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香桑の近況

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2008年6月

2008.06.30

妖怪アパートの幽雅な日常(3)

妖怪アパートの幽雅な日常〈3〉 (YA! ENTERTAINMENT)  香月日輪 2004 講談社

主人公の夕士は、前巻で『小ヒエロゾイコン』というグリモワール(魔道書)を手に入れた。
学生から、召喚士にジョブチェンジしたわけだ。

じゃあ、ここから主人公が『プチ』を片手に大活躍するかと言えば、安易に暴力礼賛に陥らないところが、作者のバランス感覚だと思う。
ちょっとぐらい特別な力を手に入れたとしても、できることとできないことがあること。
できないことをあきらめるのではなく、できることをすること。できることを増やすには努力がいること。
そして、しなくてもいい争いは避けることも大事だってこと。

夕士を取り巻く妖怪アパートの大人たちが語りかけるように、作者は読み手である子ども達に語りかけている。
さて、次は誰が活躍するのかな?

 ***

  妖怪アパートの幽雅な日常(6)
  妖怪アパートの幽雅な日常(5)
  妖怪アパートの幽雅な日常(4)
  妖怪アパートの幽雅な日常(2)
  妖怪アパートの幽雅な日常(1)

鬱の力

鬱の力 (幻冬舎新書 い 5-1)  五木寛之・香山リカ 2008 幻冬社新書

字が大きい。
ここまで大きいと読みにくい、かも。

福岡出身の五木寛之と、北海道出身の香山リカの対談。
テーマは鬱について。

桜庭一樹『私の男』について論じたり、最近の政治家やスポーツ選手の騒動が出てきたり、昨日今日なされたばかりの対談のように錯覚する。
対談であるから、一つのテーマを絞り込んで探求するような整合性や一貫性よりも、一つのテーマにまつわる周辺のこもごもに触れる多様性や包括性のほうを楽しみたい。
読んでいるうちに、なんとなく香山リカの印象が以前と少し変わった気がした。

うつ病についての議論が盛んな今、うつ病と欝状態を区別することは大事だ。
うつ病の定義は、実際、かなり困ったことになっている。定義と概念、状態と治療をめぐる議論は、いつか来た道…と記号論の壁を思い出す。治療に有効なように操作的に定義すればいいじゃんと私なんかは思っちゃうのだが、形としては目に見えない現象の世界は簡単に割り切れないものでもある。
対談は、病として治療対象にすべきうつ病とは別に、時代の持つ欝の雰囲気、欝の力、欝という可能性を提示する。
DSMの台頭に伴う、うつ病の普及と拡散を問題視し、病気だから治せばよいという短絡的な発想へ警鐘を鳴らす。

小説家の知見の広さには驚く。その中で面白かったのは、モネ(1840-1925)以前のヨーロッパでは、雪を「病んだ自然」と捉えていたということだった。
連想したのは白雪姫だ。グリム兄弟はモネよりも時代がやや早いから、白雪は純潔の象徴などではなく、「病んだ自然」、人を拒絶するものとしての自然(キリスト教的理解に短絡的に基づけば自然は人間のために神が用意したもの)という文脈での読みが可能になる。
面白くない?
「雪のように白い肌、血のように赤い唇、黒檀のように黒い髪」は、なかなか不気味な象徴の集合となりそうだが、果たして当時の文脈ではどのように理解されていたのか。
想像は膨らむ。

逆の意味で気になる部分もなかったわけではない。
たとえば、文中にカントも登場するが、フロイト以前、哲学者の役割は家庭教師であり、カウンセラーのような役割もしてたことが挙げられる。
哲学を純粋に知的な作業と位置づけることがそもそもの間違いであり、ウィトゲンシュタインやニーチェを引くまでもなく、自分自身を賭したぎりぎりのところで編み出された言説であることのほうが多いのではないか。
日本における宗教観や彼岸の感覚のあたりも私の好きなトピックだが、どうこう言えるほどの知識がないから、んー?と疑問符を飛ばしたことだけ書いておく。

