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香桑の近況

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2008年7月

2008.07.31

宿縁の矢:ヴァルデマールの使者2

宿縁の矢 (C・NovelsFantasia ら 1-2 ヴァルデマールの使者 2)  マーセデス・ラッキー 澤田澄江(訳) 2008 中央公論新社(C.NOVELS)

タリアの物語の続きだ。
少女は成長し、次の局面に入る。
見習いの灰色の制服を脱ぎ捨てて、正式な白衣の使者となるとき、新たな義務と責任が与えられる。
敵は、誰だ?

《女王補佐》という特別な地位になるべくして使者に選ばれたタリアは、特殊な能力を持っていることが前巻で明らかになっていた。
共鳴と投影。この能力の使われ方には、舌を巻いた。ラッキーは小説家ではなく、心理療法家ではないかと、何度も思った。

クライエントの苦痛にセラピストが共感し、セラピストが自分の感じている苦痛を乗り越えることで、クライエントを治療するのが、精神分析の治療機序だ。
そして、投影は、精神分析の重要な概念の1つだ。「相手が怒っていると私が感じるのは、実は私が怒りを感じているから、相手が怒っているように見えた」という心の機能のことである。
この応用として、投影同一化のような概念もあるが、うまく説明できたためしがないので、ちょっと横においておきたいが、いずれにせよ、投影というものを考え出すときりがなくなると思っている。

これは私の感情なのか。
それとも、あなたの感情なのか。
私の感情があなたの感情を引き起こしているのか。
あなたの感情が私の感情を引き起こしているのか。
私の感情があなたの上に映し出されて、あなたが感情を持っていると私が感じているだけなのか。
この感情の起源はどこだ。
これは誰の感情なのか。

人と関係を結ぶということは、お互いに無関係ではいられないということである。
共にいれば、必ずそこになんらかの影響なり作用なりが相互的に働く。
人は個々に独立して、乖離して、誰にも何も影響を与えず、かつ、誰からも何も影響を受けずに存在することはできない。

タリアは、そんな当たり前のことに気づくだろうか。
スキッフとは恋人というよりも兄弟のようになってしまったが、ダークとクリスという二人組の使者たちがタリアを導き、育てる役につく。
学院から旅立ちの時を描き、北方を巡視する淡々とした展開ながらも、読むほどにひきこまれた。
読み終えた今は、早く三巻目を読みたくて仕方がない。

 ***

  天翔の矢:ヴァルデマールの使者3
  女王の矢:ヴァルデマールの使者

デトロイト・メタル・シティ(1)

買ったきっかけ:
出来心。笑
塔のレジ横に置かれた表紙のインパクトを無視できず、店員さんの可愛い笑顔に促されて、買っちゃった。

感想:
どうしてこんなバンドをやる羽目に陥ったのか?
そこはわからないけれども、DMCの伝説が増えていく過程が、笑えてしまった。
いやいや、どなたもいろんな苦労があるわけで。
気苦労を内心に秘めて見せないクラウザー様は、カコイイのかもしれません。

おすすめポイント:
出てくる歌詞が歌詞だけに、ある一定年齢以下には読ませたくないとは思うけれども……。

やっぱり、夏はメタルです。さー、続きを買いに行こう。

デトロイト・メタル・シティ 1 (1) (ジェッツコミックス)

著者:若杉 公徳

デトロイト・メタル・シティ 1 (1) (ジェッツコミックス)

2008.07.23

ぼくのなつやすみ美術館

ぼくのなつやすみ美術館  綾部 和・草薙 2003 光村推古書院

表紙の色に引かれて、なんとなく手に取った。
本棚の書架の中で、ひときわ目を引く鮮やかな空色。
中を一目見てひきこまれ、即座に購入した。

ゲームの存在は知っていたが、やったことはない。
これは、「ぼくのなつやすみ」「ぼくのなつやすみ2 海の冒険編」という二つのゲームの背景画を集めた画集だ。
ぽつぽつとはさまれた子どもたちの会話もいい。

以来、夏になると眺めたくなる、お気に入りの一冊だ。
夏休みも近づく時期になると取り出して、夏の間は手近なところに置いている。
この本は、開いただけで夏休みに、それも小学生の頃の、子どもの頃の夏休みの世界に引き戻されるような感じがする。

