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2007.07.11

李陵・山月記

李陵・山月記 中島 敦 1969 新潮文庫

身につまされる思いがした。
森見登美彦『新釈 走れメロス』を読んでから、再読したいと思ったのだ。
かつて国語の教科書で読んだ記憶はあるが、読み直してみて、ひどく身につまされた。

狷介の性。
「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」の4編に共通するのもの、作者の特徴をあげるならば、頑なさにあるのではないか。
キルケゴールは、死に至る病は絶望と説いたが、絶望よりも救われぬのは強情であるとも述べている。
自恃。頑固。意地。強情。一途。孤高。不羈。潔癖。
当世風の言葉に置き換えるならば、強迫性や自己愛性の性格傾向とでも言おうか。

古代の中国に題材をとり、漢文風の表現も多く、おおむね、中国の古典を読んでいるような気分にさせられる。
しかし、単なる古めかしい物語ではない。人物描写に、社会風刺に、古びることのない問題意識を感じる。
戦争(第二次世界大戦、十五年戦争、太平洋戦争のどの語が今はニュートラルで一般的なんだろう?)の只中において、自らの信じるものを見つめ、行うことは、どれほど難しいことだったろう。

自分に厳しく、他者に厳しく、求道する。
全身全霊をかけて、不確かな己を訴える。フーコーの言うところのバレーシア。
ただ己の倫理を貫く気風は、時に社会から遊離し、孤立し、自らを滅ぼすこともあり、いずれの小説も幸福とはにわかに言いがたい読後感がある。
不確かな私を追い詰める私自身。徹底的に、自分自身にこだわること。そういう近代的な意識が、小説全体を支えているのである。

自分自身の意地っ張りな気難しさを思い、反省の念頻り。
しかも、司馬遷や蘇武に対して李陵が引け目を感じるような、中途半端な意地っ張りでしかない。
子路にはなれず、孔子にもなれず、いわんや名人をや。
それでもなんでも、好人物への腹立たしさには、我が意を得たとばかりに大きく頷いた。
偽善者の自覚のないいい人は、恨みを向けるだけの値打ちがなくとも、奸臣や酷吏よりも始末が悪い。
いやほんと。自分が人を傷つけていることに無自覚な人を相手にすると、大変だった……。
作者の描く潔癖さとは無縁のところで、妙に共感した自分の卑近さが対照的だったということにしておく。

大量の注解がついており、中学生ぐらいでも読みこなすだろうか。
ただ、その注にて、「賦役」に「ぶやく」とルビがふられていたことが気になった。これでいいのかな。

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