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香桑の近況

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2008年11月

2008.11.30

螺鈿迷宮

螺鈿迷宮  海堂 尊 2006 角川書店

死を看取る。
その体験が近すぎて、何度も涙がこみあげてきた。ことに、三色婆には、それぞれに泣かされた。たまらなかった。
緩和ケア病棟に通い続けた今月の最後の読書にふさわしい一冊になったのかもしれない。
症状の緩和による生の質(QOL:Quality of Life)を保つための医療は、あくまでも治療を企図する延命のための医療とは、必ずしも手段を同じくしない。
しかし、延命をあきらめることは、death controlすることと、どこが異なるのか。まだ生きられるかもしれない人を、殺すことになりはしないか。
終末期医療の目指すところを考えさせられた、この秋だった。

この作者は、 『チーム・バチスタの栄光』を書いたとき、この桜宮市という架空の町の物語世界をどれだけ思い描いていたのだろう。
それぞれの作品は、相互に通時的にも共時的にも繋がっている。
舞台は、『ナイチンゲールの沈黙』に出てきた病院、「でんでんむし」こと碧翠院桜宮病院。
白鳥がつぶすしないと言い切った病院に、白鳥が仕掛ける。姫宮を使って。
ただし、主役は白鳥ではなく、天馬大吉という医学部からリタイアしかかっている医大生だ。白鳥・姫宮の仕事に巻き込まれることは、天馬にとって吉と出るか?凶と出るか!?

『ナイチンゲール』や『ジェネラル・ルージュの凱旋』よりはミステリより、になるのかな。途中で、京極夏彦『女郎蜘蛛の理』を思い出した。
指輪は骨壷の中に入れられたのか。それとも、焼き場で処理されたのか。それがあれば、一つは立件の余地があるのに。
主人公のぼんやりぶりや日和見ぶりに、ぷんすか腹を立ててしまった。
この天馬のキャラクターが少し苦手に感じたのも、『螺鈿迷宮』は入り込みづらかった要因だと思う。
その上、今回は白鳥の切れも今ひとつ。出番が多いが、歯がゆい。姫宮との夫婦漫才は楽しいのだけど。

一方、これまで読んだ東城大病院シリーズとはまた違った、気骨のある医師が出てくる。
桜宮巌雄病院長。名前のとおり厳しい、銀獅子のような風貌の、じいちゃん先生。
南方戦線で15歳にして軍医として医者デビューしたベテラン中のベテラン。
だが、生の基準も死の基準も、骨折治療の基準も、南方戦線の泥沼状態って、どーよ。
その上、戦時中から建設に関わった古い建物を根城に病院として、戦後直後の混沌とした桜宮市を医療の面から整備してきた立役者。
医学は、数知れぬ死者の死から汲み取られ、組み上げられたものだと、知っている医師。
白鳥自身がつぶやく。役者が違う。

とても重苦しい気分になる本だった。
よかれかしという心は、いつから道を過つのだろう。どこから道を外すのだろう。
人の心の中は、光だけでできているわけではない。光の部分と闇の部分を併せ持つことでバランスが作られる。
光とも闇ともつかぬ混沌さえも抱え込む力を、健康な人は心に持っている。その心の中の有象無象と付き合うことが心を扱う者の仕事である。
闇を切り捨てて無垢に光にのみ生きようとすることは、光をあきらめて純粋に闇にのみ生きようとすることと、同じぐらいに愚かなことだ。
三人の桜宮の娘たちも、長じれば、三色婆たちのようになれたかもしれないのに。
それにしても、白鳥が光の申し子って、なんか嫌だぞ……。

死を看取る。
死は、人が最後にできる、他の人への教育だ。
私は母からそう言われ、私も人にそう言う。
ひとは、いかに老い、いかに病を得て、いかに死ぬのか、身をもって示す。
それを通じて、いかに生きるか、学ばせてくれるのだ。
だから、私は死から目をそらさずにいたい。

2008.11.28

ジェネラル・ルージュの凱旋

ジェネラル・ルージュの凱旋  海堂 尊 2007 宝島社

いくらこの本が面白くても、『ナイチンゲールの沈黙』を読んでからでないと、ぴんと来ないところもあるだろう。
今度の舞台は救命救急センター。ジェネラル・ルージュこと速水を中心に物語は暴走する。
『ナイチンゲールの沈黙』とほぼ同時並行に話は進む。会話の多くも、双方を読んで補完されるような、そういう双子の本になっている。
友人の進めとおり、順番に読んでよかった。