せみの声や波の音、蒸した空気やじりじりと音がするような暑さを思い出す。
アスファルトの焼ける臭い、揺れる景色、逃げ水を追いかけて歩く。
熱気をはらむ風、日向と対照的に暗い室内、風鈴がちりんと鳴って我に返る。
せせらぎの冷たい水、草いきれ、汗が噴き出しては肌の上をすべり、地面に落ちる。
ラムネの喉越し、甘く空気を洗うスイカの匂い、氷菓を食べ過ぎてこめかみを押さえる。
蚊取り線香から一筋上る煙、花火のはぜる音、流星の雨が夜空に降る。

夏が、過ぎる。

長いはずなのに、最後は少し切ない気分になる、そんな夏休み。
もう失われた景色が色鮮やかに蘇るような郷愁を感じた。
(2005.2.11)

花伽藍

花伽藍 (新潮文庫)  中山可穂 2004 新潮文庫

同性愛者であるということは、現行法における日本では、最愛の人と結婚できないということだ。
5つの短編の主人公達は、同性愛者だ。同時に、幸せな結婚という制度の外から温かな家庭というものに憧れの眼差しを送る、独身女性達の物語と言ってもよいだろう。
だから、この本は、ビアンかヘテロかに関わらず、結婚を諦めつつも砂をかむように孤独を噛み締めている30代以上の独身女性に訴える力を持っていると思う。
しかも、30代も半ばとなれば、生殖の限界が差し迫ってくる。妊娠出産が、自分の意思に基づく「未」から機能に基づく「不」に移るとき、「非」は喪失の苦しみを孕む。

それでいて、短編となると、この作者の身も心も切り裂くような息苦しい痛みを描くには足りない紙数になるのか、むしろユーモアの面が浮き上がってくるように感じる。
穏やかに読み勧めることができたのは、地に足が着いた生活感だったり、猥雑さを軽々と取り入れるユーモアの感覚のおかげだと思う。
5つの中で1つを選ぶなら、私は「七夕」が好ましく感じた。

「鶴」は、人妻との情事を描く。恋愛や性愛は同性の間にわかちあえても、生殖には関われない悲しみが、痛い。
愛する人の生活を壊すことはできない。それが愛する人の一部であり、それを取り除けばその人ではなくなってしまう。

「七夕」に描かれるのも、美しい夫婦の関わりへの憧れである。憧れるが手の届かない関わり。だからこそ不可侵のままに守りたくなるような関係。
礼儀正しくしつけられた大型犬のような男性というのは、まさに私の好みのタイプでどきりとした。いろいろと心を見抜かれたようで、居心地悪いぐらいだ。
健康的に家庭を営み、家族を大事にしている男性に魅力を感じる。しかし、性愛の関係になりたいとは思わぬ男性でもある。なぜならば、その男性は家族を大事にしていることが魅力であるのだから、家族を裏切ったら魅力を失うのだ。健やかな家庭や美しい夫婦は、遠めに見守るのが楽しい。
それでも、疲れて、疲れ果てて、どうしようもないとき、自分よりも大きな胸にすがり、自分を包む腕に慰めてもらいたいときがある。無力で弱々しい小さい存在となって、守り、励まされ、慰めてもらいたいときだってあるのだ。

「花伽藍」は、夫婦関係が壊れた後の、再び独りで過ごす女性が主人公となる。後半生を考えたときの不安感には、共感を持つ。
さりとて、別れた夫とよりを戻すことはできない。その人との生活を続けていたら、どんな人生だっただろうと思い描くことをしても。
この先を共に生きる家族は、結婚以外の繋がりで結ばれる可能性を指し示す。どこか希望のある短編だ。

「偽アマント」は、失くした恋人を思う、切ない夜を描く。失くして悲しいのは、恋人か、恋人の思い出か、飼い猫なのか。
恋人を失うということは、その人と過ごしてきた生活を失うことであり、その人と過ごすはずだった未来をも失うことだ。
そして、失うことは、つらく悲しいことのほうが多い。
嫉妬すれば相手に疎まれる。そう思えばこそ堪えれば、嫉妬すらもしてもらえぬと嘆かれる。
愛すればこそ、受け入れるべきなのか。それとも、泣いてすがりつけばよかったのか。

