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香桑の近況

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2006年12月

2006.12.31

(短編)ホテルジューシー

Sweet Blue Age 坂木司 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

アルコールに依存するのではなく、ブラックアウトに依存する。

のんべんだらりと目前に横たわる時間、孤独、不安。
正気に戻ると、現実が待っている。
自分の意識、思考、記憶や理性、情緒、感覚、この苦痛から逃れられないとわかっていても、わかっているからこそ、意識ごと丸投げしたくなる。
逃げても逃げても、逃げようとしても、先送りしただけで、後述べしただけで、やっぱり、現実はそこにあるのに。

そんな空白を、意味や役割、関係、事物で埋めないと落ち着かない。
とんがって、頑張って、肩肘張って、しっかりものを務めてきた少女は、献身的な長女の役割をとりあげられたとき、困惑する。
主人公は、その空白を「だれかのために」で覆い隠すのではなく、「自分のために」居場所を見つける。
ダメな自分も丸ごと受け留めてくれたのは、沖縄の夏。

スイッチが入れ替わるように、いっぱいいっぱいで視野が狭くなった状態から、ふっと脱け出せる瞬間が、人生には何度かあるのだと思う。
ここを過ぎると、ぐっと楽になれるんだよね。

「出身地・性別など不詳の覆面作家」と紹介があり、どっちだ? 男か? 女か?と気になりながら読んだ。
どっちであろうと、物語には差支えがないってことで、この作者の他書も読んでみたい気がする。
わりとあっさりとした描写で、危なげがなく、かつ、嫌味がない文章だった。

 ***

続きを雑誌で読んだ。

木島日記

木島日記  大塚英志 2003 角川文庫

民俗学は偽史である、という、著者の大前提が興味深い。
開き直った感がないわけでもないが、言ってしまえば、表記された歴史というのは、実際の時間の流れと物事の連なりという事実としての歴史から遊離して、語られ始めたときから偽史としての側面を持たざるを得ないもののように思う。
そこを逆手にとって、史実の裏をかくように、また、表に絡みつくように、あたかも真実であるかのように物語る手法は、上手にしてやられるほど面白い。
だまされてこそ、一興。

京極夏彦『姑獲鳥の夏』に似た舞台設定で物語は始まる。
逃げ水が見えそうなうだる夏。だらだらの坂道、現実離れした古書店。
顔色の悪い芥川龍之介もどきの代わりに、主人公は坂姫と仮面の男に出会う。
その主人公は、折口信夫。

ナショナリズムを高揚させるために、国家や民族の正当性や優越性の由来の説明に用いられていく民俗学。
戦前の日本を描きつつ、オカルトに傾斜する雰囲気を如実に描き出した点で、小説でありながら現代の日本への批判がたっぷりと込められている。

p.225に、柳田國男の山人は「現日本人の末裔」とあったが、「原日本人の末裔」とか、「現」が「原」か「元」ぐらいじゃないと意味が通らない気が。
それとも、現日本人は山人の末裔、となるのかなあ?
民俗学といえば、面白く読んだのは赤松啓介ぐらいな私には、ちょっと真偽の程はわからない。
主語の重複とか、句読点の位置とか、多少、読みづらい。見直しが不十分?と思われる箇所があったものの、そのたどたどしさが、却って創作臭さを消しているように感じた。

ただし、p.79、緘黙症は現在も有効な疾患名であり、自閉症との混合はいただけない。これはまったく機序が異なる状態を指すからだ。
多分、「緘黙症」と記録には記載されているが現在の知見から推測すると自閉症(より今日的には発達障害)と思われる、ということなのだと思うが、ここも少し言葉たらずな印象。

京極夏彦や、陰陽師などを好んだ人には、この小説も向いているのではないか。ありえないもの、あってはならないものを好む人にお勧め。
私は、著者の視点が面白いので、この人の小説ではなく、専門書のほうを読んでみたいと思った。

2006.12.25

(短編)涙の匂い

Sweet Blue Age  日向蓬 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

大人は決して賢くも強くもない。

私はその通りだと思う。大して偉くもなければ、凄くもない。正しくもなければ、善くもない。愚かで弱くて、しかし、それなりに一生懸命だったりもする。しっかりと生きるために。

大人の実情に気づくときは、無知な子どもで許される、無恥な子どもで許される、そんな子ども時代が過ぎ去ったときではないか。

大人が子どもに子どもであることを許して守り養い教え育むのは、子どもが子どもの分を守る限りにおいてなのかもしれないけれど、そうやって守り通してやれない場合があるのはとても残念なことである。

自ら子どもの特権を捨て去るものもいれば、奪い取られてしまうものもいる。時間は容赦なく平等に過ぎて子ども時代に踏みとどまることは、誰にも許されない。

淡々とした描写の中に生活感があり、青春の初々しさが漂う良品。誰かの若い日の日記をのぞき見たような気分になった。

2006.12.24

ニート・ニート・ニート

Sweet Blue Age  三羽省吾 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

森絵都「ジェネーレションX」(『風に舞いあがるビニールシート』所収)や、滝本竜彦『NHKにようこそ!』を連想する。扱っているものが、少し似ている。

逃げて逃げて逃げ回って、それでも逃げ切れないものがあって。

そんなとき、どうする?

