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2007.07.07

いのちの質を求めて:ホスピス病棟日誌

 下稲葉康之 1998 いのちのことば社

伯母がこの病院で看取られて死んだ。胃ガンだった。
他の病院で全摘の手術をしたが、予後が良くなかった。
がん治療は手術をして退院したときが「治った」というわけではないことを、それまでは実感として知らなかった。
術後、水を飲むことが許されるようになるまで一ヶ月。食事も今まで通りというわけにはいかない。体力がごっそり削られる。
伯母が自宅療養に断念したとき、搬送してもらった先がこの病院だった。

そのときの印象は、ホスピスはターミナルケア(終末期医療)に秀でているが、死を看取るだけの場所ではないということである。
本書のタイトル、「いのちの質」の部分で、がん患者の術後のケアによく慣れている人たちなのだと感じた。
もっと早くからこんな看護をしてもらえたら、伯母の生きる気力も損なわれることがなかったのではないかと悔やまれたほどだった。
声のかけ方に始まり、様々な医療スタッフのこまやかな気遣いが、死に逝く者と、見送る者らとの心身の苦痛を緩和してくださったと思う。

キリスト教の精神とわけては語ることのできないホスピスの理念であり、実践である。経済的な合理性では、まかないきれない部分もあろう。
しかし、それがどれほどの人の痛みを慰めてきたか、本書の随所に描かれている。
医療スタッフの力強さに脱帽である。

今現在もガンで闘病中の親戚がおり、片っ端からガンになる平均寿命の短い家系の一員として、私の視界には死がいつもある。
職業柄、人と会うことも多く、多ければ人の死に会うことも多くなる。目をそむけなければ、死は身近なものだ。身近ながら、慣れることのない痛みが伴う。
家族の末期のケアを考えるとき、また、私自身も順番から行くと私を看取る家族はいないから、最期はこういう病院にお世話になれたらいいなあと願っている。
一人で死ぬのは、やはり、少し怖いかな。

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