愛する人を失うことには耐えられないから、愛する人よりも先に死にたいという人がいる。
愛する人を最後まで見守りたいから、愛する人よりも後に死にたいという人がいる。
どちらも大きな愛に違いない。
「燦雨」は、雨のように、惜しみなき降り注ぎ、染み入って潤う、愛の理想の物語だった。
こんな風に愛し合うことを、愛し抜くことを、願える相手と出会えた人は幸いである。

2008.07.22

レンタルマギカ3:魔法使い、集う!

レンタルマギカ 魔法使い、集う! (角川スニーカー文庫)  三田 誠 2005 角川スニーカー文庫

物語の時系列では、1巻と2巻の間を埋める短編集。
2巻よりも、こっちを先に読むほうがお勧めかな?
見習社員の黒羽まなみが増えた経緯が、ひとつめの短編だ。

意外と、全編で活躍しているのって、猫屋敷さんのような気がする。
猫達が可愛いのだ。登場するときの鳴き声が、微妙に毎回変わっているのも細かくてよい。どんどん増殖しちゃえ~。

可愛い女の子ばかりってところが、お約束。
みかんちゃんも可愛くてがんばっているし、穂波も可愛いけどちょっと影が薄くて、アディも可愛くて一番お気に入りかも。

気軽な本を読みたくなったら、続きを手にとってみようかな。
子どもに返って、魔法で遊びたくなるときに、格好だから。
業務日誌が楽しかった。

空の中(文庫本)

空の中 (角川文庫 あ 48-1)  有川浩 2008 角川文庫

デビュー2作目『空の中』の文庫化。
短編「仁淀の神様」が収録されている点、単行本を持っていても見逃せなかった。
結果、とても分厚い文庫本になっていて、ちょっと驚いた。こんなに長い小説だっけ?

単行本を読んだとき、妙に駆り立てられるような興奮があった。
そのくせ、あまり読み返せずにきた本だった。瞬や真帆のような子どもたちに触れることは日常に多いから、改めて読書のなかでも接したくなかったのだと思う。

単行本では、ディック-フェイクに対象関係論的な発達段階を読んだ。母との幸せな合一を失ったときから人間が宿命的に背負う喪失の体験の物語である。
今回、改めて読んでみると、少し印象が変わった気がする。なんでだろう。
有川作品を読み慣れたからかな。強引さを感じなかったのは、既読だったからだろうか。

子どもたちの成長の物語と、大人たちの恋愛の物語が、いい具合に寄り合わされているところも魅力だ。
大人たちの筋を追うと「ファイターパイロットの君へ」が読みたくなるし、子どもたちの筋を追いながら読んでいくと「仁淀の神様」がぐっと来る。
モデルとなった川漁師さんのことは、以前、野性時代の特集で写真と記事が出ていた。あの方は亡くなられたのか。御冥福を祈る。
亡くなった人を神様になったと考えるのは、古くからある伝統的な考え方である。迷信的かもしれないが、死を受け止める素敵な、洗練された考え方だと思い出させてもらった。

そして、命は連綿と受け継がれる。
短い命も、長い命も。
生まれ、守られ、育まれ。
生み、守り、育み。
いつか、老いて、衰え、死に行くまで。
この営みを、人はどこまで続けられるのだろうか。

夏休みの思い出を振り返るような、思い出のアルバムのような、一冊になる。

もう一度、解離性同一障害について触れておきたい。
解離性障害について、一般的な知識として重要なことは、「現代の精神医学では解離を必ずしも病的な現象とはみなさず、むしろ個人が破局的な体験を乗り越えるための防衛機序として認識されている」(西村良二『解離性障害』)ことである。

2008.07.16

妖怪アパートの幽雅な日常(5)

