八方から群雲が湧き上がるかのように人々が歴史の表舞台に登場する。
その群雲は、おのずから、みずから時代の風に流され、やがて関ヶ原へと集まっていくのだ。

著者は複数の、かなりたくさんの史料を調べたようだ。それらをひもときながら、ひきながら、それぞれの雲を丁寧に描写する。
関ヶ原へと至る出来事を追う筋よりも、武将らの人物像を抽出することに重きを置いている。が、その人物描写を積み重ねるうちに、徐々に物語が進んでゆくのだ。
子どもの頃のエピソードやその後の末路を付け加えることで、登場人物たちは生身の重みを持って動き出す。
武将たちというのは、それぞれがエピソードに富んでおり、それぞれにファンがいるのも然りというほど、人間臭い魅力を持っている。
著者は、秀吉に次のように言わしめる。

熱病なのだと秀吉は思った。そして、ひとたびその病にとりつかれた男は親でも兄弟でも容赦なく殺すだろう。天下とはそれほど魅惑にとんだものであり、武将とはそれを求めないではいられない男たちの別の呼称なのだ、と秀吉は思った。(p.141)

佐伯真一『戦場の精神史』などを読んでから、武士道というのは一種のファンタジーであることを知った。明治以降になって倫理的な価値観を投影された武士道が登場する。
それ以前の、いや、江戸時代の安寧を迎える前の、戦場に実際に臨む武士たちのメンタリティは、義や仁、情もあろうが、もっと現実的、実際的なものだった。
そうでなければ一族の治領は守ることができない。そうでなければ戦場で生き延びることができない。

その点、著者が描く武将達は非常に人間臭い。多くの武将達が、正義の人や偉大な人に変に美化されていないところがいい。
捨て身になって命を捧げる美談もあるが、平気に裏切ることもある。日和ることもあれば執念深く恨むこともある。ころころと態度を変えて、どれが本音かわからないほどのこともあろう。
そういう生死をかけたところで生きざるをえない人たちの狡猾さや欲深さ、計算高さや、おちぶれゆく愚鈍さや不器用さなど、嫌味なく描かれている。
増田長盛らが「保身は保身、仕事は仕事」(p.631)と割り切るところが、かえって爽快である。その姿にアクチュアリティを感じた。

登場人物数がとにかく多い。
台詞のある武将80人以上、名前の出てきた武将は数百は出てくると聞かされた。
名もなき兵や町の人の一人一人を加えれば、万の単位の人々の生死が編まれている。
上杉景勝や直江兼続あたりを目当てに読む人もいるだろう。
石田三成や毛利輝元、前田利家など、徳川家康や豊臣秀吉を除いても、有名どころは数知れず、日本史の悪夢再びの気分。
複雑な婚姻関係で結ばれているので、誰と誰がどう繋がっているのか混乱し、そのうちに世代交代し始めて誰が誰だかわからなくなってくる。
毛利さん家の一族とか、前田さん家の一族とか、グループで把握するように切り替えて、なんとかしのいだ。どっちか長男で、どっちで次男とか、ほんと憶えられん。

しかも、私、ヴィジュアルイメージがないと読書スピードが落ちる。ドラマの人物像よりもはるかに慣れ親しんでいるゲームのキャライメージで読み進め、妙に楽しくなってしまった。あのキャラがこうなるって、なんか変。知っている人が出てくるとやっぱり楽しい。
私は、もともと戦国時代から安土桃山時代は嫌いではない。結構、好きなほうだと思う。
自分がその時代に生きていたかったわけではまったくないが、上杉といえば景虎、直江といえば信綱という読書履歴を持ちつつ育った。
今もヴィジュアルイメージに思い出したような戦国武将をモチーフにしているゲームを、時々、引っ張り出してきたりもする。
B.G.M.はCANTAの「1400km/h」で。こういう音が戦国時代にはしっくりする気がする。やっぱり、BASARAの影響かなぁ。

群雲は大阪に集い、時は関ヶ原の前夜である。歴史は西軍の勝利を許さぬが、しかし。
短い章立てであるためにいつでも横に置ける本であるが、だからこそ余計にはまりこんでしまった。
さて、下巻も同じ分厚さである。続けて読むか、どうするか。