章題は大抵すっとばしてしまうものなのだが、前作から海堂さんの章題には要注意にすることにした。
目次を見ると話の流れが見えてしまいそうになるから、そこだけは飛ばして、序章を開く。
序章の章題は「海の底」。
……有川浩?
違うけど。違うのはわかっているけど。潜水艦だし。ねえ?
思わず、のっけから釘付けになってしまった。

小児科・産婦人科と救急は、今、危機に瀕している。
物語の中の話ではない。現実の話だ。人手の問題、経済の問題。
メディアが声高に叫んでも、対応は進まない。
おそらく、受益者一人一人に思想の転換が求められている事象の一つではないだろうか。
自分の受益を確保し増大することばかりに汲々とするのではなく、自分がいずれ受けるであろうサービスのために制度の維持を心がけるという思想が必要なのではないだろうか。

「自分だけがよければいい」という思想の持ち主とは相容れることができない。速水がエシックスを攻撃したポイントの一つは、この点だ。
補給線は乏しく、戦線は常に動いており、戦場は鎮静する気配を見せない。部下は入れ替わることもできるが、指揮官は常に一人だ。もっと資源があれば、勝てる戦いもあるのに、あきらめなくてはならない責任は、疲労とともに指揮官の背後に重くのしかかる。この果てることがない消耗戦を刃の上で戦ってきた将軍の絶望と希望。
将軍は、王や皇帝ではない。誰かのために軍を率いる者であり、誰かのために戦うものなのだ。速水は、ただ目の前の患者のために。
あまりにもジェネラルの台詞がかっこよかったので、下記に引用させてもらうことにする。

精神科の沼田助教授率いる倫理問題審査委員会(エシックス・コミティ)での査問の場面は、読んでいるだけでも胃が痛かった。自分の血圧があがるのを感じた。
自分ひとりを高みの安全圏において、人を裁けると勘違いしている沼田の悪役っぷりが、本書の読みどころのひとつではあろう。こういう医師は絶滅危惧品種であることを祈りたいぐらいだが、学内政治家としてはあながち珍しくもないかもしれない。
高度に政治的文化的に洗練された公家言葉を操る沼田の、底意地の悪いひねくれっぷりを読むにつけ、速水の攻撃が痛快に感じる。
田口や白鳥がかすむほど、速水の印象は鮮烈だ。その真っ赤な輝きに負けず劣らず、最後の最後で黒崎教授、かっこいいじゃないか!
会議の場面では出席者も増えるため、高階院長や羽場貴之など、これまでの院内の登場人物が勢ぞろいだ。看護師も個性豊かで、中でも猫田さんがお気に入り。
それに、ようやく氷姫こと、姫宮も登場した。ちょっと予想外の人物だが、これはこれで可愛いかも。

そして、圧巻のジェネラル・ルージュの伝説の再現。来るかなぁ?と思ったら、やっぱり来た。
時には酸鼻な現場を乗り切る彼ら医療者の専門家としての姿に、たまらなく魅力を感じる。祈るように握り締めた手に、更に汗を握る。
こんな悲劇はいつもいつもあってはならない。けれども、永遠に絶対にないというわけにはいかない。
いつも、いつかのために備えておくこと。使わないに越したことはない。けれども、必要なときに使えるようにしておくこと。
普段はいらないからといって捨ててしまってはいけないものを、鋭く突きつける一冊だった。

3年後が楽しみです。
でも、多分、現状の医療が抱える問題点を、小説を楽しく読ませながら布教している感のある作者のことだから、今はまだ大学病院のハッピーエンドを描く気にはならないような気がする。
だから、せめてもう少しましな精神科医を描くぐらいはお願いしたいです。沼田だけだとあんまりだ……。

