植物図鑑

植物図鑑  有川 浩 2009 角川書店

私ってばかだ。
家に帰るのを待てずに、職場に読みかけの本を持ち込んだ。
合間に読んで、にまにまと顔がゆるんでアヤシイ人になった。そこまではいい。
253ページでやられた。ぼろっと涙が出たら、後は止まらない展開。仕事の合間にぐしょぐしょになってどうする! 有川さんの本を職場に持ち込んだのが間違いだった。
しかも、読み終える前に忙しくなり、後ろ髪をひかれながら業務に戻り、終業後、暗くなる駐車場の車の中で残りを読み終えるまで家路につけなかった。こうして書いてみると、子どもの頃と行動パターンが変わらない。
有川さんだからハッピーエンドを信じていてもよかったはずなのに寸暇を惜しんで読みたくなったのは、そこが物語の力だと思う。
携帯小説は読まないと心に難く決めて、第一話だけは短編集で読んでしまったものの、ここまで甘あまな小説とは思っておらず、見事に撃沈。

表紙を開くと、作中に出てくる植物のカラー写真。巻末には、作中に出てくる料理のレシピ。
各章毎に、章題に合わせた植物の写真もあしらってあり、植物図鑑らしさも漂っている。
でも、もちろん、ただの植物図鑑じゃない。
お待ちかねの長編の王道の恋愛小説に、我が身を重ねてみたり、我が身を忘れてみたり、もだもだ、もだもだ。
ああ、でも、なんで、誕生日のシーンでやられるかなー。ハッピーなはずのシーンで涙が出てくるなんて。
記念日をきちんと憶えている男性と出会った試しがないので、イツキの濃やかさにぐらんぐらんと揺さぶられた。有川さんの描く男性は、いつも本当に素敵。
躾のよいワンコ。噛まない、お行儀のよい、同居人。しかも、料理も上手。こんな素敵な落ちモノ、拾いもの注意と友人にどれだけ注意されたとしても拾わねば。
親密になる過程から空白の一年まで、主人公のさやかの気持ちに寄り添って、誰かを愛しく思うその気持ちを存分に味わった。
読み終えて、ぐったりと快い疲労感に浸っている。これを癒すためには、もう一回、最初から読んで……無限ループ突入決定。

私も名前を憶え間違えているものが一つあったことに気づいた。
小説中には、ネジバナと紹介されている植物であるが、母からは「モジズリ」の名を教えてもらっていた。
万葉集で「陸奥のしのぶもじすり誰ゆえに〜」という句を見るたびに思い出していたが、検索をかけてみたらモジズリのほうが別称だということを初めて知った。優雅な名称なのになぁ。
イタドリも、私はギシギシ、スカンポ、スイバといった名称のほうが馴染みがある。小学校の遠足で山登りしたとき、勝手に取って食べていたものだ。山際の住宅地に住んでいて、結構、野性児ライフを満喫していた。
イヌノフグリの名前の由来は私も知っていたが、これを見ると、山岸涼子『天人唐草』を思い出すところで、年齢がばれそうだ。

去年の春先は、一緒にタンポポやヨモギを摘んだり、掘ってきたノビルをくれるような友人がいた。
その人を思い出した。フィールドの面白みを思い出させてもらった。野歩きのよい先生だった。
あの量のノビルを掘るの、大変だったのかな。今更、もう少し喜べばよかったと思ったり。
細めのフキは皮をむいて炒め煮にして、タンポポはサラダにしたり、スープの実にしたり。
ヨモギは、生ハムでクリームチーズと一緒に巻いてみたり。ノビルは湯がいてごまドレッシングで。
この小説を、携帯でリアルタイムで読んでいたら、もっとレシピを参考にできたかもしれない。
ターゲットは植物じゃなくて野鳥だったけど、その友人もごついカメラを持ち歩く人だったので、余計に思い出して懐かしくなった。

なお、ピーマンは、千切りしてレンジで1分チンして、ポン酢が好きです。おかかは、ありでも、なしでもOKです。
でもって、大量のクレソンはゴマ和えがいち押し。鶏肉で肉団子を作って、ベトナム風のスープにするのも好き。