妖怪アパートの幽雅な日常〈5〉 (YA!ENTERTAINMENT)  香月日輪 2006 講談社

アヤシイのは人間。
怖いのは、人間。
それも、傷つくことのない人間は怖い。
善意というものは、時に、とてつもなくたちが悪い。

美味しいご飯を食べて、清潔を保ち、労働や勉学に勤しみ(頭も体も使って)、他者と触れあう。
生活が健康であるというのは、こういうことだ。触れ合う人々は怪しくて、住んでいる場所も不思議だらけであるのに、小説の世界は明朗健全。安心感がある世界だ。
日常生活を魅力的に描きあげるところが、このシリーズの気持ちのいいところだと思う。
特に、食生活の面は、素晴らしい。日本人でよかった~!と、何度、登場人物たちが叫んでいることか。

どちらかといえば、主人公の学校生活を主軸に描いており、妖怪アパートの話は少なめ。
この巻は、味覚の秋だけに、もひとつ、よだれが出るようなメニューをばしばし出してもらいたかった気もする。
学校の中というのも、有象無象に満ち満ちているわけだが、主人公の成長が見て取れるのが微笑ましい。
同時に、著者の文章もますます読みやすく、整っているものになっていると感じた。

千晶は人気がありそうだなあ。
頭の中で思い浮かんだイメージ映像は、3-Zの銀さん……。
さーて、善意の塊さんがどうなるのか。続きが気になる。

 ***

  妖怪アパートの幽雅な日常(6)
  妖怪アパートの幽雅な日常(4)
  妖怪アパートの幽雅な日常(3)
  妖怪アパートの幽雅な日常(2)
  妖怪アパートの幽雅な日常(1)

2008.07.15

妖怪アパートの幽雅な日常(4)

妖怪アパートの幽雅な日常〈4〉 (YA! ENTERTAINMENT)  香月日輪 2005 講談社

季節は梅雨から夏へ。
私がこの本に取り掛かると同時に、梅雨明けした。暑い空気が、小説の中の夏と重なる。

やはり、大冒険が待っているわけではない。
魔道書を使いこなすための地道な修行が続き、生活のための地道なバイトが続き、そんな日常の生活は、小さいながらも出来事の連続なのだ。

子どもは不自由でいい。
なにしろ、子どもは不自由なものなのだ。
自分の心も体も不安定で、自分を使いこなす練習をしている最中であり、自分を知る過程の途中であり、本来の自分の能力なんてもの自体が変化している只中であるのだから。

子どもは不自由でいい。
それは、守られているということだ。
自由という権利に伴う責任という義務を、大人が肩代わりしている。子どもが責任を持つことができるように育て、子どもが自由を掴めるように教え、子どもがいつか大人として誰かを守れるように守る。それが大人の役割である。

子どもを、子どものままでいさせてあげられるような、包容力のある大人と環境が、妖怪アパートの魅力である。
食事がうまく、不思議がいっぱいの夏休みを過ごしたいなら、この本をどうぞ。

 ***

  妖怪アパートの幽雅な日常(6)
  妖怪アパートの幽雅な日常(5)
  妖怪アパートの幽雅な日常(3)
  妖怪アパートの幽雅な日常(2)
  妖怪アパートの幽雅な日常(1)

2008.07.11

不都合な真実

不都合な真実  アル・ゴア 2007 ランダムハウス

肌を焼く暑さに眉をひそめたことはないか?
雨がスコールのように叩きつけるようになり、雪が降ることが減ったと感じていまいか?
花の季節が暦からずれていることに気づいたことは?
巣の中の鳥のヒナが減っていないか? 虫は増えているのに。
変化を感じ取り、真綿で首を絞めるような滅亡の予感、危機の不安を抱いている人には、無用の本であるかもしれない。
体感しているものを信じず、拒絶し、否認している人もいるかもしれぬ。いまだ実感を得ていない人もいよう。彼らのために問題提起をし、直面化を図るための本だ。
ただし、問題のあまりの途方もない大きさに、無力感や諦念ばかりを持つかもしれないが。

アメリカらしい。それが第一印象だった。
プレゼンの手法はもちろん、訴え方にアメリカ的なヒロイズムに満ちている。
アメリカ人が、アメリカ国内に向けて書いた本であるから、当然であろう。
自然に、無自覚に発露した、著者が拠って立つ文化の根源にあるヒロイズムなのだ。
アメリカの世界における被害を示し、原因を示し、責任を示し、役割を示し、地球の守護者として再生するためのプロパガンダとして、読むことができる。。
すなわち、アメリカの「俺たち、えらいぞーすごいぞー」というナルシシズムの伝統である。