2009.02.13

日本の庭ことはじめ

日本の庭ことはじめ  岡田憲久 2008 TOTO出版

小堀遠州と夢窓礎石の名前ぐらいは聞き覚えがある。
しかし、それぞれの作風を解説したり、庭を見てそれが誰の作であるかを当てるようなことは到底できない。
私は日本の庭についての知識が乏しい。名園なるところを尋ねても、ぼうっと眺める以外の楽しみ方を知らなかった。起源や来歴を知って楽しむことはできても、それは庭そのものを楽しむ楽しみ方ではない。
そういう庭に興味はないとまでは言わないけれども、よくわからないと思っている人に、うってつけの本だ。
写真が綺麗だからと貸してもらった本であるが、解説が充実しており、思わず読み込んでしまった。

神を向かえる場としての庭の機能に始まり、庭の発展史や有名な庭師、あるいは、日本の自然環境など、複合的な視点から解説がなされている。
生きている芸術、日々の変化を余儀なくされている美術であり、作り手の意図を離れてより美しく育つこともあれば、当初の美しさを失う定めにあるものともいえる。なんとも不安定で、だからこその興趣を持つ美。
日本の風土や歴史的・宗教的な背景、中国や朝鮮との関わりなど、庭を支える文化ごと学べることはわかりやすい。それは、昔の人たちが自然というものを、どのように捉え、どのように接し、どのように愛でてきたかを教えてくれる。
つまり、庭を学ぶということは、庭の味わい方を学ぶということだ。

自分なりの味わい方、楽しみ方、好みというものは、そういう知識があって、意識的に文化に浸る中で磨かれるものである。
ぼんやりと眺めて愛でるのも楽しみ方の一つに違いないが、その景色を構成するものの要素に目を留め、先人たちの工夫や知識に感嘆し、彼らのセンスを味わうことができれば、観光地のおまけのように通り過ぎていた庭を、もっと楽しむことができるだろう。
次の旅行のときには、どこかの庭で過ごす時間を組み入れてみよう。そんな楽しみを増やしてくれる本だ。

庭園の写真も多く、それらをぱらぱらと見るだけでも、庭の見方を意識できるようになる気はする。
惹かれた景色は京都北山にあるという廃墟の庭。こういう景色は好きだ。人工物が柔らかな緑に覆い隠されつつある景色。人が自然を壊した爪跡から自然が穏やかに復活していくような再生のイメージを持つ。靄と露に塗れた春の早朝か、雨上がりの夕刻に訪ねてみたい。
下生えの中をツグミかシロハラが歩いて枯葉をめくり、頭上の木々にメジロやヤマガラなどが囀るともなく鳴き交わすような中、私もまた廃墟の一部、木の一本となって、立ち尽くしてみたい。
名もなき神の気配を感じるには、人気のない、忘れられた廃墟がふさわしい。ファンタジーが刺激されるような場の魅力を感じた。

もちろん、「無鄰菴」や「椿山荘」、「孤蓬庵」など行ったことがある場所が出てくると、それも嬉しい見所となった。
そうかー。あそこはこんなところだったんだー。と。
奥が深かったです。ずぶずぶ。

2009.02.10

やつがれとチビ

やつがれとチビ―絵本漫画  くるねこ大和 2008 幻冬舎

マンガと絵本の間のような、味のある猫のイラスト満載の正方形の本。
ぱらぱらとめくると、なんだかアニメーションを見ているような感覚になる。
可愛い。本のサイズやイラストも可愛いのだが、猫達のキャラクターが愛しい。

やつがれと、鍼の先生。江戸なまりがあって、落語の主人公と御隠居のような掛け合いが微笑ましい。
そのやつがれが、捨てられていたチビと出会ってからの短い時間。

野良猫を拾ったことがある人にも、あるいは、赤ちゃんを育てたことがある人にも、思い当たるような愛情がたっぷりと注がれている豊かな時間が流れる。
最後はほろりと泣くたくなるけれど、また再びページをくりたくなった。
子どもを亡くした人に読んでもらいたいと思ったけど、プレゼントしてもいいかなぁ?
今すぐじゃなくて、もう少し時間が優しく流れてから。