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水のかたまり

坪内稔典 2009 ふらんす堂

表紙に惹かれて手に取った一冊。
帯には、「七月の水のかたまりだろう カバ」と句が書かれている。
七月にふさわしいと思って、手に取った。しかし、カバ。なぜに、カバ。

句集は、一気に読むよりも、少しずつ味わうほうが好きだ、
その日の気分で開いたページを、ひとつ、二つ。
さまざまな場所で、さまざまな季節に詠まれた、世界一短い詩。

短いにもかかわらず、目の前に景色が広がるような爽快感がある。
どんな景色を描いたのか、気持ちが込められているのか、想像力を総動員。
思わず笑みがこぼれたり、うっとりしたり、よくわからなくて首を傾げたり。
取り合わせや組み合わせが面白くて不思議で、驚いたり笑ったり。

動物園の光景が多い。カバだけじゃなくて、サイもキリンもゾウもダチョウも出てくる。
この日の庭には、枇杷の木があるのかな。柿の木も。猫がいて、仔猫も生まれたり。
海鼠はデカルト、ウニはニーチェ。ウィトゲンシュタインは台風。
遠賀川に筑後川、嵐山と伏見、気仙沼や佐多岬、ケープタウンにアムステルダム、江ノ電。
俳句を詠むためには、辺りに目配りし、周りを楽しむ、開かれた心が必要だ。

言葉遊びの多い人だなあ。似たような音、同じ音を繰り返すところを楽しんだ。
オヤ○っぽいと書くのは、失礼に当たるような気がするけれども、これってオ○ジっぽいよね?
象のお尻の連呼はもりみーを連想してぷぷぷと笑ってしまった。京都繋がりでもある。
が、一番のツボは高見盛。不意を突かれた。作者の意図と無関係なところで笑っていることには自信がある……。

では、気に入ったものを3つ。

 カントより妻が難解冴え返る
 黒猫は黒のかたまり麦の秋
 あの人はリアス海岸月のぼる

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千年の黙:異本源氏物語

千年の黙―異本源氏物語  森谷明子 2003 東京創元社

千年紀を過ぎてから、源氏物語関連に取り組んでみたりする。
この本も、買ったのは去年だった。

3つの中編、短編が収められている。
のちに紫式部と呼ばれる女性を主人にいただく「あてき」という名の少女が最初の主人公だ。
決して大貴族ではない、大貴族に仕える中貴族の家の中から「上にさぶらふ御猫」は始まる。
謎は、行方不明になった今上帝が寵愛する猫。謎解きはあてきのあが君。

「かがやく日の宮」はそれから数年、幻の第二帖をめぐる物語。
そして、その結末をつける「雲隠」。
物語を書くということ。人の手にゆだねるということ。
書いたものを手放さなくてはならない、作り手の不安と覚悟がひしひしと伝わる。

謎解きそのものよりも、平安時代の人々が生き生きと浮かび上がってくるところが魅力だ。
物語の比重は徐々にあてきから紫式部本人へと移り、源氏物語そのものの成立であったことを最後に思わせられる。
だが、個人的には、長い物語が編まれる時間の経過と共に、あてきやいぬきといった少女たちの成長、姫ならぬ身の女性たちの生き方に面白みを感じた。
物語の姫君にはない生き様を、物語の中で少女たちが選んでいく。選ぶ自由があったのは、妃がねとなるような大貴族の姫君ではなかった。
特に、あてきと岩丸の初々しい恋と、その後のあたりがいい。期待通りで嬉しかった。

田辺聖子が源氏物語の解題ものを書いていたと思うが(タイトル失念。従者から描写した源氏の顔が「ゆで卵のむき身のような」と形容してあったことだけは忘れられない)、そのときの感覚を思い出した。
源氏物語を知っているほうが楽しめる内容ではあると思う。確かに、朝顔や六条の登場はいささか突然すぎる。桐壷の後は、源氏が急に大人になっていることにも驚いたし。
とはいえ、そんなに知悉していなくても大丈夫。知っていれば尚楽しい、ぐらいのことだ。