三十六計逃げるにしかずとは言うけれど、人生、逃げ回ってばかりもかっこ悪い。

この後、主人公がうまく立ち向かえたことを祈る。という感じ。

(短編)辻斬りのように

Sweet Blue Age  桜庭一樹 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

辻斬りというと、象徴解釈っぽく理解すると、どうも男性の発想のように感じる。何人を斬ったかというのは、男性の女性との性行為の回数を指し示す言葉遣いであって、刀は男性性器の象徴と理解されるからだ。

すると、ここで、女性の主人公に辻斬りをさせたのは、無意識に発露した著者のジェンダーなのか、敢えて荒々しさを付与するための意識的な操作なのか。

そんなことを考えながら読んだので、あまり楽しんだとは言わない。

七度辻斬りをするというよりも、七度辻斬りをされるような、痛み。自分を壊し、殺す性行為。

七度焼かれても燃え残る七竃のような、固く、黒く、よい炭となって残る、もの狂い。私を殺して、そうではないものに変じるための、儀式。可愛そうな女を捨てるための。

七竃の花と香りを私は知らないが、美しい男は私をみじめな気持ちにさせる。その夜の記憶が苦く懐かしかった。

2006.12.21

(短編)夜は短し歩けよ乙女

Sweet Blue Age 森美登美彦 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

この作者は初めて。

四文字熟語が多い。
時代を感じさせる文体を駆使しつつ、もっともらしげに語られるのは、祝祭のような一夜。
文章もくせがあるが、これは京都の木屋町・先斗町界隈を知らずに読むのは、魅力半減となるだろう。

夕方に店の前を通りかかったときには、某大学のグリークラブが高らかに校歌を歌っていた。
数時間後の夜中に同じ店の前を通ると、同じ校歌が、ぐでんぐでんになって、まだ聞こえていた。
そんな友人の体験談を思い出す。

早春の頃は歓送会で、晩春から初夏にかけては新入生歓迎会で、夏、秋と季節ごとの飲み会を開く大学生は、それぞれの大学の校歌を歌いつ、鴨川べりに流れていく。
その歌声をたどれば、見ず知らずの同じ大学の先輩同輩後輩が見つかる。

また、あの細い路地の、二軒隣の居酒屋に誰々さんがいるからと挨拶周りに行き、斜め向いのバーには何々先生がいるからと紹介してもらい、店から店へ、扉から扉へ、酒から酒へと転々とするような夜もある。

歩きおおせる範囲内にぎゅっと夜の街が凝縮されている京都ならではであり。
非日常的なものが日常的に、路地の奥に潜んでいそうな京都ならではの舞台装置。
知っている地名に、憶えのある景色を重ねながら、懐かしい空気を味わいつつ読んだ。

映像イメージは、『千と千尋の神隠し』。神々が闊歩する通りのように、萩原朔太郎の『猫町』にも似て、親しみのある街角からするりと異世界に紛れ込む。
李白さんの乗り物も、大きな世界を狭い空間に押し込めたような異世界で、『千と千尋の神隠し』の湯屋でなければ、『ハウルの動く城』をたとえてみたいところである。

愛を込めた握り拳を、自分も作ってみる。
なかなか楽しい一夜の夢であった。

 ***

単行本化されたものの感想 → 『夜は短し歩けよ乙女』

2006.12.19

(短編)クジラの彼

Sweet Blue Age  有川浩 2006 『Sweet Blue Age』 角川書店

1月の新刊を待ちきれずに、勢いで購入。

細やかと濃やか。
どちらもいいなあ。

遠距離恋愛の待ち時間はきつい。
気持ちの量に差はあるのではないかと、抑えても押えても立ち上る疑問。
この連絡がつかない経った今、あなたはまだ私のことを好きでいてくれる?
私はまだあなたの彼女でいるのかな?

こちらの気持ちを尊重してくれるのは嬉しいけれど。
そちらの気持ちがこちらには大事なんだよ。
私が離れていったら平気じゃないと、教えてほしい。
全部こちら次第に任されるのも、気持ちを勝手に見積もられるのも、悔しくて悲しくてきつい。

信じていいのか。信じられているのか。
誠実な対応をやってのけてみせた、冬原がとても素敵な『海の底』のサイドストーリー。
遠距離恋愛で、女性が不安を訴えたとき、男性にお手本にしてもらいたい。と、切実に思った。

2006.12.16

(雑誌)ファイターパイロットの君

有川浩 2006 野性時代 vol.38

友人から野性時代の2007年新年号は有川浩特集だと教えてもらったのが、その雑誌の発売日だった。12日のことである。
無い。無いないナイ……。ここが田舎だから発売日には入荷されないのか?
棚にある野生時代は12月号で、有川さんの短編が載ってはいたけれど、じっくり読むと凹みそうな気がして、そっと棚に戻す。
その日から、職場の近くの本屋さんに通った。