今度はわすれものをしないでね。せっかちに帰らなくてもいいように。
ゆっくりまた訪ねておいで。いつも、いつでも、大歓迎だよ。

2009.02.09

天翔の矢:ヴァルデマールの使者3

天翔の矢―ヴァルデマールの使者〈3〉 (C・NOVELSファンタジア)  マーセデス・ラッキー 澤田澄江(訳) 2009 中央公論新社(C.NOVELS)

最後のページでは涙が止まらなかった。
ハッピーエンドである。が、涙がぼろぼろとこぼれて仕方がなかった。

タリアを主人公とする「ヴァルデマールの使者」の完結編。
いよいよハードーン王国のアンカーが出てくるため、気が重くなりながら読み始めた。
私がタリアの名前を初めて見たのは、ケロウィンが主人公の『運命の剣』だ。そこでは、アンカーとの因縁が深いことを予想される表現がなされていた。もちろん、アンカーがどのような人物であるかも。
何がタリアを待ち受けているのか、予想ができる気がして、嫌な気持ちになっていた。

ラッキーの描く世界は平和ではない。
私利私欲のために他者を踏みにじる邪悪な人々がおり、国々の間に戦争が起こる。
私はラッキーが野戦を描くときのアクチュアリティに感銘を受けているが、『ヴァルデマールの使者』では戦争は主に宮廷陰謀劇として描写されていく。
女王補佐であるタリアは、陰謀を防ぎ、女王を守り、国境を守ることができるのか。
宮廷での人物関係が多く出てくるために、また、タリアとダークの恋の行く末も大事な筋であるために、これまでよりも共に歩むものローラン達の出番はちょっと少ない。

ラッキーの描く世界は犯罪も起きる。
人が死ぬことも多いが、ある意味では殺人よりも残酷とされる、虐待や拷問を物語に持ち込むことも辞さない。
これまで私が読んだ中でも、ケスリーは少女時代に性的な虐待を受けたし、アイドゥラは拷問の末に殺された。タリアも身体的な虐待を受けつつ育ってきている。
作者が素晴らしいのは、性的な暴力を悲惨で致命的な傷つきを演出するために用いるのではなく、そこから回復する登場人物の力強さ、そういう傷つきから回復できるという希望や可能性を描くところだ。
どんなに苦しくても、つらくても、怖くても、悲しくても、彼女達は決して誇りを失わない。そして、再び立ち上がる。
その力強さこそ、私はラッキーの小説の魅力だと思っている。

読み終えると、この三部作はきちんと練られて書かれた小説だとわかる。
そして、既に読み終えたシリーズの間に、ぴったりと収まるのだ。
その後のヴァルデマールとハードーンの話を読み直したくなった。ケロウィンからエルスペスに引き継がれていく剣の物語だ。
でも、ケロウィンの物語を読むなら、その祖母達の物語からひもときたくなる。

次はどこの出版社から、誰の物語が出るのかなぁ。まだ訳されていない本があるらしい。まだまだ読みたい世界なんだ。あとがきでは、次は薄幸の美少年ヴァニエルとある……。
異世界ファンタジーが好きな人、女の子や女性が頑張る物語が好きな人には、是非とも勧めたい世界である。知性的で、自制がきいていて、成熟した男性陣もそれぞれ魅力的。
さりげなく、同性愛や多宗教・多民族の共存を取り入れていたり、アメリカ的な要素がよい意味で働き、物語を中立的で複雑にしてくれているような気がする。
とにかく、物語を読む醍醐味を存分に味わわせてくれる一押しファンタジーだ。
難しいことは抜きにしても、ほんとに面白いんだから。

 ***

  宿縁の矢:ヴァルデマールの使者2
  女王の矢:ヴァルデマールの使者

2009.02.08

千々にくだけて

千々にくだけて  リービ英雄 2005 講談社

9.11。
この3つの数字が表すものは、8.6や8.9、あるいは、8.15よりも、今の日本ではよく憶えられているかもしれない。
最近では、1.17のインパクトも、忘れられがちな気がしてならない。
9.11。
この数字を見ただけで、繰り返し流された、その後、放送が自粛されたニュース映像が目に浮かぶ。
あの時、何が変わったのだろうか。