それと、近代医学は高価で、代替医療は安価であると誤解を生むような箇所があった。そこには、ちょっと反論したくなった。
交通事故後の鞭打ちを治してくれたのは、鍼灸院の先生だったもん。CTやレントゲンに異常がないから痛むのは気のせいと片付けられて、鎮痛剤しか処方されないところを、根気強くケアして、予防的なストレッチやトレーニングを教えてもらったんだもん。
保険の対象になるかならないかで、後者のほうが高価だったぞ……。
医療格差と言っているそばから、西洋的なものや近代的なものに価値を置く傾向がおのずと露呈してしまっているところに、価値観の持ちようの難しさを感じる。

個人的なことであるが、私自身は躁が苦手で、鬱っぽい人間だ。うじうじぐだぐだと考え込むのが習い性である。だから、哲学にも興味を持った。
自分を正当化するために、クラインのパーソナリティ発達論を重視する。すなわち、抑うつに持ちこたえる力を身につけることが、成熟の糸口になる。
うつ病は治すことが治療目標となるが、鬱状態はそれに耐えられるようになることが目標になるのだと思っている。
そんなのしんどいやんと言われても、一つも落ち込まない人生ってありえんと思うから、こういう正常化を図るような路線の本が出てきてくれてほっとした。

しかし、新書って分類しづらい内容が多いなぁ。対談だからエッセイじゃないけど、専門書というほど硬くないから……うーむむむ。

2008.06.29

フェロモン

フェロモン  神田 茜 2007 ポプラ社

こんなこと、男性が書いていたらきっと怒る。
でも、女性だから……。
穏やかに共感できる、三十路も半ばの女性達を描く短編集。
主人公達は、世代特有の生きにくさを持っている。青年期から中年期に移り行く中、人生の見直しを迫られる頃合だ。岐路で迷子のような心細い気持ちになることもある。
短編は、それぞれが独立したものかと思っていたら、最後に意外な繋がりがあって驚いた。
そうくるか! 巧みな展開だ。

最初の一編にジュード・ロウが出てきた。
何故に?と思っていると、映画『スターリングラード』のワンシーンが出てくる。
主人公が、その映画を観ていない人物に、あるラブシーンを説明する。
私もこの映画を観ていないが、このシーンは知っている。文章で読んだ。
有川浩が「野性時代vol.55:特集 30代女子のための『エロ』」で描いていたシーンだ。
目が丸くなった。そんなに女性をひきつけるセクシーなシーンなのか。
俄然、この映画が観たくなった。

心が浮き立ち、沸き立ち、踊り立つ。そんな状態を引き起こすもの。
それをフェロモンと呼んでもいいし、萌えと呼んでもいいだろうが、前者のほうが年齢にふさわしい品がある。

そう。恋は必要なのだ。
誰かを愛でるときめきが。
直接、触れ合うかどうかは関係ない。

好きな人を思う。
恋しくて、愛しくて、でも、届かぬ淡い思いを思う。
それで私が若返るなら、それだけでも恋をした甲斐があったことにしておこう。

 ***

助けを求められない女は、食器を並べる。甘えられない女は、チリひとつないほど家を磨き上げる。(中略)寂しい女は家のまわりを色とりどりの花で飾る。(p.152)

2008.06.27

ぼくが最後のクレーマー:クレーム攻防の方法

ぼくが最後のクレーマー―クレーム攻防の方法 (中公新書ラクレ 281)  関根眞一 2008 中公新書ラクレ

1に迅速であること。
2に誠意をもって行うこと。
3に正確を期すこと。

一見、シンプルな原則。しかし、自分だったら、どこまで徹底できるのか?
これを徹底したプロの言葉には、耳を傾けるに値する様々な智恵がこめられている。

著者が百貨店の「お客さま相談室」で働くうちに得た知見を中心に、医療現場および教育現場に活かす応用のヒントを付け加えた構成である。
お客さまはあくまでもお客さまであり、お客さまは正しいという視点から、著者は取り組む。
したがって、滑稽だったり、皮肉になりがち事例であっても、著者のまなざしは優しく、表現に敬意が感じられる。
第一に、相手の立場に立って話を聞き、クレームを訴えることによって何を求めているのか、その言葉の裏側にあるニーズをアセスメントし、そのニーズに応えるよう努力をすること。
これは、教育や医療をも含んだ接客やサービス全般に必要な能力ではなかろうか。

