近代能楽集
中山可穂『弱法師』を読んだ後だった。
ちょうど、読むべき手持ちの本がなくなり、空港で本屋に行った。
「卒塔婆小町」をもう一度読み直そうかと本書を手に取った。
目次を見たら、「弱法師」もある。よい機会だと思い、購入。
能楽の自由な空間と時間の処理、露な形而上学的主題を生かすために、能の古典を現代的なシチュエーションの中にリライトした8篇。
「邯鄲」「綾の鼓」「卒塔婆小町」「葵上」「斑女」「道成寺」「熊野」「弱法師」が収められている。
ドナルド・キーンの解説によれば、三島の他の有名な著作も、ギリシアの古典から翻案したものもあるそうで、自分の寡聞を恥じる。
こういう台本形式のものは苦手なのだが、意外に読みやすかった。
「班女」と「熊野」以外はもともとの物語を知っていたからだろう。
中山の作や、もともとの物語と比べるのも面白く、また、作者の思い入れを深読みするのも興味深かった。
女性嫌いであり、肉体を嫌うような、肉体の変化を嫌うような、そういうところに、作者の憧憬と絶望を読んでみる。
「班女」は美しいから、ヘテロセクシュアルものへの嫌悪であったのかもしれない。
望みがかなうことが怖ろしいと思わざるをえない人は気の毒だ。絶望から逃れ得ない絶望だ。
そういえば、この三島の手による「卒塔婆小町」によく似たものが、ミヒャエル・エンデ『鏡のなかの鏡』の中にあったと思う。
二つの町から互いを目掛けて歩く男女は、その道中で年を取り、出会ったときには互いがわからぬことを繰り返す。そんな短編だったと思うが、エンデの短編集の中だけで、それだけが印象に強く残った。
それにしても、三島作品には、他にない独特の空気があって、能との相性もよかっただろう。
ただ、三島はもともとの能とは筋を随分と変えているものもある。
次は機会があったら、もとの能のほうを味わってみるのも面白かろう。
ちなみに、本書の解説はドナルド・キーン。
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