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2007.03.14

嘔吐

嘔吐 Jean-Paul Sartre 白井浩司(訳) 1994 人文書院

サルトルを初めて読んだのは学生の頃だった。哲学の講義に出てきた『存在と無』を一部だけ読んだ。
デカルトの点的コギトをいかに超克するか。サルトルは突破口を「まなざし」に求める。

『レヴィナス入門』を読んでから、サルトルが思い出されて仕方がない。
人間は世界を享受することで生きている、「口」では人間と世界が一致する。
享受が世界の恣意によって挫折し、労働の必要を生み、「手」で掴み取る。(ハイデガー『存在と時間』)
労働により、世界と私の間に隔たりが生じ、「目」で隔たりを測る世界が作り出される。
その目は、「顔」を見る目は、サルトルのまなざしを懐かしくも想起させた。

もっとも、私が『存在と無』を読んだときの感想といえば、「エロオヤジ?」という単純にして口にはばかられるものであったが。
頭はいいのかもしれないが、露悪的というか、変わり者の感じの悪い人という印象が強い。その印象は、今もあまり変わらない。

『嘔吐』を手に取ったのは、ストレスのために、まさに吐気と食欲不振に苦しんでいた数年前のこと。
原題のLa Nauseeは、嘔吐ではなく、吐気の意である。邦題については、本書の後書きを参照されたい。
体重がぐいぐい減っていく中、本屋さんの店頭で出合った表紙は、そのときの自分の状態、関心事にぴったりで、思わず手に取った。
読み始めるまでには、それから一年を要す。

実存主義というもの、ただ実存するという世界観について、小説の手法だからこそ描けるわかりやすさがある。
淡々と続く、現実や自己との違和感の増大。統合失調症の発症を想起させる、この描写は見事だ。
世界が気持ち悪いものになっていく、その過程に、主人公に気持ちを寄り添わせようとすればするほど、居心地が悪い。

主人公はある歴史的な人物の伝記を書こうとしていた。ふと気づく。その対象の人物を考えることで、自分自身のことを考えずにすんでいたのだ、と。
自分の人生の凡庸さに気づく。自分の人生が、意味ある、意義ある、価値ある、冒険に満ちた華々しいものではなく、ありふれた日常の中に飲み込まれていく。
記憶の不確実さ、物語ることで経験を消費するということ、自分の存在を感じないために誰かを必要とすること等など、含蓄のある文章が盛りだくさん。
デカルトの独我論批判の変奏も随所に感じる。

人は手軽な冒険として、恋愛を体験する。自分の人生が、ある日突然、語られるべき素晴らしいものになる、そういう冒険であることを夢見て。
愛と性とが取り違えられている感じがする。それがまた、人と人とが関わりあえない絶望を感じさせる。
自分が存在することへの吐気。最後では、病み疲れたようなある種の落ち着きが、老いのようにじんわりと主人公を包み込む。
存在の鈍く苦い軽さ、露悪的な不器用さに、私が吐きそう…と思ってしまった。

気軽に手に取りたい本ではない。読み返す気にもなりそうにない。
が、後書きを読んで、著者の歴者や訳者の時代を知り、改めて本書の輝きに気付かされた。
私は好きにはなれないけれども、読み応えのある逸書だった。
(2006.5.29)

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