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香桑の近況

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2008年3月

2008.03.31

笑う招き猫

笑う招き猫 (集英社文庫)  山本幸久 2006 集英社文庫

あら。面白そうなタイトル。
すずなちゃんのブログ《Bookworm》で気になったので購入。

アカコとヒトミ。
28歳という微妙な女心も動きそうな二人は、デビューしたての漫才コンビ。
事務所の社長はあやしげだし、先輩にはセクハラ野郎もいるし、初ライブはまったくうけないし。
本物の芸人ってなんだろう?

二人のコントや即興の歌や、文章表現の手法もめまぐるしく変化する。
そんなところも飽きさせないが、なんといっても、主役の二人の関係がいい。

うまくいかないときにはケンカもするし、相手にうんざりすることもある。
だけど、息があうのだ。やっぱり、漫才をやっているときが楽しいんだもの。
相手に出会ったから、今の自分があるわけで。
出会ってしまったらしょうがないものが、この世の中にはあるのだから。

元気を取り戻そう。笑いを取り戻そう。
へこたれているのは似合わない。愛もいいけど、夢や友もいいものよ。
ところで、物語の中のアカコの即興の歌は、どんなメロディなんだろう?

大人の事情や業界の事情もいろいろあるなかで、原石のような二人がいつまでもきらきらと輝きを忘れないように。
そう願いながら見守りたくなる。この二人のしあわせを。

女性の友情だって捨てたものじゃないのよ。
と書いてから思い出す。作者は男性だった。
ありゃ。お見事。

家日和

家日和  奥田英朗 2007 集英社

おうちに帰ろう。
お出かけするのもよいけれど、我が家の魅力を再確認してみよう。
そんな短編が6つ、集められている。

家という建物のなかで、家族が集まり、家庭が営まれる。
それぞれの生活、それぞれの物語。
時には家の中での生活に飽きたり、疲れたり、倦んでしまうこともあるだろう。
奥田の描く主人公と家族たちは、一旦は家を離れかけても、また家に戻ってくる。
登場人物たちは大きく逸脱することはしない。家を壊すような物語は含まれない。
その点、多くが良識的で行儀がよい。

そりゃあドラマティックというわけではないかもしれないけれど、読んでてほっこりするような温かみがある。
家というのは、そういうもののほうが、嬉しい気がする。
疲れているときにも負担にならない、なごみの一冊。

我が家も居心地よいものであるように。
そのためにも、帰ったら掃除をしなくちゃ……。

***

TBのかわりに……

藍色さんのブログ 『粋な提案』 家日和 奥田英朗

2008.03.27

夜は短し歩けよ乙女(1)

買ったきっかけ:
本屋さんの店員さんと目があってしまった。
私はもりみーファンだと知られている。
逃げられないっ。

原作:森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』

感想:
可愛かったです。
乙女も可愛いが、先輩のへたれっぷりが可愛い。
あの世界を映像化するのは無理があるのではと思っていましたが、乙女と先輩の可愛さで乗り切っていると思いました。
キャラのビジュアルや性格付けに、自分の思い描くものと違和感がある場合があっても、名場面が少しずつながらきちんと盛り込まれているところに好感を持ちました。

おすすめポイント:
前半は、原作の表題作の章のみをマンガ化したもの。
しかし、後半は原作にないストーリーに踏み込ます。樋口君と李白さん大活躍。
原作者である森見登美彦のコメントにしたがって、温かいお布団で読みましょう♪

夜は短し歩けよ乙女 第1集 (1) (角川コミックス・エース 162-2)

原作:森見 登美彦 マンガ:琴音らんまる

2008.03.26

武装解除:紛争屋が見た世界

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)  伊勢崎賢治 2004 講談社現代新書

なんて私はものを知らないのだろう。
反省することも多い本だった。
私に何ができるのだろう。
考えさせられることが多すぎて、簡単に感想を書くことができない。

「現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない」(p.237)

私もそう思う。
が、私は、著者のような実践もなく、体験もない。そんな私が何を言えるのだろうか。
こんな活動をしている日本人がいるんだということも驚いたし、こんなにもやれることはまだまだあるんだとも考えさせられた。
森絵都『風に舞いあがるビニールシート』を思い出すと同時に、これは小説じゃないと唇をかむ。

