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2009.01.12

トランスジェンダー・フェミニズム

トランスジェンダー・フェミニズム  田中玲 2006 インパクト出版会

やっとこういうことが語られるようになったのだなぁ。
どちらかといえば、薄い本である。読むのに時間はかからない。だから、多くの人に手にとってもらいたい。世の中、「自分の身体的な性別に違和感がない異性愛者」だけではないことを確認するために。
著者は何度も繰り返し、性の多様性を示す。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、インターセックス。これだけでは多様性を示すには足りないことをも示す。
身体の性の面においても、社会的・文化的な意識上の性の面においても、性的な志向の面においても、性は多様だ。多様なものを組み合わせると、タイプ分けが不毛になるほど、多様になる。
この本の秀逸なところは、そういった性の多様性を語るときに用いられる言葉について、丁寧に解説を補っているところである。トランスジェンダーについて詳しくない人にもとっつきやすく、最初に手にとる一冊としてお勧めだ。

残念なのは、「障害」という用語に対する、著者の偏見のようなものである。偏見であるとは言わないし、差別と言うと語弊があるが、その割り切れなさを感じて、ここでもやはり、という残念さを感じた。
DSMを通じて、精神疾患は「病気」から「障害」へと表現を転化させており、このことに対する賛否はいまだ消えてはいないものの、一般的には「障害」と表現する用語法が普及した感がある。
「障害」というと、先天的な不自由さや、今後も好転しない恒久的な不自由さのイメージがある。障害者自立支援法における障害とは、そのようなものであると思う。障害は障害であるのだから治らないのが前提、という、用語法に基づくのだ。
しかし、精神科諸領域の疾患に用いる気分障害、摂食障害や発達障害、性同一性障害といった診断名の「障害」の概念は、disorderの訳語であり、旧来的な「障害」の概念とは軌を一にしないのである。
乱暴ではあるが私の理解で私の言葉に直すならば、摂食障害eating disorderは「食事に関して困っている状態」であり、性同一性障害gender identity disorderは「性同一性に関わることで問題を感じていること」という意味以上の含みはないと考える。発達障害developmental disorderならば「発達上でなんらかの偏りがあるらしく得手不得手があるんだ」だし、気分障害mood disorderなら「気分の面でうまくいっていない感じ」なのだ。
調子よくいっていないことを、disorderは表しているのだから。handicapという意味ではない。そこを、著者はhandicapとして受け止めているように感じられて、読んでいて齟齬を感じた。
言葉に過剰な意味を盛り込むことには慎重であらねばならない。適切な表現というのは実に難しい。自戒にしておく。

とはいえ、現実の医療従事者の対応を見たり、性同一性障害の治療に関する精神医学・臨床心理学の記述を読んでいて、残念に感じることもある。
性同一性障害の「治療」を通じて、結局は男女二元論に還元・回収しようという無頓着さが横行しているからであり、その点では、著者が診断されることを嫌がったのも無理はなかろうと思う点である。
性同一性という言葉を使うことによって、ジェンダーに関する社会学が積み上げてきた議論に対して不勉強であり、治療者サイドが自らの性差別意識に無自覚な傲慢を感じることがあるからだ。
その上、ネットの本屋さんで検索をしてみれば瞭然であるが、MTFの発言は多いがFTMの発言は少ない。専門書の中身を紐解いてみても、GIDというとMTFが中心であって、FTMに関する情報の薄さに苦労する。
ジェンダー・アイデンティティを扱うのであってジェンダーを扱うわけではないから、ジェンダーを語らなくても良いというのは、私は詭弁だと思う。治療者のジェンダー観、セックス観、セクシュアリティ観が反映されないわけ、ないじゃないか。
FTMおよびMTFの人が持つ多様性の可能性を、単純な男女二元論に振り分けて圧縮することを、私は残念に思う。ついでに、必要とする人へのサービス提供が不十分な現状も残念に思う。
それでも、著者には思い出してもらいたい。ジェンダーが多様であるように、サポートする側も多様であることを。その多様性の中に希望があることも。

子どもの頃から今に至るまで、性的に欲望されない自分になりたいという願望がある。男性になりたいわけではない。しかし、女性として欲望されることへの嫌悪感や違和感が私の基底に流れている。ついでに、自分の欲望も捨て去ることができたら、どんなに楽だろう!
自分の女性をあきらめて引き受けたのと同じ頃、私はフェミニズムを見限った。フェミニズムがヘテロセクシュアルな女性原理主義・全体主義へと傾倒していることへの無自覚さが息苦しく、興味深いが自分を同一化させるのは嫌だと思ったのだ。
私は、家父長制度的な価値観の根強い文化圏に生活し、モノガミーへの撞着を捨てきれない19世紀的な倫理観を内在化させており、まあ、一応はセックスもジェンダーも女性系で、とりあえずはセクシュアリティもヘテロっぽい。性別に以前は違和感はあったが今はなく、おおむね異性愛である。
ここに「一応」「とりあえず」「系」「ぽい」「おおむね」と付け加えたところが、私が男女二元論を再構築していったある種のフェミニズムへの抵抗であり、反感である。
今も私はえせフェミでいい。それぐらいの立場でいる。

私は私である。私は私の立場から、女であることにこだわっていたい。
私が自分自身の性別を肯定的に受け入れ、楽しめるようになるまでは、実に長い時間がかかったように思う。それでも、いまだに不思議になる。
女性が他者から性的なまなざしを受けることによって性化されて女性として生きざるを得なくなる、この簡単なシステムを、フェミニズムに共感的であると自認する男性でさえ、なにゆえ理解することが難しいのだろう。そういう人に出会うたびに、私は単純な二元論で相手を切って捨てたくなる。
中村うさぎや桜庭一樹を読めば、その戸惑いの大きさがわかりやすく描かれている。山田詠美や三浦しをんもいい。レヴィナスを読むよりも、よっぽどわかりやすいと思うんだけど。
世の中、まだまだ変わらないんだろうなぁ。嘆息。

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