いつかパラソルの下で
知られたくないようなことなら、最初からやらなければいい。(p.104)
そりゃそうなんだけど、秘密というものは人を引きつける魅力があるのだ。
秘密の匂いを嗅ぎつけたときの私は、クリームを前にした猫のように舌なめずりをしているかもしれない。
自分自身は秘密を抱え込むのは上手ではないが。
『カラフル』から続けて読み、あまりの作風の違いに驚いた。
前作は14歳の少年が主人公なだけに感じられなかった女性の匂いと性の匂いが濃密だ。
振り返ってみれば、『カラフル』の中の桑原ひろかの造形は肉惑的で、性欲も普通で平凡なものと肯定されていた。
対して、この『いつかパラソルの下で』に出てくる主人公家族は、自分の性に歪みを見いだしている。
「非凡」というより、「普通ではない」という否定文が持つネガティブなアイデンティファイが宿命づけられている。
たとえば、野々は感じない女だ。濡れない女だ。ふわふわと仕事と同棲相手を変えながら生きているから恋の多い女に見えて、彼女はいつも捨てられる覚悟をしながら男性を抱く。
まともに恋ができないほどの劣等感、自分は愛されるわけがないという諦念。
その心情が切なくて、親近感も感じた。
好きなのに、好きなのに、こんな私だから、いつか捨てられなくてはならない。
好きだから、好きだから、あなたが望みを私はかなえてあげてしまいたくなる。
あなたが消えろというなら、私は消えるしかない。
相手の負担にならないように、遠慮して控えめに欲張らずにつつましく目の前の幸せを大事にしてきたことを、将来を考えていないと糾弾されたら、泣く声も出ない。
極度の潔癖症の父親が支配する家庭。その父親が死んだ後、母親は心気症のような行動をとり、家とは決別したはずの主人公と兄、家に取り残された妹が集まる。
この家族像も見覚えがあると目を疑った。似たような雰囲気、構造、問題を持つ家族は、実際に少なくないだろう。
家族史や郷土文化に知らず知らず縛られている人は多いはずだ。うちの親族だっていまだに旧民法の世界観だし。
マクロな家族の点でも、よりミクロな野々の恋愛の点でも、なさそうでありそうな普遍性を持たせて、同時進行しているから、厚みがあって面白い小説になっているのだと思う。
父を探す旅は自分を探す旅になる。
俄然、著者の力強さが登場人物に乗り移ってくる。
親を許す旅は自分を許す旅になる。
家族の再生などというとチープになってしまいそうだが、桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人たち』やよしながふみ『愛すべき娘たち』と同列に並べておきたい。
力強く、前向きで、ハッピーな気持ちで読み終えることができた。最初は入り込みづらかったが、こういう気分になれることが嬉しい。
人生の不幸の原因は親であると怪気炎をあげている人は、小説なんて作り物の綺麗事と切って捨てちゃうかな。
小説が追いつかないような悲惨があるのはわかった上でなお、親への割り切れなさを抱えている大人に勧めたい。反抗期を生きることを許されている10代の読者には、二十歳を過ぎても急に変わるわけがないってことと、いつまでも親の所為にするのは格好悪いことを、この本から感じてほしい。
***
誰だって親には恨みの一つもあるけど忘れたふりをしてるんだ、親が老いて弱っちくなるのを見てしょうがなく許すんだ、それができないでこれからの高齢社会をどうするんだ、みみっちいトラウマふりかざして威張ってるんじゃねえ(p.198-199)
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