主人公は作者自身と重なり合うような日本在住の米国人男性である。
アメリカ東海岸に住む家族に会うために主人公が飛行機に乗っている最中に、同時多発テロが起こる。よりにもよって、妹が住むのはN.Y.。母親が住むのはワシントンD.C.。
主人公はカナダ乗り継ぎの便を選んでいたので、カナダに到着するのは当然だったが、そこで数日間の予定外の足止めを食らう。
その数日間を写実的に描いた短編と、その半年後を描いたもの、そして、作者自身の経験を書きとめた覚書が収められている。

『Man'yo Luster』と題された万葉集を見つけたときの驚きは今も鮮やかだ。
今回も本屋さんをうろうろしているときに、本に呼ばれて手に取った。
感想を書こうとして調べてみたら既に文庫化されているが、私を呼んだのは銀色の表紙が鮮やかな単行本。
短い小説であるが、これは一気に読むのがつらかった。少しずつ、数日にわけて読んだ。
そうしないと耐えられない重たさだった。

タイトルは「島々や 千々にくだけて 夏の海」という芭蕉の句から引かれている。
水銀のような水面が波に千々にくだけて。飛行機から眼下に見下ろした景色と、飛行機によって千々にくだけていく二つのタワーの映像が、主人公を、世界を、千々にくだけちるかのような危機にさらす。

 All those islands!
 Broken into thousands of pieces,
 The summer sea.

主人公の思考は、日本と英語の間で揺れ動く。作者は端正な日本語を書く人で、主語が明確な文法の正確さにかろうじて欧米言語による思考の名残を感じる。
しかし、作中の主人公は、英語を耳にすると瞬間的に日本語に訳してみたり、日本風のカタカナ英語にしてみたり、日本語で思考している。時に、訳しづらい表現に出会ったり、いくつもの意味合いを汲み取ったり、戸惑いもする。
その思考の過程、二つの言語の間で思考がぶれる有様の描写に舌を巻いた。
まさしく、こういう経験を知っている。私の場合、一つの言語文化圏から他の言語文化圏に移動するとき、表現する言語を切り替えるのに「えいっ」と気合が必要なのだ。表現する言語を切り替えるためには、思考する言語も切り替えないといけなくて、思考する言語が切り替わるとなかなか元に戻れなかったり、頭の中に時差のようなものが生じる。
まあ、そんなに、英語が得意なわけじゃないけれど。
つたない語学力しかない私でも感じるような戸惑いを、翻訳家でもある著者は、とても見事に描き出し、しかも、その揺れが予想外に日本でもアメリカでもない場所に足止めされた主人公の所在のなさの表現となっている。

自分の想像力の狭さを感じた。あのニュースは衝撃的で目が離せず、気持ちがとても揺さぶられた。人間には露悪的なところがあって、恐怖心を感じながらもそれに触れずにいられなくなることがある。
数日後のアメリカのニュース番組では、目が離せなくなっている人は今すぐテレビのスイッチを切るようにとアナウンサーが繰り返していた。映像による心理的な二次被害も少なくなかったことだろう。
しかし、私は自分自身はもちろん、自分の知っている人も直接には巻き込まれなかった、ブラウン管のこちらからしか、見ていなかった。
巻き込まれはしなかったにしても、マンションのベランダに白い灰と書類の切れ端が積み重なった人の気持ちを感じることはできなかった。
封鎖された国境。アメリカ上空に入ることを許されず、カナダやメキシコに着陸する羽目になった人たち。彼らもまた事件の当事者だ。
そして、家族や知り合いに電話しても、電話しても繋がらない、もどかしさ。阪神淡路大震災のとき、友人達の安否を確かめるために何日もかかったことをようやく思い出す。

主人公は、「想像できないことを想像しようとしていた自分が、愚かに思われた。知らない人が殺される前の最後の数秒を思い浮かべようとしていた自分が、恥ずかしい」と語る。
同情や共感というのは、きっとそういうものではないのだ。他者の内面に一体感をもって、無理にでも自分のことのように感じなければならない、というのは、倫理的な要請ではないのではないかと考えさせられた。
私の中ではうまく咀嚼できていないが、多分、心理的な合一を求めるものは、倫理ではなく、正義でもなく、宗教は求めがちかもしれないけれど、もっともっと現世的な利益が絡んだ、おそらく政治的な要素の働く、ファシズムに通じるような何ものかであるのではないだろうか。
無理に当事者になることはできない。なることができると勘違いしてはならない。更に、そんな勘違いをした第三者が、復讐を代行するのは大きな間違いである。

