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2008.09.06

差別の民俗学

差別の民俗学 (ちくま学芸文庫)  赤松啓介 2005 ちくま文庫

私の探している本とは違ったが、これはこれで圧巻。
なにしろ、活動家としての凄みがある。
司法省思想犯保護視察所なんてものが、ぺろっと出てくる。
それがどんなものかは知らなくても、不穏な気配は感じられる。
修羅場というと、特高が出てくるような時代の水平社運動だ。
それまでのエロいおやじさんのヨタ話っぷりがどこかに吹っ飛びそうなハードボイルドぶり。
著者も書いているとおり、その時代を生きていない私には、私と同時代の人が想像して描く戦前より、実感がわかないほどはるかに遠い世界の様相である。

熱い。学生運動を歯牙にもかけぬ、年季と覚悟とを感じさせられる。
農村社会を革命する時代に、なぜ民俗学だったのか。
赤松の著作は、柳田民俗学の批判として興味深いが、のみならず、民俗学に見せかけて革命運動史になっている。
そのヴァイタリティ、タフネス、フレキシビリティ、どれをとっても真似のできない熱さがある。
そもそも民俗学は「あらゆる底辺、低層からの民族の掘り上げ、掘り起こし、その人間性的価値と、新しい論理、思考認識の道を開く」(p.117)であり、赤松にとっては「日常の農民解放闘争に役立ち、かつ役立てられるべきものでなければならないという前提があった」(p.106)。
むしろ、運動の身を隠す仮衣としとの民俗学という面さえ見える。仮の身の行商であり、行商という仮面の聞き取り調査。

まだ学問が政治的な力を持っていた時代。赤松は、既存の民俗学(柳田民俗学)が排除したものを3つあげる。それが、性、差別、犯罪である。
差別を精神病に置き換えると、ミシェル・フーコーと通底する問題意識のありようが感じられまいか。
私が読むのは後世に書かれた覚え書きが中心であるが、この人が経済的にも学術的にも恵まれた環境に置かれたら、どれだけの大著を編んだことだろうか。
在野だからこその研究であり、活動だったとしても、近代日本像や日本人像、日本文化像といったファンタジーのやすやすと裏をかく人々の生活感が、もったいなく感じられてしまうのだ。

この本は大きく3本の論文で構成されている。白眉は「村落社会の民俗と差別」だが、昔話の階級性を指弾する「もぐらの嫁さがし」も素人には面白かった。
中里龍雄、南方熊楠ら、複数の学者が同じ昔話について解説している。
各自の研究スタイルや言語、視点の違いがクリアに浮かび上がって面白かった。
現代的な眼差しで見ると、学術雑誌には掲載をためらうような砕けた口調や艶聞めいた論評が含まれており、このゆるさは時代が失ったものだ。
更に、漢字の難しさと言ったら、概して意味は読み取れるものの、音が読めないもどかしさに「もっとルビを!」と叫びたくなった。
特に、熊楠はすごい。ひどい。漢文のまま引用するなよー。返り点はついているけど、日本語ちゃうやん。
昔の英語の論文に、しれっとラテン語やギリシャ語が混じっていて、難渋したことを思い出した。

森絵都『いつかパラソルの下で』で「千人斬りのヤス」という人物を出していたが、千人斬りも千人抜きも伝説にあらずと、執行時および達成時の習慣まで紹介したのも赤松だった。
そういう性の話も面白いが、私がこの本の中で一番好きなのは、山上の長大なルートのところだ。
三角寛がでてきて苦笑いした。赤松は捏造は嫌っただろう。それとも、哀れんだだろうか。
古本屋で三角の『サンカ研究』を見つけたが、手に取らずじまいになった。
ともかく、政府公認の街道とは異なる秘密の、しかし太古からの裏街道があったと聞くと、ファンタジーが膨らむ。
こういうロマンが、私にとっての民俗学および考古学の魅力であるのだ。

この本をも批判的に読むほどの知識と技量は私にないが、すごい歴史的な記録だと思う。
差別という繊細にして野蛮、秘匿されやすいわりには普遍的な命題に対し、著者は一層繊細なアプローチを心がけている。
「常民」や「民主化」「近代化」といったキーワードによって物事を単純化して、問題を隠蔽することに警鐘を鳴らす。
啓蒙されたというのは実は神話だったと明らかにするごとく、ポストモダンが好んだ手法で差別として掲げられている問題を解体する。
事態の多様性を損ねずに受容し、複雑な認知をすれば、上下に短絡に差別可能にする境界線は曖昧になるのだ。
万能で安易で簡単な処方箋など存在しないのだ。
そうやって丹念に、臨床的に個なるものを見つめていくしか。
考えさせられることの多い、充実した読書となった。

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