 ***

「収益だって? 救急医療でそんなもの、上がるわけがないだろう。事務は嵐のように唐突に襲ってきて、疾風のように去っていく。在庫管理なんてできるわけもない。小児科も同じ。産婦人科も、死亡時医学検索も。現在のシステム下では医療の根幹を支える部分が冷遇されている。俺たちの仕事は、警察官や消防士と同じだ。トラブルが起こらなければ、単なる無駄飯食い。だからといって国家は警察官や消防士に利益を上げることを要求するか? そんな彼らに税金という経済資源を配分することを、国民は拒否するのか?」(p.297)

2008.11.27

深爪

中山可穂 2003 新潮文庫

愛撫に爪は邪魔者だ。
私が相手を傷つけないように。
相手の内側を傷つけないように。
短く切った爪先が、欲望と愛情とを暴露するのだ。

タイトルの意味は、このように読めばわかる。
3編の中編は、主人公を変えながら、一つの物語をなしている。

「深爪」は人妻との恋愛に絶望し、別れるしかなくなった女性の物語。
なつめが蚊帳の外から恋人の吹雪を想う孤独は、昔の恋を思い出して懐かしくなった。
餌をもらったことがある家の玄関で、内側の暖かい団欒を感じながら、一生懸命、爪を立てて扉を引っかくのに気づいてもらえない野良猫のようだと、思っていた頃を思い出したのだ。
なつめにはシンパシーを感じる。すると、当然のように吹雪が嫌に感じた。

「落花」の主人公は、その吹雪。自分のセクシュアリティを意識しながらも結婚して、子どもを生んで、夫の了解のもとに女性と浮気を繰り返し、なつめと出会った女性。
なつめと出会ってからの吹雪は、夫との性交渉を避けるようになる。拒否される夫のほうが気の毒に感じる。吹雪がずるいと思ってしまう。
もともと浮気なんてものがずるいのかもしれないけれど、そう思ったことが、自分にも跳ね返る。

「魔王」では、吹雪に出て行かれた夫マツキヨが、子どもを大事に育てようとする。
母親の代わりになろうとし、母親以上になろうとし、それでも母親を失って明らかに不安定になっている息子を案じている父親。
別れた妻の不利になるようなことを親族や近所の誰にも言わず、妻のセクシュアリティを理解できずに困惑し、ただ妻を愛している夫。
このまなざしから補完されることで、やっぱり吹雪の人物評価を下げたくなってしまう。こんな男の人、大事にしなくちゃ!

だけど、回りまわって、不倫には向かない吹雪の性格には、同族嫌悪のような親近感もある。
「自分のお気に入りや傾倒しているものについて誰かに話さずにはいられない」(p.31)のだから、やましいことに手を出すと自らの首を絞める。
周りが見えなくなるような恋をする吹雪のみならず、その恋の周りで振り回されるなつめとマツキヨを描いた点で、恋の最中の人が見落とすものを思い出させるような小説だ。
少しタイムリーすぎて、いろいろと考えてしまった。向いていないことは、やめておいたほうがいいんだ。きっと。

フィンガードムを用いれば更に安全度は増すが、それは恋愛小説にしてはいささか色気がなくなる。爪が長すぎると、フィンガードムも使えないだろうし。
それに、直接触れるという行為が、特別なのだ。愛しい人の内側に。

2008.11.25

ナイチンゲールの沈黙

ナイチンゲールの沈黙  海堂 尊 2006 宝島社

22ページ。
章題を見た私は、しばらく固まった。
「よいどれ迦陵頻伽」。
これって、もしかして、「よいどれかぐや姫」のもじりじゃないでしょうか。
とすると、次の章の「ドア・トゥ・ヘブン」もStairway to Heavenを連想する。

この本を借りたので、前作を買ってみた。
その前作『チーム・バチスタの栄光』が面白かったので、即座に本作に手をつけた。
これは、事件のあらましは大体推測できるような書き方をしてあった。
むしろ、どう立証するかが、眼目になっていた。
むしろ、最後に残された謎は、「白銀の迦陵頻伽」の白銀の由来ってなんだ!?