そういったコミュニケーション能力の高さは、仕事の上で必要なだけではなく、全生活史的に活用されるべきものだと思う。
コミュニケーションする対象である他者は、家族であれ、恋人であれ、友人であれ、先輩後輩や教師や上司部下や隣人や、事欠かない。
ただし、プロであることを求められるのは仕事の面でのことだ。仕事場面でのクレームは、個人攻撃ではないことをわかっていれば、この本に紹介されるような冷静な対応もいくらかとりやすくなるだろう。

ここで紹介されていた「お客さまは正しい」というスチューレオナードの信条は、解決志向アプローチの「クライエントはクライエントの問題の専門家と見なせ」という指針を想起させる。
どこまで対応できるかはさておき、クレームや苦情を言ってもらえるだけ、怒ってもらえるだけましだという感覚には共感する。
そこでそうやって相手が苦情を表明してくれるからこそ、こちらは弁明し、補償し、和解する機会を与えられるのだ。
そこで取り成しの機会が見つけられなければ、その後ずっと後悔しなくてはならなくなる。取り成しの過程は、確かに、ストレスに感じたり、エネルギーも奪われるとしても。
この苦情やクレームへの対応上手になることは、後々まで自分がすっきりと気持ちよくなるための工夫や努力なのだ。惜しんではもったいない気がする。

警察にゴキブリ退治をお願いしたり、恋愛相談の電話をかける人もいると、ネットで記事を読んだ。
どこでも相談を受け付ける部署では、本来、想定していない類の相談を持ちかけられてしまうこともあろう。
そんなときにも、この本は参考になると思った。

逆に、そういった的外れな要求をしがちな人にも、自分を客観的に眺めるきっかけになるといいのだけど。
自分自身もモンスターにならないように。
上手に、苦情を訴えたり、受け取ったりしたいものである。

2008.06.23

光の帝国:常野物語

光の帝国―常野物語 (集英社文庫)  恩田 陸 2000 集英社文庫

なんとなく気になっていた本をいただいた。
恩田陸、初挑戦。

こういう世界は好きだなあ。
短編集なので、すべてばらばらなのかと思いきや、どこか遠くで糸が繋がっていいる。
常野と呼ばれる一族の末裔たちをめぐる、一連の出来事。

もしかしたら、自分の居場所はほかにあるのではないか。
今ここではなく、どこか遠くに。
子どもの頃、そんなファンタジーを持ったことはありはしないか?
角笛に呼ばれることを夢見、衣装たんすの奥に入り込んだことや、鏡の裏の世界を覗き込もうとしたことはないか?
なにか特別な力を与えられ、なにか特別な運命の元に呼ばれ、なにか特別な使命を背負い、なにか特別な仲間と出会い、なにか特別な私が生まれる。

しかし、少数派であるというだけで「特別」になってしまう側から見ると、迫害される悲しみがあるかもしれぬ。
ただ当り前に生まれただけであるのに、特別なものを勝手に用意されてしまって。
そんな葛藤を織り込みながらも、すっきりと淡く優しく儚げに、幻が田舎の風景に描き足されていくと、とても魅力的な人々が透けて見えてくる。
見ようとしたら姿が見えなくなる妖精のような人々だと思った。
直視しては見えない。視界の端で捕らえることが、妖精を見る方法なのだ。

短編は、それぞれ持ち味、読み心地の違うものもあり、飽きることはないだろう。
常野の一族の伝説や噂話のような、遠くのほうに位置する物語から始まり、読み進むにつれて、少しずつ、どのような一族であるのかがわかるような順序で収められている。
できれば、もっともっと、この魅力的な一族の物語を読んでみたい。いくらでも膨らむ世界であるように思う。謎は、いっぱいだ。