いくらなんでも発売日から時間が経ちすぎ。
先号があるんだから、入荷しないってことはないよね?
まさか、売りきれぇ!?
うろうろと本屋さんの中の歩きなれないコーナーを歩き回り、ようやく他の場所にあるかもしれない!と思いつく。
よく見てみれば、目の前にあった。平積みで。

どーして見つけられないかな?>自分、と、やっぱり凹みながら、二冊のうちの下にあったほうを抜いて、レジに並んだ。
1月に発行される新刊を待てばよいのであるが、半分、意地もあって購入。

 ***

強くて、きれいで、凶悪に可愛い君。
光稀さん、可愛すぎ。
はるなちゃん目線に沿って描かれているので、光稀さんに何度もやられる感じ。
同性を見ているというより、何か可愛いほかの生き物を見る気分です。
うらやんだり、ねたんだりする隙がないほど、可愛い。

有川さんの描くヒロインは、強い心が魅力的。体も力も強いヒロインもいるけれど、心が潔くて、精一杯強くなろうとしている強さがある。
そのヒロイン達の心をくじかず、そっと支えたり、振り回されたり、見守るような男性たちの言動にぐっとくる。

多少の規格ハズレを個性として、そのまま受け容れてくれるから。
面倒くさいところを魅力として、そのまま受け留めてくれるから。

ありがたみも感じつつ、でも、女性陣はちゃんと男性の可愛いところも知っていたりするのは内緒。

恋愛を描くことで、作者の描く人物達の魅力が一層輝く気がする。
まだ読んでいない短編が楽しみになった。

 ***

でも……ストッキング素足で車の運転をすると、私は結構、痛かったです。
ストッキングが破れそうで、心配になりました。

2006.12.05

西欧精神医学背景史

西欧精神医学背景史  中井久夫 1999 みすず書房

くらくらするほど情報量が膨大で、一読した限りでは記憶に収まらない。
大学の通年の講義の教科書になりそうだというのが第一印象であるが、一人の著者によるだけあって、一貫した思想があるのは教科書的ではない。
硬質で、格式のある文体。包括的で網羅的。
著者の連想は自由に広がり、教養を試される。
知的にすぎて、私が読者として役不足の感あり。この知と戯れる余裕は到底なく、文字をたどるのが精一杯。読みおおせるのに時間がかかった。
さすが、みすず書房。と、うなる一冊だった。

本文は、詳細を省いて、地理上のヨーロッパを中心に、古代ギリシャからの歴史をひもとく。
詳細は、本文の三分の一ほどに相当するページの注を読むべきだ。その点、すぐれた索引としても有効。
数々の水脈と支流のダイナミズムを示す数多くの図表も、全体像の把握を助けてくれるだろう。

1970年代のコンテクストの上に書いたと著者が後書きしているが、権威や権力への敏感さ、ナショナリズムを見据えるまなざしの強さに驚いた。
精神医学史であると同時に、精神医学という視座から照射された背景、すなわち、ヨーロッパ思想史や宗教史であり、政治史として読むことにも充分に耐える。
社会の病気の発見、病者の社会からの疎外を語るためには、社会を語らざるをえない。

魔女狩りという現象、病者の管理と国家の体制、辺縁に残存する文化と辺縁に登場する治療文化、公衆の見世物/遮蔽性と退院率、無垢なる少女の神話と近代的自我の神話など。
固有名詞の多さに圧倒されたけれども、特にフロイト以前が興味深く、著者の造詣の深さ、興味の広さに感嘆した。
なお、中井は本書では「フロイトはいまだ歴史に属していない」ため全面的にとりあげないとしている。
こういった著者の歴史に対する感覚の鋭敏さを味わうのも一興である。

近代になると、ヨーロッパとの関わりにおいて日本の幕末以降の、近代的自我の追求と挫折の叙述も興味深かった。
他の文化、キリスト教以外の宗教との比較を通して、ヨーロッパなる現象、西欧らしさを抽出することにも、著者は手抜かりない。

また、キリスト教と意識概念など、1999年の追記もあわせて収録されており、短いながらも示唆に富む。

歴史を読むことは、常識を疑うことに通じる。
現代の感覚でもって過去を読むことは、読み直しの作業であって、読むことではない。
過去の、その時点でのものの見方をたどり、過去の体験を読むことが、過去を読むことのように思う。
すると、現在の自分の常識を相対化することになる。その作業によって、実は常識と考えているものには、自己に固有な部分があることを意識される。
通時的な変化のみならず、共時的な差異もあると、寛容の素地を作り、共感を独善から掬う基盤をなすのではないだろうか。

精神医学への理解を深めるためよりも、ヨーロッパという背景への理解を深めるために、勧めたい。

最後に、印象的だった一箇所を下記に引用する。

 ***

「この海峡に架橋する技術はまだない」と技術者はいいうる。しかし癌や分裂病を治療する技術がまだないから二〇〇年待つことを病者とその家族に要請することはできない。公衆のまなざしが医師と医学を要請した。医学はつねにとりあえずの技術であったが、公衆はそれに反した幻想を持たざるをえず、医師もまたその幻想に囚われた。(p.92)

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