将軍こと速水やデジタル・ハウンドドッグこと加納など、魅力的な人物が続々と出てくる。
がんがんトンネルの魔人こと島津もいい味だ。それに千里眼の猫田看護師長。
こうして並べていくと、二つ名を冠した登場人物が多いことに気づく。
ほかにも、白髭の皇帝や屋上の貴公子などなど。
作者がプロットを書くときには、きっと二つ名から思い浮かぶんじゃないだろうか。
それとも、作者自身が、人と会ったときに動物や植物や何か他の名詞で「名づけ」をする習慣があるのか。

セイレーンと来ずに迦陵頻伽としたところが、渋いなあ。
ナイチンゲールはダブル・ミーニング。小夜啼鳥のアンデルセンの童話を思い出した。
皇帝が涙するほどの歌声を持つナイチンゲールは、夜鳴きウグイスと訳されることもあるが、日本のウグイスとは別種。
童話そのものは中国を舞台としているので、ヨーロッパ種のナイチンゲールではなく、アジア産のコウライウグイスという説もあり。
調べてみたら、ストラヴィンスキーがオペラにしているらしい。へえぇ。

大人と同じ病状でも、それが子どもとなると、悲惨さがことさら増すように感じることがある。
特に、小児病棟では小児のがんを看取らなくてはならない。同年代の子どもたちが普通はできること、していることを制限される苦しみを見なくてはならない。その制限されているものを味わうことなく死んでいく者たちを。
「歌」の部分を差っぴいて、そういった小児科の景色や小児科医療にかかわる問題提起の部分では、前作と同じ程度の満足感はあった気がする。

『マタイ受難曲』のCDはうちにもあるが、聞く努力をしたことがない。
とにかく長い。そのうえ、コンサートで爆睡した記憶が色褪せない。
そういう思い出のある曲なので、真面目に何枚も聞いた田口医師に尊敬を感じた一冊だった。
それにしても、この音楽を説得力を持って再構成するのは難しいだろう。
映画・ドラマ化の難しそうな物語だとも思った。
次へのネタふりもいっぱいあった気がするので、このまま3冊目に入ります。

昨日、せっかくバーに行ったのだから、Kiss in the darkを頼んでみればよかった。

ナイチンゲール (アンデルセンの絵本) ナイチンゲール (アンデルセンの絵本)

著者:ハンス・クリスチャン アンデルセン,角野 栄子,太田 大八
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008.11.23

チーム・バチスタの栄光(上・下)

チーム・バチスタの栄光(上) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 599) (宝島社文庫 599) チーム・バチスタの栄光(下) 「このミス」大賞シリーズ (宝島社文庫 600) (宝島社文庫 (600))  海堂 尊 2007 宝島社文庫

なるほど。ベストセラーになるだけある。
読み始めて数ページで引き込まれる感じがした。

文章そのものが読みやすく、著者が文章を書きなれていることを感じる。
平易な言葉で簡潔によく整理された文章。余分な贅肉がないのに、的確にイメージが伝わるような文章だ。
作家としては新人としても、日常の業務で多くの文章を書きなれているに違いない。
それにしても、本職の医師で、デビューしたのが2年前で、発行されているのがすでにこの冊数っていうのもすごい。

映画もドラマも観ていないので、好き勝手に頭の中でキャストを考えながら読んだ。
田口にはシンパシーを感じる。私も、目の前の人を動物にたとえるクセを楽しんでいるので、どきりとした。
白鳥は、名前だけを見ていると綺麗なのに……。下巻の解説を読むまでもなく、「いらっしゃ~い」という台詞の書かれた奥田英郎『イン・ザ・プール』シリーズの帯が目に浮かぶ。こんなところに、伊良部がいたーっ。
桐生ブラザースは、腐女子的発想をする人に喜ばれそうだなあ。手フェチを自認する私は、桐生の手の描写ににんまりしてしまった。実際に、手術をする人たちは、爪を丁寧に整えて、綺麗な指先をしている。手が商売道具だからだ。
しかし、なんといってもお気に入りは高階病院長。弓きいろさん版の稲嶺指令@『図書館戦争』のヴィジュアルでよろしくです。というか、こういう品のよいタヌキさんは素敵です。現場のことをよくわかっていて、なおかつ政治的手腕の切れ味も美麗な上司なんて素晴らしい。自分が部下じゃなければ。