皮肉を書いていても仕方がない。
科学的な説明の真偽は私にわかることではないが、写真を見て、胸を痛めることはできる。
ここしか住む場所はないのに、ここを滅ぼしてどうするのか。そんな単純なことを、人はたやすく見失う。
人間も自然の一部に過ぎないことを忘れてしまう。ほかのすべての生物が死に絶えたとき、人間もまた生き残れるわけがない。
いかなる経済成長を阻害されることは受け入れられないと言っても、その経済を支える人間を殺してどうするのか。環境を壊してどうするのか。
私も、経済や文化の成長の恩恵を享受してきた一人であることは否めまい。他者の成長を邪魔する権利はないとは思う。しかし、他者に私を殺す権利もない。私はそんなものを与えはしない。

before/afterを見比べる図版が多い。
1つ、残念だったのは、現在と予想される未来と比べているものと、過去と現在を比べているものの二つのタイプがあるため、後者が前者と混同されやすいことだった。
悲劇は未来に起きるのではない。既に、悲劇は始まっている。

だから、小さくてもできることを。
地球を守り、地球を救うため、ヒロイズムの助けを借りて、ほんの少し戦ってみてはどうだろう。
楽をしたがる自分の中の誘惑と。私と、私の大切な人たち、ものたちのために。

2008.07.05

ラブコメ今昔

ラブコメ今昔  有川 浩 2008 角川書店

勘弁してください。
これ以上は、涙腺がゆるんでどうにもならなくなります。
威風堂なき今、杏子ちゃんの新しい職場に買いに行った最初の一冊。

中身を知らない人は、表紙を見ただけでは内容の推測は難しいだろう。一見しただけでは意味不明な暗号の数々がちりばめられている。
裏側にこっそり『クジラの彼』も隠されている通り、同じ路線を引きついだ二冊目だということが、ファンにはわかる。
6編の自衛隊+恋愛モノという、有川さん登場以前には異種格闘技に近いような組み合わせの、ベタ甘を誇る短編集。
作者近影がりりしくてカッコいい。

「ラブコメ今昔」
雑誌掲載時に既読。そのときにも感想をアップしているので、リンクを参照。
人差し指で体重を支えちゃうところに、やっぱりほれぼれする。素敵。

「軍事とオタクと彼」
初読。
ああ、参ったな。ハッピーな場面で、涙が出た。最近、人の幸せに弱い。
仕事中に読んじゃいけないよなあ。と、慌てて涙を拭いた。
私には大事な人の優先順位、仕事はともかく休日で、私よりも優先のものがほかにあったら、疑心暗鬼になる。
とはいえ、あまり公言したくない趣味とか、公表したくない習慣とか、大なり小なりあるわけで。
安心して素をさらしてつきあえる。そんな相手は貴重だってこと。とってもね。

「広報官、走る!」
既読。
業種によって文化が違い、職場によって風土というものがあるもので、時にそれが衝突の火種になる。
そこで人心の掌握を心がけず、他者を踏みつけていることに気付かない王様は、ひきずりおろされるものなのだ。
お気に入りの女の子のために、がんばる主人公。心を守るために頑張るように、きっと命を守るためにもがんばるんだろう。きっとね。

「青い衝撃」
これも既読。雑誌掲載時に読んで驚いた一編。有川さんって、こういうのも書くんだ。
この本の中でも雰囲気が変わり、全体を引き締める役割を果たしている。
これも、疑心暗鬼になるときを生々しく描く。人を疑心暗鬼にさせる悪意を。
所帯じみていることを誇ってくれるだんなさんが素敵。バカでお調子者でも、押さえるところを押さえた愛妻家ぶりは付加価値が高い。
結婚して何年経ったとしても、かわいいと抱きしめられたら、蕩けるよなあ。