主人公が、作者が思いをはせることは、多様だ。
その一つ一つに読み手も思いを馳せることになるだろう。そのすべてにここで触れることはできない。
しかし、この日の出来事がアフガニスタンやイラクにおける戦争に繋がっていくのだ。ここから、更なる変化が始まったのだ。
変化についての問いかけが印象深かったので、それだけ最後に引いておく。
変化を「革命」に置き換えてみると、共産主義の革命を続けているという国を思い出して、苦笑いしたくなった。
だからこそ、for what?という問いを、もう一度、想起したい。著者が最後に書いた、この問いかけを。

 Things changed
 ものごとは変わった。変わった、ということは、いつまで続くのか。変わった、ということは、いつになったら終わるのか。(p.139)

2009.02.03

きみの背中で、僕は溺れる

きみの背中で、僕は溺れる (MF文庫ダ・ヴィンチ)  沢木まひろ 2008 MF文庫

うっとりと目を閉じた若い男性の寝顔を見て、タイトルを見て、帯を読んで、首をかしげた。
「祐司が恋に落ちたのは、姉の婚約者」……ということは、どちらも男性同士になる、よねぇ?
それはなかなか修羅場の予感と思いながら、なんとなく手に取った本。設定だけで、ずきずきと痛みそうになる胸を抑えて。

「But Beautiful」は、帯にあった、主人公と、その姉の婚約者の物語。
おちてしまった恋の、その始末の悪さ。まったく困ったことに、恋というものは落ちる先を選んでくれない。
わがままで強引でとてもエッチで、情けないぐらいとても弱い男性。夢にまで見た恋人との逢瀬は、しかし、長く続くわけがない。

片想いのつらさと、成就してからのつらさは、ベクトルが大きく違う。手に入れたときから、失うことが怖くなる。
おまけに、愛からなされたことだとしても、これはきっと罪になる。自分で自分に許せないような恋を、著者は簡潔な言葉で鮮烈に描き出す。
大学時代だからの仲間達。そのあやふやな立ち位置からの卒業。祐司の若さが瑞々しく感じられ、清潔感のある恋愛小説だった。

もう一つの短編「What's New?」も、主人公は同じだが、6年が経過している。
時間の経過、主人公の変化を感じさせる違和感は、「But Beautiful」が一人称で書かれていたのに対して、「What's New?」が三人称で書かれているところからも生じる。
あれから、片時も忘れなかった恋の記憶。恋とともに失った自分の一部。喪失は、罪悪感によって埋められている。
大事な姉を傷つけてまで恋した人を、忘れてはいけない。そのほかの人と幸せになることはできない。自分は幸せになってはならない。
どこかで心を閉じながら、なんとか毎日をやり過ごしてきた祐司を、しかし、世界は放っておきはしないのだ。

誰もが幸せになっていい。
いろんな後悔や、いろんな罪悪感や、いろんな不都合をまるごと抱えて、それでも年を重ねていくことができる。
純粋さを失うことであるかもしれないが、この年を重ねて得られる力強さが、私は好きだ。
この6年後の物語、私が今の恋人と別れた後に読み返してみたいと思った。

それにしても、睫毛が触れ合うかなあ。意識したことがなかったや。
相手の鼻先が頬にあたる感触ばかり気にしていたけど、今度は睫毛を気にしてみよう。
次はいつ溺れることができるかなぁ。

 ***

実験結果として、睫毛は触れ合わなかったです。笑

2009.02.02

ガラスの仮面(43)

買ったきっかけ:
やっと出た。
……と、友人のブログで知って、本屋さんに駆けつけた。

感想:
えーと。
前半は雑誌で追いかけた気がする。見覚えが……。
でも、時間が経ちすぎて、これまでの経緯を憶えていないの…………。

おすすめポイント:
裏表紙に発行日が書いてある!笑
これだけの冊数になり、これだけの期間が空いていると、自分がどこまで読んだかわからなくなっている人も多いに違いない。
続きが読めるかもしれないという希望ができただけでもよかったんじゃないでしょうか。
帯の蜷川幸雄のメッセージがツボでした。

ガラスの仮面 43 (43) (花とゆめCOMICS)

著者:美内 すずえ

ガラスの仮面 43 (43) (花とゆめCOMICS)

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