手術シーンは、ちょっとヴィジュアルの想像のスイッチを切りたくなった。
血を見るのは苦手だ。内臓を見るのはもっと苦手だ。骨を見るのも好きではない。
親戚の手術後に摘出された臓器を示しながら説明を聞いたときの臭いであるとか、自分が受けた手術の映像を見ながら説明を受けたときの画像であるとか、いろんなものが思い浮かんでしまって……あうー。
今時は手術をDVDに録画して、希望する患者には見せるなんてこと、自分が手術を受けなければ知らなかった。
そういうところでも、これは現在の日本の医療の状況をよく描いているのだろう。そう思った。
医術を過度に美化することもなく、かといって、過小に卑下することもない。そう感じて、私は好感を持った。

キャラクターも魅力的だし、物語も面白い。しかし、それだけに留まらない。
うかつに感想を書けないのが残念だが、医療を取り巻く諸問題の指摘が非常に現実的で、渋い顔でうんうんとうなずいてしまった。
なんでこんなに医師不足の事態が起きているのか? 制度が進むほどにゆとりがなくなり、ゆとりで抱えられていたものが医療の枠から取りこぼされていく。手から砂がこぼれていくように。
創作という物語の次元を通じて、現実への批判を考えさせるような小説が、どうやら私は好きらしい。

面白かったので、次を読もうという意欲が出てきた。
この連休にやることができたぞ。

2008.11.17

GO

GO (角川文庫 か 50-1)  金城一紀 2007 角川文庫

オヤジ、かっこいい。
私は日本語を母国語とする日本人であるから、アボジではなく、オヤジでいいよね。

読み始めて戸惑ったのは、時代設定だ。
戦時中に子ども時代をすごしたオヤジの話から始まるせいか、主人公の杉原がいつの時代を生きているのか、よくわからなかったのだ。
出てくる映画も、音楽も、ちょっと昔のものが多い気がする。2000年代ではなく、『パッチギ』と同じ頃?と首をかしげながら読んだ。
杉原の家族の戸籍は在日朝鮮人だった。在日韓国人に国籍を変えるところから、話が始まっている。その違いを、私はあんまり意識したことがなかったというのが、正直なところだ。
その家族を取り巻く風景、学校のやりきれないほど攻撃的な気配は、『パッチギ』の景色が思い浮かばれてならなかった。
差別の状況の変わらなさが、現代的なものだと思いたくなかったのだと思う。

でも、小説の大きな要素は国籍と差別の問題だけれども、もう一つ、恋愛の問題がある。
人を好きになるのは、その人だから、という以上に理由はないよね? そう問いかけてくる。
相手の属性で人を好きになるのかな? それとも、その人だったからこそ、好きになったのかな?
恋愛は蓋然的なものではなく、直観的なものではないだろうか。属性を愛情の引き算に使うことは、愚かしくて悲しいことだ。つい、やらかしてしまうことでもあるんだけど。

世代交代が進む中、日本で生まれて、日本で育って、韓国/朝鮮語も使えるけれども、日本語をメイン言語に選択している人なら、日本人というくくりにしたらそんなにいかんのだろうか。
私にはよくわからん。
日本という行政区画に住んでいる人を便宜的に表現するために、日本人という単語がないと不自由に感じるし、個人の所有している文化を個性に還元することはできても、地球上の文化が等質かというとそうではないとも感じている。
私の思考能力では地球上の人類を個人の単位で把握することはできない。いくつかのタイプわけをしてなんとか接近を試みるのが限界だ。パーソナリティの分類をすることもあれば、地域や文化による分類のほうが有益なこともある。
だから、国の概念とか制度というのはある程度までは必要だと思うけど、あるところから先は余計なお世話に感じるのだけど、私がこう書いたって昔の知り合いは偽善的だと言うんだろうなあ……。

冷静に見れば、杉原が好きになる桜井という女の子も、いろいろなものに縛られている。
その一つは、まぎれもなく父親から引き継いだ偏見と無知という縛りだ。余裕のある女じゃなければかっこわるいという価値観にも縛られている。自分の名前の嫌悪感、そこには、父親の日本嫌いという矛盾した態度の影響も読み取れるかもしれない。
ちょっとね、私は、あんまり、この子は好きじゃなかったけれども、主人公が気に入ったんだから仕方がないか。