和解という暴力があるということ。
たとえば、日本が「戦後」からこれだけ時間が経ったけれども、国際感情も国内感情も、なにかにつけてしこりが再燃する。
戦闘状態を終わったばかりの土地で、隣同士で顔を見合わせるような人たちの間に、しこりがないわけがない。
和解の美談は、その情緒的な問題を置き去りにする。押し潰そうとしても消えないしこりは、より大きな傷になるのではないか。
復興事業というと、福祉や教育など、なにか綺麗なものを作ることばかり発想してきた自分のあさましさが悲しくなる。

アラビアのロレンスが苦労したことを思い出した。
法の正義を実現すること。国際的にも烏合の衆と嘲られることがなく、国内的にも安全と平和を実現するためには、法と正義のシステムを立ち上げなくてはならなかった。
モラル・ハザードを引き起こしては、次の紛争の準備期間に入っただけだ。
独裁者を殺してしまえば、紛争が終わったことにしてしまえば、今日からハッピーな毎日を民衆はスタートさせるなんて、どうして思い込むことができたんだろう。
平和は自動的に訪れると思い込むことは、自らが夢見がちな世間知らずであることを露呈する。

本書によると、現代の紛争処理では、最初の民主的な選挙の実行が、一つの目安になるそうだ。道理で、報道が熱く語るわけだ。
すべての国家を民主化しないと気がすまない、某国の「民主主義&資本主義」万能ファシズムも困ったものだが、介入したからにはきちんと後始末まできちんと整えるのが人道ってものじゃないのだろうか。
最初の選挙までに行わなくてはならないのが、DDR。本書の主眼となって紹介されている和平プロセスである。
Disarmament, Demobilization & Reintegration。それぞれを訳すと、武装解除、動員解除、社会再統合。
完遂するためには、無限のマンパワーとそれを支えるコストがかかる。だけれども、完全ではなくてもできるかぎり、一つ一つ地味で困難な作業を積み重ねないと、平和は作ることができない。

自衛隊がコミットできると素晴らしいなあと思う作業があることも知った。
9.11がアメリカにとっては自業自得だという意見の根拠もよくわかった。
この本から4年がたった。ブッシュJr.の任期も終わる。東チモールやシエラレオネ、アフガニスタンはどうなったのだろう。
そして、イラクではどう行われているのだろう。おりしも、チベットに不穏な風に吹いている。
続きを知りたい。

もともと、私は戦争は嫌いだ。軍隊は嫌いとは言いきれない面がある。持たずに済むならそれに越したことはないが、丸腰で世界を渡っていけるほど、隣人が優しくないこともあると知っている。持たない力は使いようがないが、力を持っていても使わないという選択肢を考えられるぐらいには成熟した、つもり。
法律を変える前に、現行の法律の中でできることの最善を尽くしたのだろうか。
教育基本法が書き換えられたときに十分に議論されなかったが、私は声を大にして言いたかった。
言葉を変えるだけでは意味がない。むしろ、言葉を変えただけで、内実を変えたと勘違いすることのほうが問題である。言葉を変えるのは、最善を尽くしてもなお足りないときだけで十分だ。果たして、最善を尽くしたのか。
言葉だけを変えたがる、表面を取り繕えば解決したと勘違いするような浅はかな人間ではありたくない。
だから、私もできることを、探していこうと、取り組んでいこうと、思うのだ。

私の拙文を読んでくれたあなたに、是非、この本を読んで欲しい。

 ***

劣等感のある人間は、自分の身近にまず見下せる同胞を探し、自分が上のクラスに取り入れられるためにそれをことさら差別する。(p.15)

2008.03.25

人生の教科書:人間関係

人生の教科書〈人間関係〉 (ちくま文庫 (ふ29-6))  藤原和博 2007 ちくま文庫

2003年、東京で民間人初の公立中学校長となった人。
その人が、校長になる前年に書いた本に、加筆文庫化したものだ。
その人は、今春で和田中学校を去ると、TVが報道している日に読んだ。
私の頭の中で、著者とプロフィールが繋がっていなかったので、ちょうどよいタイミングに驚いた。

人間関係で悩む人が、持ちそうな疑問。
それにシンプルに答える形の、短いエッセイを集めた形だ。
一つ一つが短いから、素早く読めて、すんなり頭に入る。
穏やかな口語体で、わかりやすく語られている。
考え方だけではなく、振舞い方もあげて説明してあるので、単なる精神論よりも親切だ。
実践的であり、具体的であること。つまり、役立つってこと。

