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2007.02.11

リーラ:神の庭の遊戯

リーラ  玄侑宋久 2004 新潮社

最後を綺麗にしすぎ、と思う私の心は、少々汚れているのだろうか。

3年前に自殺した女性の、その命日の前日。
女性の弟、母親、父親、弟の恋人、自死した女性の友人、ストーカーらが、ふと彼女を思い出す。

確かな質感、熱感をもって、彼女の存在を感じる。
死者の訪ないを感じるときの、不気味な、不思議な、一瞬の体験に臨場感がある。
錯覚かもしれない。そんなことがありえるわけはない。
けれど、肌があわ立つような、背筋がぞくりと、うなじがざわりとするような。
偶然の符丁を勝手に組み合わせたり、安易に深読みしてみたり、人間の主観のゆがみを上手に布置して、物語は進む。

モーニング・ワーク(喪の作業)は、死者の慰霊の形を取るとしても、生者にこそ必要な営みであるように感じる。
悔恨や絶望、悲哀をやわらげながら、明日へ明日へと生きることを強いられるから。
苦痛を味わうことは、まさに苦痛であるが、これを味わい続けることも難しい。
たとえ苦痛であったとしても、生者が死者の記憶に執着するならば、生者は忘却との戦いを避けられない。
同時に、忘却との戦いは、死者に等しく強いられる。

無言電話を繰り返す男の心理描写に、うなる。これは想像してみたこともなかった。
卑劣なことをしてきた男が、懺悔する。赦されることはなくとも、懺悔はできると。
懺悔をした分だけ苦痛が減ったようで、生まれ変わり、どこか赦されたような終わり方に、かすかに不満を持った。
しかし、見方を変えてみれば、犯人が改悛するかもしれないという可能性こそが、被害者や遺族を慰撫するのかもしれない。
何もなかったかのようにされてしまうことは、忘却との戦いにすら持ち込めずに不戦敗することだ。

忘れずに悔やめ。覚えてくれるなら、憶えていてくれるなら、どこかで赦せるのかもしれない。
私の「まぶい」(生魂)も、きっとどこかに落ちている。拾い集めては、また落とした。
オレンジのシャツを着た弟に、オレンジ色のTシャツを好んで着ていた知り合いを重ねて苦笑した。

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