差別のことに触れるのは難しいけれど、成長物語として、また、恋愛物語としても魅力的。
GO。
タイトルは、広い世界へ「行こう」という呼びかけのようにも読めたし、知らずに背負わされた「業」のような気もした。
多分、読む人によって受け取り方は違っていい。
自分は自分。そういう根っこを感じることができたら、少しだけ、国境線が薄くなる気がする。

少しずつ読んでいったので前半はそんなにのめりこまなかったのだが、100ページを過ぎたあたりから後半はいつものように一気読み。
葬儀に行ったその日に、葬儀のシーンを読むのは、ちょっとしんどかった。
でも、主人公と一緒になって、亡くなった人に「おやすみ」と告げたくなった。お焼香をあげながら、自分が心の中で浮かべたその言葉を、本を読みながら繰り返した。

2008.11.10

姫百合たちの放課後

姫百合たちの放課後 (ハヤカワ文庫 JA モ 3-3)  森奈津子 2008 ハヤカワ文庫

なるべく軽い本が読みたくて、できれば笑える本が読みたくて。
というわけで、最近のお気に入りの森さん。ちょっとSF風味を期待して、ハヤカワ文庫を手に取った。
短編集につき、表題作の女子校風味のものもあれば、SF風味の偽史シリーズもあって、更には私小説風のものまであり、盛りだくさんだ。
発表が1995年から2002年のものとあり、単行本のあとがきと文庫版のあとがきを見比べると、著者をとりまく環境の変化が興味深い。

タイトルからして、パロが多いのだけれども、内容が予測できない。
「花と指」とか「2001年宇宙の足袋」とか「お面の告白」とか……。でも、このあたりが面白かったかな。
「ひとりあそびの青春」という私小説風のものは、途中まで本当に私小説だと思って読んでいたのだが、中学生の頃に友達に「新井素子のSF小説を貸してあげた」というくだりが出てきた。
この人もか!と思うと同時に、妙に納得した。あの頃のSFの空気が、森さんにも漂っているから、なんだか懐かしいのかもしれない。
というか、森さんのSF系のエロは、ナンセンスさが際立って、楽しいんだもん。

表紙はうっかり手に取りたいぐらい可愛いけれど、未成年は要注意。かも。

(DJCD)図書館戦争関東図書基地広報課 実態調査報告 第壱巻

DJCD「図書館戦争 関東図書基地広報課 実態調査報告」第壱巻  買っちゃった。
末期ですよね。

声優さんにはまるつもりは毛頭なかったのですが、DVD第二巻についていたDJCD「図書館戦争関東基地広報課特別編」が予想外に面白かったので、つられてしまいました。
ちなみに、WEBラジオは聞いていません。

感想ですが、びみょー。
堂上役の前野さん、手塚役の鈴木さんに、寮監こと有川浩さんが加わって、スカイ・ダイビングに挑戦。
……という内容で、前野さんの泣き言が聞き所になっているようです。
一番の男前は、なんといっても、有川さんです。
あ。アニメのEDの郁のイメージって、スカイダイビングだ。

しかし、いかんせん、やっていることがやっていることなので、飛行機の離着陸の音や、上空の風の音などがうるさくて、トークを聞き取るのが至難の業。
しかも、私は声を聞き分けられるほど聞き込んでいないので、どれが誰?状態。声優さん以外の人たちもしゃべっているので、余計に混乱の度合いが増してしまいました。

よって、一回聞いたら十分。

ちなみにブックレットのスカイダイビング・レポート担当は有川さんでした。

(DVD)図書館戦争4

図書館戦争 【初回限定生産版】 第四巻  見所は、なんと言っても、頬を染める堂上教官ではないでしょうか。カップ麺のふたを開くときの嬉しそうな顔も捨てがたいものがありましたが。
『ジュエル・ボックス』と折り重なって、見ている私のほうが恥ずかしい。
部屋で一人で観ていたのをいいことに、うひゃあ♪と声を上げてしまいました。

状況07「恋の情報探索」は柴崎と朝比奈の一件。
余計な登場人物が出てこない分、原作よりもあっさり風味。
堂上の出番が少ない回で、あんな表情が出てくるとは思いませんでした。
むふふ。