第3章までは企業の中で、特に営業など、人と会うことが多いけれども、今ひとつ人脈を活かしきれないような人をイメージしながら書かれたようだ。
第4章以降は、教育現場を取り巻く人間関係も想定しながら描かれている。「公」の再構築を視野に入れて、地域の持つ力を賦活させる勧めだ。
だが、そういう場面を離れて、学生であろうと社会人であろうと、人間関係を築いたり、保つことに自信がない人には参考になると思う。

大人であれば自分を助けるのは自分が頼りになるかもしれないが、子どもにまで自助努力で片付けるわけにはいかないと思う。
子どもを子どもとして留保させてあげるためにも、子どもの問題は大人の問題として考えなくてはならない。
「『公』意識の再生は、即『国家主義』に結びつくわけではない」(p.183)と言い切る著者は、バランス感覚がよく、筋がぶれずに通っている印象を持った。

豊かな人間関係という、見えない財産を増やす勧め。
臨時のナナメの関係の提供が、私の仕事ってところか。

2008.03.21

妖怪アパートの幽雅な日常(1)

妖怪アパートの幽雅な日常〈1〉 (YA!ENTERTAINMENT)  香月日輪 2003 講談社

念願の一人暮らし。
高校進学と同時に寮に入る予定が、直前になって寮が火事になってしまった主人公。
両親を事故でなくして以来、親戚宅で暮らしてきた夕士は、格安のアパートに入れることになる。
それが、タイトルの妖怪アパートだ。抜群に美味い賄いつき。

若年層をねらったシリーズだ。
たどたどしいところもあるかもしれないが、主人公と同じぐらいに作者も一生懸命に書いたのではなかろうか。
書きたいことがいっぱいあったんじゃないかな。書きたくなるような物語だったんじゃないだろうか。
大人から子どもへ。今の時代を見据えながらも、そのままでいいのかと、未来へと眼差しを向けるメッセージがいっぱいこめられている。
大人の私から見ると、ちょっと気恥ずかしいような気がしていたが、不覚にも涙腺も刺激されてしまった。

人間も、人間ではないものも、様々だ。
いい人もいれば、いい人とは言えない人もいる。
それぞれが自分の日常こそが、誰にとっても日常であると勘違いしやすい。
悲しいことも、腹が立つことも、自分の力ではどうにもならないことも、日常の一つしながら生きている。
価値観は、他と触れてこそ違いを知り、自分のものを知ることができる類のものだ。
触れ合わないことには、自分が何であるとも見ることができないように、人は作られている。

主人公が出会った、自分の世界の外は、ちょっと特殊な外だけど、愛情がいっぱい。
多様性を許容するときに、生まれる可能性。寛容という希望の苗床が、心に滋養を与える。
否応なしに時間は過ぎるから、持てる時間を大事にしなくてはならない。
淡々と生きるのも生き方であるが、丁寧に大事に時間を、世界を、生きてほしい。
生きる喜びは、温かく澄み切って美しいものなのだ。とても貴いものなのだ。

 ***

  妖怪アパートの幽雅な日常(6)
  妖怪アパートの幽雅な日常(5)
  妖怪アパートの幽雅な日常(4)
  妖怪アパートの幽雅な日常(3)
  妖怪アパートの幽雅な日常(2)

2008.03.17

ジゴロ

ジゴロ (集英社文庫)  中山可穂 2006 集英社文庫

愛人のために尽くす女。夫から全面的に関心を持たれなくなった女だった。
手紙を送る女もいた。その女も、人妻であり、母親だった。
高校生の最初の体験は、初々しく、微かな痛みが切ない。トランスジェンダーである人。
カイは、最愛の人を最愛の状態で愛し続けるために、女遊びを続けている。

新宿二丁目の路上で出会う、カイを中心とした女性達の恋愛や情事を描く連作短編集。
こういう作品は、それぞれの短編同士との絡み合いを見つけるのが楽しい。ここがあそこに繋がっている、この人はあそこに出てきた、と。
爪弾くギターは、フラメンコギターで、女同士の恋や悲しみを歌い上げる。著者のラテン好きは、どうやら「バンドネオンを弾く女」を収めた最新刊に繋がっていくらしい。