読み終えて、馴染みの本屋さんに行った。
「恩田陸の本を」と尋ねると、即座に常野物語の二冊目があると出してくれた。
話すだけで読みたい一冊を選び出してくれる、こんなレファレンスサービスの充実している本屋さんが閉店するのが、とてつもなく残念だ。
買い忘れている本が次々に思い浮かぶ……。
あー。ほんとに寂しくなるなあ。

2008.06.19

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet  桜庭一樹 2004 富士見ミステリー文庫(画像は2007年発行の単行本)

表紙からしてラノベな桜庭一樹。この人が10代の目線で少女を描くものを、楽しみにして読んだ。
楽しむというと語弊があるかもしれないが、救いようもなく子どもは子どもでしかないことを容赦なく描く、その描き方が興味深いからだ。

同じ作者の小説を読み続けると、共通して立ち表れるモチーフに気づき、その人なりのテーマを考えさせられることがある。
梨木香歩であれば、子どもと対立する母、受容する祖母の三者関係。
中山可穂であれば、死んだ/別れた恋人との和解や、恋人の子どもの成長の喜び。
森見登美彦であれば、腐れ大学生活。悪友と、淡い恋と、偏屈な老人と、個性的でいなくなってしまった先輩と、古書店/古物商でのアルバイトと。
画家がいくつもの習作を経て、構図を洗練して作品を練成していくように、小説家もいくつもの習作を経て、その人が書きたい一番の物語を練磨していくのではないかと、思うようになった。

では、桜庭作品では、どんなアイテムが共通するか。
集団の中で、多数派というよりも少数派に属する少女たち。異端、非凡である主人公の資質。子どもであること、女であることという、環境に立ち向かう力の限界。
父親/兄との密着。ないしは、密着しすぎた関係の中の暴力。あるいは、美しい憧れの兄。許されざる性的な関係。
働き者で、情緒的な配慮の欠ける母親。子どもには母親の目が行き届かない。
舞台は地方都市。地域はお互いに顔見知りであり、閉鎖的。平和と協調。
私が今まで読んだものからは、とりあえず、そういった家庭像が、共通項としてあぶりだされてくるように思われる。

「少女らしさ」というファンタジーにそぐわぬであろう、衝動と暴力、苦境と慟哭を、あえて桜庭は取り上げる。
ラノベであるが、内容は夢物語ではない。虐待の現実にそぐう内容である。困窮の現実にそぐう内容である。同種の困苦を背負う少女たちは、少年たちも、現実に多い。
成長の物語と言い切るには、本人の手の届かないところでつきつけられる限界が大きすぎる、そういう課題を与えられた子どもたち。
奇麗事に聞こえるかもしれないが、だから、それでも、子どもたちに安心を確保するべく奮闘している大人たちもいる。
そこまで言及することで、桜庭は子どもが主人公たちに投影するであろう、「敵は大人」というファンタジーもやわらげてみせる。

生き延びることさえできれば、砂糖菓子の弾丸ではなく、本物の弾丸を手に入れることができたかもしれない。
いや、本物の弾丸をも使って欲しくないと語るのが『少女に向かない職業』だったように思う。
子どもたちを取り巻くのが、砂糖菓子の弾丸だけで対応可能な環境であれば、よかったのに。
砂糖衣に覆われて隠されているものに、気づける大人になりたいと願う私は、もう少し桜庭の描く少女の物語を読みたい。
イラストはラノベだけれども、単行本化してラノベ色を消したものを出したのは、大人にも読んでもらうためによいことだ。

ああ、そうか。と、後で気付いたことがある。主人公たち二人の名前だ。
なぎさは、渚だからこそ、彼岸から此岸の波打ち際へと打ち寄せられ、打ち上げられることができたのだろう。
彼女は片足を突っ込んでも、沖にさらわれることはない。
しかし、海の藻屑は。水底に沈む少女は人魚になることができたのだろうか。

 ***

児童虐待の防止等に関する法律

第六条  児童虐待を受けたと思われる児童を発見した者は、速やかに、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所又は児童委員を介して市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所に通告しなければならない。

レンタルマギカ2:魔法使いVS錬金術師!