それよりも、私がこの物語を楽しめたのは、先に繁田信一『かぐや姫の結婚』を読んでいたからだと思う。
実資が日記を書いている。その様子が物語に出てきただけで、嬉しかった。さねすけーーーっ!!と心の中で叫んだぐらい。
『千年の黙』に出てくる貴族たちの力関係や出来事は、『かぐや姫の結婚』で解説を読んでいただけに、物語のほうが手ぬるく感じたほどだ。
あの実資が、しかし、机の下に「かがやく日の宮」(草稿部分)を隠していたとは……。巻末に島田荘司がコメントで、源氏物語を当時の同人誌と表現しているが、真面目で賢人と名高い大貴族が同人誌にはまっていたと想像すると、なんともはや、にまにまと笑わずにはいられない。
そこがピンポイントでツボでした。

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妖怪アパートの幽雅な日常(10)

妖怪アパートの幽雅な日常(10) (YA!ENTERTAINMENT)  香月日輪 2009 講談社

ついに、卒業。
卒業……???
卒業のはず、だよねぇ?

最終巻だけに、これまでの登場人物が次々に立ち現れる。
生きていることの素晴らしさをかみしめる主題も、最終巻にふさわしい。
特に今回は、夕士と長谷の絆が試されることになった。
長谷の置かれている環境で、長谷のために、夕士ができること、選んだこと。

途中から、ぼろぼろ涙が出て止まらなくなった。
自分でも、ここまで泣くか?とツッコミを入れたくなるほど、泣きながら読んだ。
その物語は、まるっきり予想外の展開だった。

夕士は、自分で選んだことの結果は予想しきれていなかった。
再び将来の展望を考え直さなくてはいけない。
たとえ後悔はしなくても、困惑したり、反省したり、苦悩したり。
そこから、また歩き出すために。
誰よりも特別な卒業式に送り出されて、新しい世界へと踏み出していく。

そして、10年後。
夕士は条東商に戻ってくる。
千晶先生はいなくなり、画家も海外に移住して、変わっていったこともある。
変わっていないこともある。
妖怪アパートは、そこにある。
シリーズ中何度も繰り返された龍さんの言葉を最後に引いておこう。

君の人生は長く、世界は果てしなく広い。肩の力を抜いていこう。(p.14)

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妖怪アパートの幽雅な日常(9)

妖怪アパートの幽雅な日常(9) (YA! ENTERTAINMENT)  香月日輪 2008 講談社

高校生最後の文化祭。そこまで時間が飛ぶのか。
ラス前だとわかっているからこそ、二学期も半ばを過ぎていることに妙に動揺した。
ああ、もうすぐ終わるんだ。
物語の終わりを惜しむ気持ちが、主人公が高校生活を惜しむ気持ちにシンクロする。

最後だと思えば思うほど、イベントに思い入れが強くなる。そんな学生も多いと思う。
だけど、その前に水を差すような出来事が起きる。
学校裏サイト。
現実に、そういったサイトでの情報で傷ついた子を知っているので、田代の受け止め方を参考にしてほしいと願う。

そうなのだ。そういうことなのだ。
悪口は、褒め言葉。僻みや妬み、恨みや憎しみは、憧れや羨み、ないものねだりの裏返し。
どうでもいいなら反応しない。反応してしまうのは、どうでもよくないからだ。どうでもよくないから、わざわざ絡んで、相手を傷つけようとする。
相手を同じ嫌な気持ちに落とし込もうとしてしまう。こんな気持ちになっていることに気づいて、わかって。そういう拙い自己主張だ。

このシリーズには何度か描かれているが、不幸でいるのは楽なことだ。
幸せになるためには努力がいる。しかし、不幸であるためには努力はいらない。
ただ、嘆いていればいい。

けれども、この巻のテーマは「裏」。
恵まれているように見える人、できるように見える人、羨まれて当然のように思われる人にも、それぞれの裏に押し隠したものがある。
その人なりの苦労、その人なりの努力、その人なりの悲哀や苦悩といったものが、外から見えないからといってないわけではない。
見たいものしか見ていない、愚かさを知れ。

というわけで、長谷が裏側の顔を夕士に見せたり、千晶の交友関係やこれまでの人生が少しずつ明らかになってきたりする。
後半に入って、毎巻、千晶の見どころがあるような気がするなぁ。文字の世界だから、勝手に想像しているわけだけど。
そして、クリスマスの夜。非常に気になる終わり方なんですけどー。