恋愛ではない情事だけの関係は、時に苦しく、悲しい。
心中は情事ではなく、恋愛がもたらすもの。ジゴロは、恋愛ではなく情事を重ねるもの。
であるから、この短編集は、作者が得意とするような命を賭す恋愛の緊張感ではなく、むしろユーモアさえ交えながら描かれる。
悲壮な体験や、人生の悲哀は、他者から見るとどこか滑稽なときがある。そこに、セクシュアリティやジェンダーは関わりない。

ただし、情事は情事と割り切れる人ばかりとは限らない。恋情や愛情を求めてしまいたくなるのが、人の情というものだ。心と体は切り離せるものではないのだ。
カイがジゴロたりえるのは、徹頭徹尾、メグだけを愛しているからだ。魅力的でありながら、揺らぐことがないからだ。
だから、間違えてはならない。誰もがジゴロになれるわけではないということだ。
魅力も覚悟もなしにジゴロになろうとしても、恨まれるだけである、と。

あとがきによると、この本は著者が肩の力を抜いて書いたものだという。
『白い薔薇の淵まで』『マラケシュ心中』のような、ぎりぎりの愛情の限界に挑むような息苦しさはない。
だから、裏表紙の「女を愛する女たちの激しく狂おしい感応と恋を鮮烈に描く」という文言にかなーり違和感があった。
『弱法師』と同様、短編になると、作者の遊び心が活きてくるようだ。
それにしても、著者の紡ぐ言葉は、相も変わらず私の心を突き刺す。お見事。

 ***

自分は鉄壁の孤独を手に入れてしまった。どこまでいっても孤独からは逃れられない。どこまでいっても自分自身からは逃れられないからだ。自分の人生にはもう恋愛の機会は訪れないだろう。ひとりで充足する愉しみを知ってしまった人間は、幸福とは縁のうすい場所にいるのかもしれない。一皿の料理を分け合うことを、おそらく世間では幸福と呼ぶのだ。(p.163)

2008.03.13

女王の矢:ヴァルデマールの使者

女王の矢―新訳 (C・NovelsFantasia ら 1-1 ヴァルデマールの使者)  マーセデス・ラッキー 澤田澄江(訳) 2007 中央公論新社(C.NOVELS)

使者タリア。
ケロウィンやエルスペスの物語に、少しだけ登場しており、名前には覚えがあった。
目立たない役割の彼女には、こんなに素晴らしい物語があったとは!
創元推理文庫の同作者のシリーズと訳をすりあわせてあるとのことで、違和感なく読むことができた。

ラッキーらしい、元気な少女ががんばるファンタジーだ。
愛してくれる家族は一人ずつ減り、一族の厄介者と扱われ、数冊しかない本を読むことだけが密かな楽しみの少女。
辺境に生まれた不遇な少女は、いつか広い世界で活躍する夢を見ていた。手が届かない夢を見ていた。
強く、強く。誰よりも。
願いは、出会いの奇跡を引き寄せる。運命に選ばれし者となり、必要とされ、尊敬される人生を手に入れるため、歩き始める。

マーセデス・ラッキーの書く小説が、数あるファンタジーの中で一番好きだ。
乗馬を始めたのも、ラッキーの小説の影響が大きい。共に歩むものたちやシン=エイ=インの戦馬、アシュケヴロンの馬たちと、馬たちが必ず出てくる。
汗のにおい、つややかな毛並み、やわらかな鼻先、股の内側で感じる温もり。
私はまだまだ拙い乗り手であるが、馬と触れ合うときは、タルマやケロウィンらを思い出して嬉しくなるのだ。

また、この作家は、戦争を描かせても圧巻であるが、心理療法にも造詣が深いのではないかと、しばしば感じさせられる。少なくとも、作家は戦闘や戦略についても詳細であるだけではなく、戦争がもたらすものをも見知ってきたのではないか。
たとえば、PTSDの概念は、ヴェトナム戦争の帰還兵の心理的状態を説明するものとして洗練されてきたものだ。
本書で明らかになる、タリアの能力も、まさに心理療法家(それもPTSD専門)としての才能である。
しかも、ラッキーは、女性の暴力被害について、同性愛の問題について、男女の同権について、ジェンダーの問題にも敏感であり、しかも、啓蒙的な側面を持っている。