レンタルマギカ 魔法使いVS錬金術師! (角川スニーカー文庫)  三田 誠 2005 角川スニーカー文庫

これって2巻?と、表紙を見たり、後書きを読んだり、確かめずにいられなかった。
途中のエピソードが一つ抜けている気がする。雑誌掲載時の問題なのかな?
というわけで、本筋とは少し違うところで???を飛ばしながら読んだ。
だって、社員見習いが増えている……。

今度は主人公の父親の遺産をめぐる戦いだ。
父親が主人公に残したのは、魔法使い派遣会社〈アストラル〉だけではなかった。
父親という謎を、息子は解くことができるのか?

こういう物語は、主人公のレベルアップに伴い、敵もレベルアップするものだから、書き続けるのは大変そう。
そんなことを言いながら、続けて3巻目も買ってある。

さくさく読めるので、こういう本も間に挟んでおきたいです。ストレスがなくていいです。

 ***

  レンタルマギカ:魔法使い、貸します!

2008.06.17

幽霊人命救助隊

幽霊人命救助隊 (文春文庫 た 65-1)  高野和明 2007 文春文庫

すずなちゃんの「Bookworm」で紹介されていた本。
面白かった。映画の勉強をしてきて、脚本家をしている人が書いただけあって、映像化したら面白そうというか、目の前でするすると映像化しながら読むことのできる本だった。
どのシーンも、瞬時に目の前に映像が浮かぶ。まるで映画を観ているように、本を読んだ。

よく勉強して書かれていると思う。
うつ病の体験を、こんなに身体感覚を伴って感じられるようなぐらいに抽出して描写されているものを、読んだことは少ない。
いや、うつ病ではなくとも、新しい環境への適応の難しさや、子どものような心を抱える情動や衝動の激しさや、親子関係の中での傷つきや、身も心もさいなむ孤独や、死ななくてはならないという信念に視野狭窄してしまったときの頑なさ……。
何が問題であるのかを具体的に考える冷静や余力のない中では、死ぬ以外の解決法は見当たらなくなる。その追い詰められた心境、病理の描写を、小説としてきちんと表現している。

のみならず、その対応方法を、主人公たちを用いて、力強く説明しているところがすごい。
主人公たちの声かけの仕方は、時に認知療法的であり、時に受容と共感の来談者中心療法的であり、時に精神分析的であり、時に戦略的家族療法的であり、時には環境調整やソーシャルワークまでやってのける。素晴らしい。
残される者の痛みと悼みをも描く点にも、抜かりはない。そうだ。死ぬ人もつらいが、死なれる人もつらい。お互いに、お互いを失うのであるから。
自殺防止対策の推薦書として、厚生労働省に指定してもらいたいぐらいだ。
しかも、セラピストもまたクライエントと共に癒されていく過程が素晴らしすぎる。

もちろん、精神科に受診し、弁護士に相談すれば、すべてOKなんてことは、現実では言い切れないかもしれない。
そこからが長い道のりであることもあろうし、作中にもあるとおり、生きていることの苦しみからすべて逃れえるわけではない。人から死を望まれる場合もあろう。
しかし、生きていなければ、一切の可能性が失われる。
明日のあなたは、今日のあなたとは、違うかもしれない。その明日のあなたから可能性を奪わないように、今日のあなたを殺さないで欲しい。
そのための最初の一歩を、踏み出して欲しい。

ミクロな視点では個々人の問題で各自で解決するしかなくなるが、これは小説。
マクロな視点で、日本のありようについての批判も、容赦なく加えているところがよい。
惨憺たる世情ではあるが、そこを言い切られると爽快さはある。個人の問題に収束しない、器量の大きさがいい。
これでいいのかい? このままでいいのかい? そういう疑問を幾重にも投げかけながら、説教臭くも、教科書臭くもならない。
読み終えたときに、知らず知らず、読み手はいろんなことを学んでいるだろう。
とりあえず、生き延びてみよう。そこからでいい。
とりあえず、大好きな人に大好きと言ってみよう。それが誰かの命を守るから。

いい、物語だった。
分厚くて手に取るまでに時間がかかったけれども、入り込んだら手放せなかった。
最後はもちろん、うるうるしながら読みましたとも。
あのメガホン、私も欲しい~。
「私の仕事」にカテゴライズしようかと思ったぐらい。
いい本を教えてもらいました。ありがとう。