「秘め事」
もひとつ既読。タイトルから期待したものとは違ったんだけれども、確かに秘め事。
有川さんらしい話であり、だからこそ、新鮮さが薄く感じてしまった。そこここに既視感を持ってしまった。
名古屋港水族館、行きたいなー。行ってみたいなー。ひつまぶしも食べたいなー。夏に名古屋に行く楽しみが増えた。
何となくや気分で済まされるような関係だったと思わせられることは、どれほど心を切り裂くことか。

「ダンディ・ライオン:またはラブコメ今昔イマドキ編」
書き下ろしのこの一編はもちろん初読。期待していたカップルのストーリーだ。
このタイトル、新井素子を想起した。なんに出てきたんだっけ。
少しかすれた低い声、甘く腰に来る声の持ち主で、言葉足らずのへたれって、しかも手がセクシーだなんて、吉敷二曹、私のツボ。最後の最後で、うきゃーっ♪とやられた。
女の子も、男の子も、みんな幸せになるんだよ。幸せにならなくちゃね。

最後の最後で男性陣は詰めが甘くて、度胸の据わった女性陣が助け舟を出す。
それは、見方を変えれば、有川さんの描く男性が、女性を傷つけない、女性を大事にする、尊重する、優しい男達だということだと思う。
私はそこに有川作品の魅力を感じる。もちろん、女性がかっこよかったり、力強かったりするのも、気持ちよく読める重要な要素だ。

自衛隊に対する感情は複雑なものがある。
私は、日本国憲法第9条を誇りに思うからだ。
しかし、現実として、世界は奇麗事だけではやっていけない。
また、災害時における自衛隊の活躍の実績は、既に国内で無二のものである。
海外派兵については前の政府が慎重さに欠けたと思っているが、伊勢崎賢治『武装解除』が提案するように貢献の方法や余地は他にもあるのだろう。
不祥事は、自衛隊であれ、それ以外の組織であれ、等しく困ったものであるのなら。
困った人たちを除いた、他の一人一人の自衛官は懸命に練成して、やっぱり国という枠や土地の中にいる、私や私の大事な人たちを守ってくれていることになるわけで。
私の気持ちがやや好意的・肯定的な方向にシフトしたのは、紛れもなく有川作品の影響だと思う。

だから。吉敷の写真に託した思いは、作者の本書への思いであるように感じた。

2008.07.01

みうらじゅんマガジン vol.2 仏像ロック

みうらじゅんマガジン vol.2 仏像ロック  みうらじゅん 2007 白夜書房

音が聴こえてきそうだ。
レスポールの音がいい。そんなことを思っていたら、頭の中に流れてきたのは、みうらじゅん作詞の『愛の偶像』……。
様々な写真家が撮ったピンナップが迫力があって面白い。目線がユニークで、思わぬ角度から仏像を眺めることができたりする。
執金剛神立像のマイク向かってシャウトしているような写真が、この中でのマイ・フェバレット。

びっくりするのは小学校4年生のときから記録している仏像のレポート。
写真や新聞記事を貼り付け、自分なりの感想を書き込んだ、力作である。
小学生でこんなことができちゃうんだ。画数の多い漢字を一生懸命書き込んでいる、力を入れてペンを握る手が見えるようだ。
「奈良時代には全然竜ということばがついていない」なんて考察には、うーむとうなった。
即身成仏した人というか、文中の言葉を遣えばミイラ仏との対話も、想像力と共感性に満ちた豊かな感性が読み取れる。

仏像への愛情が溢れている。
それは、とりもなおさず、仏像への愛情を込めた人間への愛情であるように思える。
平和を希求しながらも、なかなか悟りに至ることのできない、ちょっとだめな人間への。
そして、たっぷりの遊び心と。

私のマイ・フェバレットな仏像というと、どの方になるかなあ。
興福寺や三十三間堂の阿修羅像はもちろん好きだし、中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩を挙げると、ベタすぎるだろうか。
彫刻ではなく、絵画でよければ、山口晃の四天王図は垂涎ものの美しさ。
女性的な観音菩薩像に髭があるのが苦手で、どちらかといえば天部の異形を見るのが好き。だから、清水寺や三十三間堂、東寺などで、俄然、テンションがあがる。
でも、だんだんと静かなたたずまいの仏様にも魅力を感じるようになってきた。結局、目移りばかりしてしまうんだなあ。

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