ファンタジーの王道でありながら、人物も生物も、地に足が着いており、しっかりと息づいている。
ヴァルデマール年代記は他社から何冊も出ているが、ここから読み始めるのもいいと思う。
ファンタジー好きな人には是非とも読んでもらいたい。大人の女性にも楽しめること、請合いする。

 ***

  天翔の矢:ヴァルデマールの使者3
  宿縁の矢:ヴァルデマールの使者2

2008.03.10

(雑誌)南禅寺玉瀾

森見登美彦 2008 papyrus4月号vol.17

買ったまま読み忘れていた雑誌の存在に気付いた。いけないいけない。
最近、買う速度と読む速度の乖離がますますひどい。
書く速度も、これまた乖離しており、「二代目の帰朝」を読んだという主張も書きそびれたままにしている。
そう。この「南禅寺玉瀾」は「二代目の帰朝」に続く、『有頂天家族』の続きである。

矢一郎兄さんが、可愛らしいというと語弊があるのだけれども、初々しくて微笑ましい。
森見さんは、恥じらいを持っている人なのだろう。
腐れ大学生の恥じらいは、主に恋愛方面に限定されるかもしれないけど……。

今回の短編では東華菜館が出てくる。
四条大橋の南西に位置する古い洋風の建物は見覚えがる人もあろう。
あそこのエレベータは体験する価値がある。これもまた懐かしい。

単行本になるときには、ここから加筆もあるのかな?
ほんわかふわふわ、毛玉たちと一緒にほっこり。

20080312152926  ***

市の動物園に行ってきた。ほわほわの毛玉は、二つが一体化して大きめのふかふかな毛玉になり、時折、うごうごしていた。愛らしいであろう、つぶらな瞳は見れず、残念。

(雑誌)丕緒の鳥:十二国記

小野不由美 2008 yom yom3月号vol.6

凛とした品格のある文章。
読み手も背筋が伸びるような芯のある文章だ。
やっと読むことができた。

遠景から始まり、その世界を思い出すように、描写は徐々に「その人」に近づいていく。
おぼろな記憶が、ゆっくりと霧が晴れて、やがて明確に姿を現してくるようだ。
忘却の彼方から蘇る。物語が目覚める。
「その人」が再び動き始める。

どれほどの思いをこめて、紡がれたのか。
著者の空白に、自然、思いが馳せられる。

なんかもう、涙が出てきた。あんまり書くと、ネタばれになるから書かない。
小品だけど美しく、小野さんらしい空気はそのまま。
久しぶりに読む十二国記は、漢字が難しくてちょっと手間取ったけど。

きっと続きが読めるのだと信じている。

2008.03.07

親不孝通りディテクティブ

親不孝通りディテクティブ (講談社文庫)  北森 鴻 2006 講談社文庫

親不孝通りは、福岡にある。最近、少し活気がない。
この小説の中では、ドームはやっぱり福岡ドームであるし、野球チームは福岡ダイエーホークスだ。
1999年の福岡は、ダイエーホークスを中心に回りだす。そんな街の熱が懐かしくなった。

いくつかの読書ブログで紹介されており、興味を持って読んだ。
長浜や中洲が出てくる。足を伸ばせば、海ノ中道や門司港など。
屋台の親父をしているテッキと、結婚相談所の調査員をしているキュータ。二人は高校からの相棒で、そのときの教師だったオフクロに頭があがらない。
テッキは標準語であるが、キュータは博多弁。ことに、キュータの言葉遣いは、年配の人しか遣えないのではないかというぐらい、見事に方言。それで、つい、二人が20代であることを忘れそうになる。
ハードボイルドっぽく描かれた、読みやすいミステリ。軽い読み心地が無難な印象の短編連作集で、続編も出ているようだ。

博多署の悪徳刑事というのが出てくる。感じが悪い人として描かれているのだが、徐々に、結構、いい人に見えてくる。
いい人というのは語弊があるかもしれないが、憎めない、悪くはない、どこか人のいいようないい人っぽい。
登場人物の中では、この人が割とお気に入りだった。