2008.06.13

サイゴン・タンゴ・カフェ

サイゴン・タンゴ・カフェ  中山可穂 2008 角川書店

美しい表紙を見て、溜息が出た。
謎めいて、艶かしくて、慎み深い。品のある装丁だ。
こんな本を手に取ることができると、本読み冥利のつきるような悦びを感じる。

「バンドネオンを弾く女」を雑誌で読んだとき、なんとも言えない優しさを感じた。
中年になった女性の魅力を暖かく描く。そんな著者の目線に、暖かな愛情や抱擁を感じた。
だから、改めて単行本に収められたのであれば、必ず買おうと思った。本書は短編集であるが、表題作だけは中編と言っていいのか、長めである。
力強く愛し抜いた女たちの、美しく年輪を重ねた姿に胸を打たれる物語集だった。

表題作を読んでいると、有川浩『ストーリー・テラー』を読んだときの感覚を思い出した。
これはどこまでが作者自身の物語なのだろう?と、錯覚するような感覚である。創作だとわかっているが、作者自身に近いところをかすめるようにして描いているのではないかと思わせられるところが似ている。
作者にとっての小説というもの、書くという行為を語るところが似ている。
『マラケシュ心中』「卒塔婆小町」などに繰り返されている主題が、ここでも遠く低く響いているのを感じた。

私は中山可穂の描く恋愛が好きだ。一番好きな恋愛小説家。
美しくて品のある日本語で語られる、誇り高く、潔く、情の厚い登場人物。
身を切り刻むような、血を吐くような、血の涙を流すような、そんな切ない恋。
「ドブレAの悲しみ」や表題作に出てくる小説家によると、命を切り刻んで自分を使い果たしながら紡がれた言葉だから、切れ味が鋭いのだろう。
私は言葉を紡いで小説にすることはできないから、紡がれた言葉に刻まれて、命を切り刻むような終わった恋という膿を流しているのかもしれぬ。
それは、ともに涙を流してくれるかのような、流した涙を吸い取ってくれるような、温もりに満ちた手術だ。
だから、読み終えたときの余韻は心地よくて、しばらく静かに浸っていたい。

ハノイのメトロポールは、もう一度、訪ねたい場所だ。
あそこに行くなら、迷わず、ヴェトナム料理のレストランに行く。
そして、フォーガーとバナナの花のサラダを頼もう。マンゴーのデザートと。
あそこで食べたものよりも美味しいフォーに、私はまだめぐり合っていない。
あの場所、あの料理を選ぶなんて、この作者のセンスが大好きだ。なんて素晴らしいことだ。
作中の小説家がブエノスアイレスを想像の中で旅するならば、私は本を読みながらハノイを旅する。
蒸し暑い日の思い出。ああ、旅行に行きたい。たまらなく行きたい。
わずらわしいことはすべて置き去りにして。この世界から消え去ってしまいたい。
前回のヴェトナム旅行後は肝炎になり、本当に世界から消え去る危険性があったことを考えると、我に返る。

我が家にある数少ないタンゴのCDを取り出した。
ピアソラと言えば、リベルタンゴぐらいしか思い出さない。
よくわからないけれども、踊りにくそうな旋律とリズムは、演奏向けのアレンジなのだろうか。
小松良太の『ラ・トランペーラ』。小説家にもふさわしいかもしれぬが、私にもふさわしいタイトルである。
うそつき女。恋に死にそうになっても、私は殉じることなく、こうして生きながらえているのだから。

 ***

書くことは自分の肉体や魂を削り取って十字架のかたちに捏ね、それを神様に捧げることです。自分をどんどん使い果たしながら祈ることです。命がけの激しい宗教的行為に似ています。(p.270)

