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2007.08.16

日本神話の英雄たち

林 道義 2003 文芸新書

文章を読みやすくする配慮から話し言葉にすることは、私の好みではないが、言葉遣いの点を差し引いても、平易な言葉や日常的な表現を用いて、わかりやすく、とっつきやすく、面白く、ユング心理学流の神話の読み解き方を示している。
ユング派の理解の仕方とはこういうものであったかと、腑に落ちた気がする。特に、他のユンギアン批判が痛烈で、明快で、私には面白かった。意地悪な笑みが漏れたほどだ。
ただし、これは日本神話についての解説であって、神道について論ずる書ではない。後者を期待する人には不向きである。ギリシャ神話やエジプト神話を始めとする神話に興味を持っている人には、一読の価値がある。
(2005.9.6)

さて、この本を踏まえた上で、だらだらと書いてみた文章がある。実は、以下を書いたときに念頭に想起していたのが、冬木るりか『アリーズ』だったりしたのだ。
三浦しをん『極め道』を読んで、自分の文章を思い出した。こういうことをうだうだ書き散らかすのが好きだ。

 ***

フロイトは、父親と息子の物語を説いた。息子が愛した女性は、実は母親であり、すなわち父親の伴侶であった。母親を奪い合う、息子と父親の対立の物語である。これを、エディプス・コンプレクスと名付けた。
エレクトラ・コンプレクスは、母親と娘の物語である。母親が父親を殺して、母親を愛人を作った。その母親を殺す、娘の物語。ユングの命名だ。
阿闍世(あじゃせ)コンプレクスという和製の概念もある。小此木啓吾が提唱した、母親と息子の物語。自分を堕胎しようとした母親(と父親)を幽閉殺害した息子が、その怨みを許して、母子が通じ合うという物語。
母親と息子の物語には、アグリッピーナ・コンプレクスというものもある。母親が息子に執着し、支配するあまりに、息子は母親=女性を拒絶するようになる。
なんでも、コンプレクスをつければいいというものではない、と、私は思う。

エディプスの物語が男の子の心理を説明する概念であり、それと対比させて、女の子の心理の成長発達を説明する概念とされたものがエレクトラの物語だ。
だが、私にはどうもエレクトラがエディプスと対比をなしていると言われても、しっくりしないのだ。
これを書くために調べていたら、Wikipediaの記事にも、エレクトラ・コンプレクスは女性に人気がないと書いてある。笑
ペニスへの羨望→父親への愛着→父親から愛情を受けている母親への同一化→父親への所有の欲求と母親との競争→母親への同一化と競争の葛藤状態という、展開が、どこか間違っている。率直に言えば、スタートが間違っている。
ないものを意識することは、あるものを意識するよりも難しい。したがって、最初に自分にはないペニスを有している父親への憧憬を設定することに無理があるんじゃなかろうか。この辺り、ペニスを羨望してもらいたかった男性の願望を感じてしまうぞ。

むしろ、母親と娘の一体化した状態が先にあり、後から男性が登場して、母娘の対立や分離が生じる物語のほうが、母親と娘の物語としてふさわしいように思うのだ。
たとえば、デメテル-ハデス-ペルセポネの神話などはいかがだろうか。
デメテル/ペルセポネは二柱一組の豊穣の女神である。ハデスの登場により、母子の密着した状態から分離が生じ、結果として季節が生じる。

神話をどのように読み解くか、ここに興味を持って方法論を確立させたのは、ユングに端を発する一派であろう。
私にユングを読みこなす根性はないが、林道義『日本神話の英雄たち』(文藝春秋)はかなり読みやすい本であった。ここでもデメテルに言及した箇所があった。豊穣の女神が泣くと不毛になり、笑うと豊作になるという、世界共通のシナリオを述べている。
また、死者の国は母親の領域であり、豊穣の女神がいることを指摘している。穀物の神である少年の姿を持つ神は、死者の国に行って戻らねばならない。
そこから、デメテル/ペルセポネ(母と娘は別々の存在)でありながら、デメテル=ペルセポネ(母と娘は同一の存在)でもあると、考えられる由縁である。

さて、林の本で面白かったのは、少年神→青年神→英雄と、男性が女神との関わりにおいて発達していく過程である。
少年神は女神の寵愛を受ける。息子は、「母親の愛人」である。最愛の息子という表現が象徴的だ。息子のような愛人は、母親=女神に反抗すると殺される運命にある。
言い換えれば、男性を自分の息子にように称する心理には、その相手への支配欲や独占欲が隠れている。相手への影響力が決定的であり、裏切られることはない信頼感や関係性の強固さを誇示しつつ、性愛的なニュアンスを回避する周到で姑息な表現となる。
少年神が母親=女神を好きになったりすると、母親=女神に殺される。穀物神が地上から死者の国に去ると、地上は不毛になる。やがて蘇ると、母親=女神は喜び、豊作になる。

青年神には、母親=女神から分離しようと試みている段階である。しかし、成功せずに死んでいく。
自分に惚れ込んで終わるナルキッソス、継母の誘惑を拒否して同性愛を選ぶけれども継母にそそのかされた実父によって殺されるヒッポリュトス、処女神アルテミスの裸を見たために殺されるアクタイオンなど、みな、最後は母親=女神=女性によって殺される。

そこを生き延びることができる、女神にはむかうことができる、女神を殺すことができた者が、英雄となる。
メドゥーサ退治のペルセウスはわかりやすい。メドゥーサは太古の女神。滅ぼされた敵の部族の女神、蛇という多産や豊作の女神、すなわち母親を殺す。ついでに、アテネという新たな女神(浮気相手か?)の助力も得る。組み替えれば、新しい女性(恋人/嫁)に乗り換えるために古い女性(母親)をふりきることが成功した物語という、身も蓋もないことになる。
ヘラクレスの場合、ヘラに狂気を与えられて妻子を殺した後、女王オンパレーのもとでいろいろ功績をあげて英雄になる。ヘラは母親であり、嫁いびりには成功したが、息子=愛人殺しは失敗したと理解すればよいだろう。オンパレーも散々いじめたが、くじけなかったのでヘラクレスは英雄になったのである。

林は、神話の成立の時機に着目する。神話は時代によって変遷する。象徴が転換し、神話も発達する。
ヨーロッパ型の神話は英雄神と少年神が別々の人格を与えられているが、日本型の神話は英雄神に少年神(黄泉帰りと豊作)の性質が同居しているという。
そこから、日本型の神話は、ヨーロッパ型の神話よりも早い段階で記述され、形が残されたのだと結論付ける。

さて、再び、デメテル-ハデス-ペルセポネの神話に戻ろう。
少年神が死者の国から地上に戻ると豊穣の女神が喜ぶ。
果たして、デメテルを笑わせる(春にする)のは、娘であるのか、娘の夫であるのか。夫たりうる男性は少年ではありえないが、英雄は少年の時期もあったはず。
となると、ハデスを挟んで、ペルセポネとデメテルの間に嫁姑関係のような息子=男性の取り合いを想定することが可能になる。
デメテルが嘆き悲しみ怒り狂ったのは、娘を取られたからか、それとも、愛人を取られたからか。
女神の夫(デメテル/ハデス)はむしろ妻の怒りや悲しみの対象であるところも、あるいは存在感が薄かったり、頼りにならなかったり情けな~いところも、なにがしか現代に通用するモデルとなりうる気がした。

他人を息子と呼ぶときは気をつけよう。自戒を込めて。
そしてまた、息子と呼ばれて喜んでいるような男の不気味さにも。

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