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妖怪アパートの幽雅な日常(8)

妖怪アパートの幽雅な日常(8) (YA!ENTERTAINMENT)  香月日輪 2008 講談社

高校3年生。
子どもでいられる最後の一年。
その後は、社会に出るか、もうしばらくの執行猶予期間を得るか。
急ぎ足で大人にならなくていけない人生を歩む人もいる。
だが、必ずしもそうしなくてもよいのであれば、執行猶予期間を得てほしい。

駆け足で大人にならなくていい。
その時にしか見れない景色を見て、その時にしか味わえない体験を味わい、その時にしか出会えない人々と出会い、その時にしか考えられない思索を考え、その時にしか感じられない情緒を感じ、人生をより豊かなものにしてもらいたい。

しかし、主人公の夕士はこれまでと違った形で現実と向かい合わなくてはならない。
「小ヒエロゾイコン」という魔道書のマスターになり、召還魔法を使えるようになったこと。
今までは妖怪アパートの中では魔法も目立たなかった。
しかし、妖怪アパートとは無関係の人々の前で、魔法を見せなくてはならないとしたら?
魔法されあれば、誰も傷つかずに助かるような、そんな大事件に巻き込まれてしまったとしたら。

このシリーズでこの展開はかなり意外。
だんだん長谷の出番が減少する代わりに、千晶の重要度が増している。
帰る場所と、行く場所と。二人の人物が、夕士の来し方行く末を握っているように思われた。
さー、このまま最後まで読んじゃうぞー。

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妖怪アパートの幽雅な日常(7)

妖怪アパートの幽雅な日常(7) (YA!ENTERTAINMENT)  香月日輪 2007 講談社

久しぶりに借りて読んだ。ルリルリの御飯が美味しそうでたまらない。
夜中に読むのが危険な食事シーン。だれか作ってくれないかなぁ。
刻んだ桜の花とほぐした鯛の身のおにぎりなんて、想像するだけでうっとり。

桜の似合う季節。
高校二年が終わり、春休みが過ぎれば、最後の年になる。
卒業式は、送る側にとっても盛り上がる面がある。いかに送り出すかの大騒ぎ。
その裏側で、今回はエロスとタナトスが大きなテーマだ。

いまどきの高校生にとっては、セックスをしても当たり前の感覚の子も多いかもしれないけれど、好きな人と幸せなセックスをしてほしいなぁ、と、おばさんはしみじみと思うのだ。
望まない性行為、特に暴力を伴うものは、その人にとって大きな傷になることもある。
かといって、性行為を過度に重大視することはないのだが、妊娠や病気の感染といった、まさにエロスとタナトスがつきまとうのも事実。
後から悔んでもどうしようもないことがあるから、それぐらいの責任がかかるってこと、頭の中に叩き込んでからにしてほしい。
だから、まり子さんの語る言葉に二重線を引いて、返したくなった。しないけど。

子どもである間に、いっぱい学んでほしい。遊んでほしい。
お金になることも、ならないことも、知識も体験も、すべて言葉に血を通わせるために必要だから。
あなたの魂を育てなさい。子どもである間に。
急いで大人になってはいけないよ。ましてや親になってしまったら、子どもであるという言い訳は許されないよ。
あとほんの少し、許されなら、子どもでおいで。

背伸びしたくなる年頃の子どもたちに、読んでもらいたい本だ。

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スウィング!

買ったきっかけ:
ひとめぼれ。
買ったのは日本語版のほうです。

感想:
とても楽しいしかけ絵本だ。「読む」というより「遊ぶ」絵本だ。
シリーズ2冊目はスポーツがテーマ。
ページをめくると、選手達がいろんな動きを見せてくれる。
スムーズに、うつくしく、彼らが動くためにはちょっとコツが必要。
大人だってはまっちゃう、楽しい楽しい絵本だ。
つい、時間を忘れてしまって、ぱたぱたとページを動かした。

おすすめポイント:
最後のページがいい。読書も運動もどちらも大切。
選手達と同じこと、自分の体でできるかな?
「さあ、そとにでて おもいきり からだをうごかそう!」