状況08では、手塚兄登場。
アニメの手法として仕方がないのかもしれないけれど、こういう見るからに悪役っぽい感じじゃなく、手塚兄にはもっと好青年風に登場してほしかったです。
あと、手塚に「君はどこの王子様だっ?」と訊いてみたくなりました。

状況09のあの名台詞を聞いて上戸にはまる小牧がいないのが寂しかったかも。
ちゃんとクワガタも出てきたし。この回は、アニメもかなり甘くなっていました。
もうねえ、郁よりも堂上が可愛い。たまらんです。単なる不審者のような気もするけれど……。

表紙は柴崎ですが、堂上ファンにお勧めの巻です。
あー。も一回、観ちゃおうかな。

ジュエル・ボックス:図書館戦争DVD SPECIAL STORIES4

図書館戦争 【初回限定生産版】 第四巻  有川 浩 2008 DVD特典

いつもはDVDを見てからしか感想を書かないようにしているんですが、読んじゃったという報告も兼ねて。
本屋さんの駐車場の中でパッケージを開けて、そのまま車の中で読んでしまいました。
にやにやへらへらしていたと思います。アヤシイ人だったと思います。自信を持って断言します。

だって、堂上教官が……。
笑っちゃいますよ。これは。むふふふふ。
なーんて、可愛いの! 嬉しくなっちゃいますねぇ。
特殊部隊の皆さんが温かい目で見守りつつからかう気持ちがよくわかります。

本編には描かれなかったところで、郁は膨大に伝説を作っていたことが垣間見えました。
もう本当に、教官は大変だったんですねぇ。よくがんばったんだなぁ。
私が堂上教官の頭をポンポンとしてあげたくなりました。
え? 怒られる?? ……うん。確かに。

堂上班の日常を描いた短編。
ここでこういうのが来るってことは、最後に何が来るのか、またまた読めなくなりました。
隊長&折口さんを期待していたのですが、堂上夫妻の結婚式かなぁ。それとも……。
楽しみですが、寂しくなりますね。

2008.11.09

蒼路の旅人

蒼路の旅人 (偕成社ポッシュ 軽装版)  上橋菜穂子 2008(軽装版) 偕成社

読み終えて大きなため息が出た。
途中から涙が止まらなくなった。
どうやったらこの一冊で終わるのか心配になるほど、物語は先へ先へと広がりを持って突き進んでいく。
もう後戻りはできない場所へと、主人公チャグムが連れ去られていく。

バルサも大好きなキャラクターで、守り人シリーズでバルサが出てくるのは嬉しいのだが、物語としてはチャグムの旅人シリーズのほうがダイナミックで面白い気がする。
チャグムの成長は著しいが、成長するほどに父に疎まれた皇太子という環境の厳しさが身にしみる。
その上、世界は百年に一度の大きな変化のときを迎えようとしており、チャグムを放っておいてくれはしないのだ。
15歳の少年がたった一人で何ができるというのか。心の中で、バルサやタンダ、シュガやトロガイとの記憶だけを支えにして。

物語の中では、いよいよタルシュ帝国が姿を表す。新ヨゴ皇国の先祖の国であるヨゴ枝国とともに。
真っ先にローマ帝国を想起したが、オスマン・トルコのほうががイメージに近いだろうか。
大国には大国のロジックがあるが、小国には小国のプライドがある。そして、一人の人間の価値は等価であるはずなのに。
理不尽を呑むにはチャグムはまだ若い。彼は未熟である。純粋である。清廉である。潔癖である。
そして、血肉の暖かさ、生命の重たさを知っている。冷酷な為政者の在りように嫌悪を感じる、熱くて豊かな魂の持ち主だ。
数々の試練や苦難が彼の魂をさらに磨き上げていくが、そのたびに血のにじむような思いが感じられて、つらかった。
単なる子どもであることを許されない子どもが痛々しくてならない。

いつものように一気に没頭して読んだ。現実のもやもやをつかの間忘れることができる。このファンタジーの力に、私はよく助けられる。
だから、チャグムがナユグに心惹かれることもさもありなんと思う。美しくて、美しくて、そこに閉じこもりたくなることもあるだろう。
せめて夢を見ることが許されなければ、耐えられない気分のこともある。
しかし、彼は最早そこに逃げ込まずに踏みとどまる。チャグムはあきらめない。投げ出さない。逃げたくても逃げられない日々を、乗り越えていく。飛び込んでいく。次の舞台へ。