2008.06.11

私の奴隷になりなさい

私の奴隷になりなさい (角川文庫 さ 47-1) サタミシュウ 2007 角川文庫

SM青春小説って何だ?
裏表紙を読んで首をかしげた上で、タイトル買いした。

 奴隷になるということは自由を奪われるということではない。
 隷属というのは、他のものに対して寛容になるということなのだよ。

このテーゼを証明するための、証明問題の回答のような小説だった。
束縛は責任を預けるという意味での解放であるかもしれないが、同時に怠惰であると考える私には、寛容という言葉に違和感を持ちながら読み始めた。

つくりが凝っている。
ファム・ファタル(運命の女性)との出会い。
再会から最初の出会いへ。
次に出会いの背後にあった、女性側の物語へ。
何重にも、深みへといざなう様に、入れ子型に作りこまれている。
次の層に行くたびに、物語の意味づけが代わるように仕組まれている。
その一番奥底で主人公は、ファム・ファタルを作った男と出会う。

その後の人生をも左右し決定付ける、運命との出会いの物語であるという意味では、青春小説といえば青春小説なのかな。
爽やかさの演出のためだろうか。奇麗事っぽいというか、情緒的な深みはあまり感じない。
こういう風にはまりこみたいのねぇ、と、男の人側のファンタジーを読むのは、それなりに興味深かったのであるが……。おそらく女性側の心情に自分の気持ちを投影することが難しかったことが、私にはつまらなく感じたところであろう。
あんまり小奇麗に美化されてしまうと、性暴力まで美化されてしまうような違和感や不満感を感じて嫌になるのだ。
いろいろ食傷気味だったので、斜め読みですませてしまった。さらっと読んでちょうどいい。

2008.06.10

スリーピング・ビューティ3:至上の愛へ、眠り姫

至上の愛へ、眠り姫―スリーピング・ビューティ〈3〉 (扶桑社ミステリー)  Anne Rice 柿沼瑛子(訳) 1999 扶桑社ミステリー文庫

書くのが面倒になって、さぼっていました。
ちょっと、エロにも飽きてきたかも。

眠り姫は、ローランやトリスタンらと共に、スルタンの後宮へ連れ去られる。
そこでは彼らに知性は求められない。言葉の通じないペットのように扱われる。
よくしつけられたペットは、主人が求めることを自ら進んで行わなくてはならない。
強制されて簒奪されるのではない。羞恥を感じることは、もはやない。
貴族達の玩具から、民衆の奴隷、そこから更に進んで、宮殿の装飾の一つになり、馬になる。

この巻には、多少の政治的なメッセージも感じる。
眠り姫とイナンナという女性同士の性描写で、イナンナら後宮の女性が女子割礼(クリトリス切除)を受けていることが出てくる。ちょうど、フランスでアフリカ系女性の伝統的な文化が問題視され始めた頃である。
女性の性の悦びを肯定する眠り姫に対して、ほとんど主人公を乗っ取ったようなインパクトを示すのが、ローランだ。

立場の逆転は、どうしてこうもエロティックになるのか。
ローランを中心として描かれるパートは、日本だったらBLに分類されていいような内容である。
見所は、なんといっても、ローランとアレクシアスの下克上なカップルである。
巻末に解説を書く山藍紫姫子もお勧め。いわく、最初の二冊に比べると、この巻が一番日本の「耽美やおい小説」に近いとのこと。
個人的にも、この巻が一番読みやすい。先の二冊はあまり読み返さなかったのだが、この巻は読み返した。

しかし、眠り姫らはスルタンの国から女王の国に連れ戻される。それどころか、本来の居場所へと連れ戻されることになる。
その末に、眠り姫は運命の王子に出会えるのか?

支配と服従、隷属と自由、信頼と欲望の物語は、いかにもアメリカ的なプリンセス・ストーリーらしいハッピーエンドを用意している。
物語の深みという点では、母子の葛藤を導入したタニス・リー『鏡の森』や桜庭一樹『少女七竃と七人の可愛そうな大人』などと比べるべきもない。
しかし、プリンセスのファンタジーを打ち壊すには役立つのではないか。
いずれにせよ、大人向けのお伽噺であることには間違いない。

 ***

スリーピング・ビューティ1:眠り姫、官能の旅立ち
スリーピング・ビューティ2:眠り姫、歓喜する魂

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