Swing!: A Scanimation Picture Book

著者:Rufus Butler Seder

Swing!: A Scanimation Picture Book

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悪人

悪人  吉田修一 2007 朝日新聞社

これが新聞に掲載されていたのか。
読み終えて、その意義を考えさせられた。
そもそも、悪人とはなんぞや。

これも読み始めるまでにしばらく積んでいた本であるが、読み始めたら一気であった。分厚さは読むうちに忘れた。
見知った地名、見知った景色。そして、人々の姿は等身大で、近所に息づいていても不思議はない。
女が男に殺された。よくある事件のひとつとして小さく報道されて終わりになるかもしれない。
男女それぞれの家庭や職場の生活、周囲の人々を描くことで、小さな事件の当事者にとっての大きさを思い知らされる。

加害者が殺害に至るまでのやりきれなさと、殺害後の逃亡生活を招いた出会いのかけがえなさに、加害者に対していくぶんかの同情を感じた。
被害者に対して同情しきれなくなるような設定の妙であり、それ以上に、むかつく登場人物の配置といい、善悪は二元論のような単純なものでなくなる。
加害者は悪であるとして、果たして、被害者は善かと言えば、そうではないのだ。

法で裁く悪は、法で規定されているものに過ぎない。その意味では、悪人とは犯罪者である。
しかり、心情を踏まえた上で語られる悪を規定するのは、倫理である。宗教であることもあれば、信念であり、関係性である。
本当の悪とはなんぞや。それは、容易に答えることをためらわせる問いである。私にとっては。

裁判官制度が導入された。裁判で裁くのは法で定められた悪である。
そのあたり、自分はきちんとできるのかな。今、もしもこの事件を裁く側に回るとしたら、自分はどうするのだろう。
加害者に対して同情の余地があると、被害者に対して同情できない余地があるとして、量刑を判断することはふさわしいのだろうか。
情状を酌量することで倫理的な判断が加わることになるとすれば、それは裁いてもよいことなのだろうか。
いろいろと考えさせられた。何はともあれ、殺人はいけない。

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イスカリオテ2

イスカリオテ〈2〉 (電撃文庫)  三田 誠 2009 アスキー・メディアワークス電撃文庫

Woman in red.
赤いドレスの女性に特別な意味を感じるのは、やはりキリスト教圏のような気がする。
それの意味するところは、緋色と紫のまとった女性。ヨハネの黙示録に出てくる。その名はバビロニア。

前作で残された大きな謎の一つが、破璃のもう一つの顔だろう。
二作目になって、その顔の出番が増えた。本来の破璃以上にインパクトがあり、美味しいところを握っている。
妖艶なる表情にそぐわず、なかなか愉快な言動でイザヤを翻弄してくれる。今後の物語の鍵となることは間違いないだろう。

しかし、個人的にはヒロインの座はノウェムにあげたい。健気で可愛い。
私はあなたの剣、あなたの盾になりたい。その祈りが愛しくて、よしよししたくなった。
その生真面目なまっすぐさが、イザヤを動かしていく。保身のために不信感や猜疑心が必要だったイザヤも、ノウェムには疑いを挟むことができない。
ノウェムが人形だから、ではなく、ノウェムだから。
凄惨な場面であっても、イザヤとノウェムの心の動きにはほのぼのと和む。

もう一人、注目の登場人物はダビデの断罪衣をまとう聖人ラーフラ。異端審問官という立場から物語に絡んでくる。
その名前にふさわしく、獣の障害となるか、それとも、イザヤにとっての障害になるのか。
しかし、その名前通りに、トイレで寝たりしないよね?(@聖☆おにいさん)と心配になってしまった。
ノウェムのありようが一番好きなので、ラーフラが邪魔にならないといいなぁ。

ラノベではあるが分厚く、結構、読み応えがある。次はどんな聖人が出るかも楽しみだったりする。
読んでから時間が経ったので、感想をだいぶ忘れちゃった。
そうそう、後書きで一番盛り上がった。
菊池秀行ーっ。エイリアン・シリーズですか! いやはや懐かしい。こういう読書中の本や映画を後書きに書き添えるところが、菊池さんへのオマージュになっている。にやり。

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