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2007.02.11

フーコー入門

フーコー入門  中山元 1996 ちくま新書

同じ著者による、同じ人物についての本の2冊目ともなると、少しはフーコーに馴染みができたきたと思う。
『はじめて読むフーコー』(洋泉社)は、フーコーの主要な論点を整理してあるものだったが、『フーコー入門』はフーコーの思想史的な変遷がよりわかりやすい。
全体の内容はより難しめであるが、充実している。

フーコーの著作を時間経過に沿って追うことで、思考の流れをたどる。
これにより、実存主義に構造主義が反論できること、構造主義にフーコーは反論できること、それぞれの論の組み立て方の違いが、ようやくわかってきた気がする。

レヴィ・ストロースやソシュールの考え方が、私は好きだ。
構造主義は「社会の当事者たちが意識していない社会の仕組みを説明してしまう」(p.70)ことができる点が魅力的であり、有用であり、落とし穴を持つ。
その仕組みの説明が妥当であると保証する仕組みを論じようとして、説明が円環を描き、拡散してしまう気がする。
そこに見落とされているものを語るために、論者に見落としがないことをも語るのが、困難なように思えるのだ。

また、構造主義的な発想を日常会話に用いられると、非常に不愉快な思いをすることがある。
「君は自分では気づいていないが、その言葉の背後にある本当のことを私は知っている」と言われて、どんな気持ちになるだろうか。
素直な表現を嘘つき呼ばわりされる気持ちだ。虚言や空言として扱われたときから後は、どんな言葉も力を失う。
「それは投影じゃないか?」との言い返しも同様のトラップである。

この構造主義的な理解に基づく勘繰りを避けようとして疲労困憊した個人的な体験から、そのときそこで語られた言葉に注目するフーコーの方法論に安心した。
権力は、政治は、人が二人以上集まれば、おのずと生じる、生じて当たり前のものであるかもしれない。ならば、それに鈍感ではありたくないと思った。
鋭敏に感じとり、その上で、自己を放棄することなく、他者との関係を変えていきたいものだ。

身体が魂の牢獄なのではなく、魂が身体の牢獄なのだと語るとき、この人はどれほど厳格に社会を内在化させていたのだろうと思う。
現在のネットの発達した社会を、フーコーだったらどのように論じるのか。聞いてみたい気がした。

 ***

このディスクールの概念は、フーコーにとっては、伝統的な歴史学の人物中心主義の方法とは異なる方法で歴史を分析しながら、しかも歴史の目的論を退けることができるという意味で、重要なものである。フーコーがデイスクールにおいて、実際に語られたことだけを対象とするのは、歴史には一つの目的があるという考え方に潜む<罠>にはまらないようにするためである。ディスクールの背後に<言われざる声>の存在を想定した上で、ディスクールや事件を解釈すると、究極的にはこの<罠>にはまってしまうのである。(p.116)

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