新キャラのヒュウゴにちょっとときめいてしまった。
私の個人的なヴィジュアル設定では、シュガと並んで、ハンサムさん決定。
こういう格好のいい人が出てくると、読んでいて余計に楽しくなってしまう。この後も出てくるのかな?
帝の狩人らや、サンガル王国の人々など、これまでの物語に出てきた人々の再登場もあれば、新しい登場人物も多い上、個人ではなく国の単位の物語が動き出す。佳境へと差し掛かった感じだ。

しまったー。
読んじゃったよ。軽装版の8巻は出ているけれども、その先はまだ出ていないんだよー。
解説の佐藤多佳子さんにそそのかされて、オリジナル版に手を出したくなるのを我慢ー!
もー。早く先が読みたいぞー。気になるーーーっ!!!

2008.11.04

心ヲナクセ体ヲ残セ

心ヲナクセ体ヲ残セ (角川文庫 か 49-2)  加藤幸子 2008 角川文庫

2008年、誰かニジドリを見ただろうか。

新刊の広告の中で気になった本だった。
購入してみたら、梨木香歩さん大絶賛と帯にあり、期待して手に取った。

「主人公のいない場所」という題にまとめられた短編集は、「火の恋」というものから始まる。
アカショウビンだ。鮮やかで美しい鳥だ。お気に入りの鳥の写真専門のブログで見かけた姿を思い出す。
なんとも印象的な景色を皮切りに、いっぺんが4ページほどのとても短いものが24編。
これだけ短いにも関わらず、読むのは少し苦痛に感じた。短編集は苦手にしていたことを思い出したぐらいだ。

一人称ではないが、三人称というほど突き放している感じもしない。
登場人物の心の中まで見通すことのできる透明なまなざしの持ち主が語っているような気がした。
内心に触れることができるが、しかし、他人事のような冷たさがあり、語り口は常に淡々として一定なのだ。
そういう意味では、主人公となるのは、物語の中での死者や不在者というよりも、直接には登場しない透明のまなざしの持ち主であり、文章に足跡だけを残している書き手であり、また、読み手のいずれかということになるのだろうか。
しかも、理不尽で、不条理で、死の臭いがはしばしに漂う。本来、生き物の生は、常に死を傍らにするものだということを思い出さされる。
物語の手触りから、ミヒャル・エンデの『鏡の中の鏡:迷宮』という短編集を思い出した。
梨木さんの解説が精密で素晴らしいので、あわせて読むと居心地の悪さも少し納まった気がする。

「渡鶴詩」「雀遺文」「アズマヤの情事」「ジーンとともに」の中編は、私にもぐっと読みやすいものであり、引き込まれた。
人間が発展の名の下に自然破壊を進める時代の野性に生きる不条理や理不尽は、「渡鶴詩」や「ジーンとともに」で痛切にあらわされる。
しかし、「雀遺文」でも「アズマヤの情事」でも、理性という壊れた本能ではどうにも得心できぬ、あの燃え立つ衝動、自分の中にあるもう一人の自分の声を聞かされることでは共通である。
確かに、単なる擬人化ではない。その上、単なる自然観察報告でもない。

上橋菜穂子『神の守り人』に出てくるスファルや、マーセデス・ラッキーがヴァルデマール年代記の中で描く鷹の兄弟たちは、猛禽類を自分の目や耳のように使う。
どちらも、アクチュアリティをファンタジーに付与することのできるほど、素晴らしい想像力と描写力を持った書き手である。
さしづめ、そのスファルや鷹の兄弟たちが、自分の魂を、鳥という存在に託す感覚は、こんなものではないだろうか。
人間とはまったく異なる肉体を持ち、精神を持つ存在。その異なるという感覚がクリアに体験されるような、不思議な文章だった。

「ジーンとともに」を読むと、著者がやりたかったことが一番はっきりと感じられる気がする。
私は「雀遺文」も好きかな。読み終えた直後に、落語「抜け雀」を聞き、またもシンクロニシティに驚いた。

 ***

ニジドリ。自分のジーンの囁きが聞こえる。多分、私はあのとき、ニジドリを見てしまったのだ。

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