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香桑の近況

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2006年9月

2006.09.26

イン・ザ・プール

イン・ザ・プール 奥田英朗 2006 文春文庫

伊良部というと、野球選手の伊良部を思い出す。
こっちの伊良部は、40代、色白デブの精神科医。
そして、注射フェチの傍若無人な変人。
注射をしてくれるナースがセクシーで素敵。

すげぇというか、ひでぇというか。
うはは、と声に出して笑わせてもらいました。
結構、まともな治療論に則っているんだけれども、それを面白おかしくとんでもなく書いてみせている感じ。
よく調べこんである感じが、随所でした。

治療もとんでもないけど、症状も風変わり。
過敏性腸症候群や敏感関係念慮、確認強迫はありがちだとして、不意をつかれたのが、勃ちっ放し。
そうか。勃ちっ放しだと、痛いんだ。
ほえー。女にはわからんのう…と、うなる。こりゃ、私にはわからん世界だ。ふーん。

昔、そーんな話をしてくれた男性がいたような気もする。いわゆる遅漏というのか、なかなかイケない辛さをたっぷり語ってくれた。
あの人は今ごろどこでどうしているんだろう……。

『ガール』とは感じが違っていて、同じ作者だと気づくのにしばらく時間がかかりました。
それはまずいだろ、それはないだろ、というツッコミどころはあるけれど、面白かったのでよし。

(2006.9.26)

2006.09.24

枕草子REMIX

枕草子REMIX  酒井順子 2004 新潮社


多分、2004年末。大阪に行ったとき、梅田の本屋さんで見つけて買おうかどうしようか迷った。そのときはあきらめて、改めて地元で購入。そのまま一年以上放置。笑
上司が枕草子の一文を引いたのに触発されて、原著に直接あたる気力はないが、この本の存在を思い出して、やっと手に取った。


酒井順子と言えば「負け犬の遠吠え」が秀逸だし、この本も好きだし、インパクトは大きかった。
あの作者だからこそ、清少納言への目線も暖かく、友愛に満ちている。清少納言を千年前の女友達と呼ぶほどの共感も見せる。
清少納言も現代日本の三十女も、共通して、「心の底では愛と純粋とを信じたい、という愚直なほどの気持ちをもっているからこそ、現実の男性に対するイラだちが激しく湧いてきてしまうのだろう」と読むのは、酒井ならではでしょう。
思わず、にんまりとしてしまいました。


途端に往時が生き生きとして立ち現れるような描き具合は、著者の資料の読みこなし具合によるのかな。
ぶっちゃけた話をしている感じで、女子校の実情をさらしているようでもあり、多少の居心地の悪さが……。


ここで抽出されている自覚的に、客観的にあろうとする「業」に、私はシンパシーを感じる。美学と言ってもいい。こういう芯があるのが、好きだなあ。
もともと、紫式部より清少納言が好きだったのだけれども、酒井が好きだなあ、と思った次第。


巻末のほうに、枕草子由来の京都奈良の観光案内のようなものがあって、またも京都に行きたい~帰りたい~という気分が高まった。


改めて、原著が読みたくなった。
(2006.9.24)

号泣する準備はできていた

号泣する準備はできていた 江國香織 2006 新潮文庫

うーん。
やっぱり、私、江國は好きじゃないかも……。

『風に舞いあがるビニールシート』と同じく、女性の書いた短編集で、直木賞受賞作。
しかし、森絵都ほどに感情が揺さぶられなかったのです。
インパクトのあるタイトル。時々、ふっと、いい文章とも出会う。
が、なんとなーく、だめ。性にあわない感じ。読後感も悪い。
なんでかなあ。

著者は後書きで、「喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持が必要」だから、悲しみを通過するときには誰しも号泣する準備ができていると述べる。
うぅむ。
物語で、誰も号泣しなかった気がするぞ。落涙すらできないほどの悲しみだった、という描き方でもないんだよね。
号泣したい気持ちを感じていても、号泣せずにその瞬間を通り過ぎていっているようだった。

これって切ないよね。これって気まずいよね。これって、多分、きっと悲しいよね。
猫を海に捨てないでよ。(一編目。多分、ここで引いた。嫌な印象がしっかりできた)
美しくも愉快でもなくても、忘れられない初めてのデート。そのときの若い、愚かな自分。
世界の外側に恋人と行きたくても、世界中を皆殺しにできないのなら、世界の片隅で愛し合うしかないんだよ。
そして、結婚して喪うもの、結婚のような関係が続く中で失われていくものがあるんだよね。そして、関係が喪われることだってあるんだ。
それはわかる。わかるんだけど、サルトルの表現を借りれば、悲しむときでさえケチくさい、悲しみに対しても吝嗇家である感じ。

いっそ号泣しちゃおうよ~。中途半端は嫌いなんだよ~。
好きな人の特別さを喪ったときに、無理に正気を保たんでもいいんじゃないの?
健康に悪そうな悲しみ方ばかり。わざわざ小説で読まなくても、現実に溢れかえっている。
以前『きらきらひかる』を読んで、悪くはないとは思ったけれども、あれも不健康ではあったなあ。
あの本では若々しいから許された不器用さが、そのまま年だけ取って腐臭を放っているようで。
多分、そこにうんざりとしたのだと思う。

この本やこの著者が好きな人にはごめんなさい。私の今の気分にはあわなかったです。
おばさんは、大人の女性として、もっと開き直って欲望に忠実であるか、もっと開き直って自我に忠実であるほうが、私の好みなのです。

(2006.9.24)

2006.09.04

ルート225

ルート225 藤野千代 2004 新潮社(文庫)

いつの間にか、部屋にあった本。本を買うときはまとめ買いする。どうやら、他の本と一緒に買って、積んだまま忘れてしまったようだ。
改めて手に取ると、どの辺に興味を持って買ったのか、わからない。そのまま置きっぱなしにするのも気持ち悪くて、とりあえず読んでみることにした。

中学生の姉弟。良くも悪くも、いまどきの姉。その女の子の一人称で語られる数ヶ月。
言葉遣いや考え方、中学生らしいといえば中学生らしい。子どもっぽさをよく描いている。
ちょっぴり意地悪で、独善的で、心細くて、目を背けたくて、弟には横暴で、決め付けが激しくて、親の与えてくれるものをあたり前に享受して、教室内の力関係に敏感で。
どこにでもいそうだし、こんなもんだろうなあ、と思わせる。

その「らしさ」の描写はとっても上手である。年齢の限界。年齢の現象。大人が書いたことを忘れさせる。
主人公は柔軟でも適応的でもなくて、事なかれ主義でもなくて、ほんとに途方にくれていたんだろう。

結末もまた、ある意味、リアルだ。
読後感がすっきりしない終わり方であるが、子ども達がこういう体験を抱えることがあることを、私は知っている。
だから、余計に苦々しい。

タイトルの√225は15歳という主人公の年齢を表すとは読み終わっても気付かなかった。
手に余るような問題場面にぶちあたったとき、たかだか14-15歳の女の子がヒロイックに活躍するほうがおかしいんであるが、わざわざ小説で読まなくてもいいかな、と思った。
多分、10代の感性で読むことのできる人には、ふと重なり合うような体験ができるかもしれない。
(2006.9.4)

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