なんにせよ、黄砂にくもった空の福岡はぼんやりとのんきなたたずまいで、キュータがかっこつけようとしても決まらないぐらい、ハードボイルドに不向きな感じがした。
裏も内も綺麗だ、清潔だとは言わない。ただ、そう。かっこわるいほうが似合う、田舎の都市なのだ。私の中では。

2008.03.05

大人のケンカ必勝法

論争・心理戦に絶対負けないテクニック

大人のケンカ必勝法―論争・心理戦に絶対負けないテクニック (PHP文庫) 和田秀樹 2004 PHP文庫

玄田隊長@図書館戦争、推薦の書!
……に違いないと、行きつけの本屋さんの馴染みの店員さんが教えてくれた本。
玄田隊長が子どもに教えるケンカ必勝法とはちょっと趣が異なっているところもあるが、同じことを言っているところもあったのが面白い。
たとえば、データを集めろ、ギャラリーを味方につけろといったあたりに見覚えはないかい?

その場の議論や交渉に勝てばいいとは限らない。
肝要なのは、その後に恨みを残さず、ギャラリーの評価も得て、できれば相手とも友好的な関係を維持することだ。
長期的な視野を入れて、勝つ。目先の問題では負けても、それが勝つことになる可能性も視野に入れて臨む。
「相手を納得させ、説得し、味方につける」ことができればいいし、「相手の弱点を突き、感情的にし、自滅させる」方法もあるが、ケンカに負けても生き残ることが一番大事なのだ。

平易な言葉で、認知療法から集団精神分析まで、解説されているところにはびっくりする。
中でもビオンがこんなにわかりやすく説明されているのは、初めて読んだ。
論理的背景には著者の専門知識が盛り込まれており、信頼感のあるマニュアルになっている。
なにしろ、著者自身が、いつも議論に勝っているわけではないと告白しているところで、この本は必勝のファンタジーを売る本ではないことがわかる。

ちょこっと触れられているが、これは恋人や家族や友人に使うテクニックではない。特に相手を自滅させる方法は、恋人や家族や友人に使うテクニックではない。
この本に取り上げられているのは、ビジネス場面での活用を前提にしたケンカだ。そこから、人生という勝負まで視野を広げつつ書いてある。
恋人や家族の間で、晩御飯を何にしよう?とか、家や車を買うのでどうしよう?といった、共同で課題に取り組む際の話し合いにも活かすことはできる。

しかし、何かしら、勝つべき勝負、果たすべき課題、解くべき問題があるような関係性と、ただ親密さの維持を心がける関係性はまったく質が異なる。
後者において問題解決的な思考を持ち込むと、二人の齟齬という問題の解決と同時に関係の解消ももたらせられうることを懸念しておいてよい。
親密であるべき関係において、親密ではないという問題を提起しているとき。
それは電話やメールの返事がなかったことかもしれないし、ほかの異性とのつきあいを問題にしていることかもしれないし、二人だけの大事な約束を忘れてしまっていることかもしれないし、何か問題が起きているとして、だ。
それを問題にするほうは感情的になるだろうし、問題にされたほうは冷静に危機を乗り切ろうとするだろう。
しかし、概して、冷静になられると余計に腹が立つものである。問題にする人の性格の問題などと冷静に切り返されると……後は推して知るべし。

同時期、元彼のしたり顔の解説(この本についてじゃないが)を読み、どの口が言う?と不愉快なことを思い出した。
「あなたのことはわかっている」などと決め付ける人に限って、実は何もわかっていないかもしれないよー、と遠くから言い返しておくことにする。
わかっていないことをわからない人には、近くによってものを申しても通じないので、聞こえないぐらい遠くからでちょうどよい。
その人相手には、私も負け癖がついてしまって、あまり冷静な対応ができなくなっていたのも、ある意味、敗因。お互い、勝負の関係に陥ってしまったのも、かなり敗因。
いずれにせよ、人格批判は、おそらく、課題探求的な関係においても、親密希求的な関係においても、きわめて慎重な配慮とともに行われてほしいものである。

 ***

試してみてダメだったら、別のやり方をすればよいのであって、試してみないうちから、試さないことの言い訳を議論するというのが一番よくないことだ。(pp.62-63)

一番いけないのは言いなりになることであり、一度も抵抗しないで負け戦が習慣化してしまうことだ。(p.77)

人生という限られた時間を有効に使うには、勝てる勝負、得意な分野に特化することが一番効率的である。(p.163)

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